A地帯

創作小説、ブロント語、その他雑記等。

アンジャスト・ナイツ3/Balance of power #21「Moonlight Cooler ⑤」

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「こいつを持っていけ」

 部隊が本部を離れる直前、仲間と共に魚雷艇に乗ろうとしていたアルドロを呼び止めたのは、他ならぬヴァレンティナだった。不思議がる少年に彼女が見せたのは、掌に収まる大きさの無機質なアンプルだ。
 中身は黒色の容器に遮られていて見えない。容器にはアルドロが一瞬で読むのを放棄するほどの文字が羅列されており、先端には細い注射針が付いていた。

「お前、法力に耐性があるみたいだな」

 ヴァレンティナの言葉に、アルドロは首を傾げる。法力遣いではない彼は、そもそも法力が何であるかを理解していない。魔法とも呼ばれるもので、エーカーやこの前の任務で戦ったデブ兵士が使ってた、くらいの認識だ。
 その様子を見て、ヴァレンティナは目を細める。

 コソボの残留法力に満ちたあの地にいながら、負荷の一つも感じておらず、後遺症の一つもない。まるで旅行に行って帰ってきたかのように、何事も無く見える。
 ナイツロードの優れた兵士でも、あの場所で100%の全力を出せるかと問われれば、迷いなく否と答えるだろう。専用の防護服が無ければ、立ち入ることすらままならない。法力遣いならば体内の法力を消費し続けることで防げるだろうが、相応の負荷がかかるし限度もある。あの場所で平時通りの戦闘能率を維持する為には、エーカーのようにトップレベルの法力遣いになるか、イクスのように肉体的能力が人離れしているか、人造兵共のようにそもそも人の身でない必要がある。

 しかしこの小僧は、法力遣いでもなければ、特段優れたフィジカルを持っている訳でもなく、体が機械でできている訳でもない。能力か、生まれ持った体質か。理由は不明だが現在のアルドロの状態と自覚の無さからして、法力の侵入が防がれているのではなく、体を素通りしているような様子だった。
 真冬の外に出かけるのに、事前に適切な備えをするのが普通の人間だ。だが、もとより寒さに慣れた奴ならその程度の障害は、障害のうちにも入らない。アルドロは後者だった。得てしてそういう人間は、生まれた場所が元々そういう過酷な環境だったか、後天的にそうなるよう鍛えられたか、あるいは親の遺伝だ。
 目の前の少年の出自に少なからず興味が湧いたが、それは焦眉(しょうび)の問題ではない。今注目すべきは、どうやら身体に法力を通過させることはできる、という仮説だ。

 ヴァレンティナは再び手元の器具に目を向ける。

「こいつは、法力を密閉した注射器だ」

 法力は、術者による指向性を与えなければ、すぐ煙のように大気中に霧散し消え失せる。数十年前に法力が発見され、核に続くエネルギーになると持て(はや)されて以降、原子力発電も核兵器も一向に減らない原因の一つだ。まとまった法力の保管には、技術も金も労力もかかる。ヴァレンティナの手に握られたそれは、業界最大手たるナイツロードが所有する法力技術の結晶であり、他の企業や国からしてみれば、喉から手が出るほど欲しい代物に違いなかった。
 そのようなものだとは露知(つゆし)らず、アルドロは単純な好奇の眼差しでアンプルを見つめる。

「クソジジイにブッ刺せばいいのか?」

「いや、自分に打て」

 その言葉に疑問も不審感も抱かず、アルドロはアンプルを受け取ろうとする。
 ——が、ヴァレンティナのもう片方の手に遮られた。

「本来は生身の人間に使うもんじゃねぇ。銃器に備え付けて性能を上げる為のものだ」

 ヴァレンティナの忠告に、アルドロは改めて彼女の手に握られた器具へと目をやる。
 器具を覆う文言の大部分は理解できなかったが、とかく危ないモノということは辛うじて判別できる。容器と針の部分は、明らかに急造で接合されているのが分かった。(つたな)い見た目のそれは、まるで薬物中毒者がヘロインの酩酊(めいてい)欲しさに手作りしたような危うさを感じさせる。

「正直、こいつを打って無事でいられる保証はできねぇ。だから、無理に使えとは言わん」

「……どうしてオレに?」

 アンプルを受け取り懐へとしまいつつ、アルドロは尤もな疑問を投げかける。
 器具の急造具合からして、事前に準備してあったものではない。明らかに、この任務で彼が使う為だけに作られたものだ。法力のイロハも、アンプルの効果の程も預かり知らぬアルドロだったが、そのことは漠然と理解できた。
 対するヴァレンティナは、目線を逸らして口を開く。

「私の勘だ」

 ヴァレンティナの視線は海上へ——こちらへ迫り来ているであろう、水中戦艦の在る方角へと向けられる。その眼差しには、氷のように冷たい殺意とマグマのように煮え繰り返った憎悪が同居していた。

「ヤツの忌々しい能力に対抗できるのは、月光を遮る影なんじゃないか……という思いつきだ」

 ヴァレンティナはそう言って目線を少年へと戻し、肩を竦めて見せる。そこには来たる敵に向けていた殺意も憎悪も無く、それどころか少し面映(おもは)ゆげな感情さえ垣間見せていた。
 根拠の欠片もない、リアリストの彼女らしからぬ希望的観測に基づいた論理。彼女自身、それを自覚していた。他の兵士ならば、反論の一つや二つあっただろう。
 だが、アルドロにとっては——自らの勘を拠り所にここまで生きていきた少年には、それが何よりも信頼できた。自然と、感謝の言葉が口を()いて出る。

「ありがとな、バレンタイン」

「ヴァレンティナだ」

 訂正の言葉と共に吐いた深い溜息をよそに、アルドロは自らの乗る魚雷艇へと歩み出し——ふと、その歩みを止め、背後に聳え立つ本部施設へと振り返った。
 本部は平時の白い要塞ではなく、夕日に照らされ赤く染まっている。上空ではヘリが忙しなく飛び交い、壁のあちらこちらから兵士の声が喧しく響き渡っている。まるで、天敵の接近を感づいた蜂の巣の様相だ。その壁面に自らの影が伸びて、振り返ったアルドロと顔を見合わせた。

「なあ……もう一つだけ、頼まれてもいいか?」

 その呟きに、ヴァレンティナは呆れの表情をしまい込む。
 アルドロはそのまま、自らの思いつきを語った。