アンジャスト・ナイツ3/Balance of power #20「Moonlight Cooler ④」
ーーーー
斬撃を、紙一重で躱す。
放たれた法術を、影の中に潜って躱す。
アルドロは防戦一方だった。もとい、防戦に徹さざるを得なかった。
コソボの時とは違い、一切の手加減がない。
能力を発動したエーカーの攻撃は苛烈で、なおかつ一撃一撃が直撃すれば致死性のものだ。
「どうした、逃げてちゃあ敵は倒せないぜ!」
攻撃の手を緩めぬまま、エーカーはアルドロを挑発する。以前のように、反応を愉しむ為ではない。挑発に乗って隙を見せた相手を、確実に殺す為の策。
しかし、アルドロは青筋を立てることも言い返すこともなく、無言で様子を伺っている。この少年にも自制心なんてものがあったのか、と思わず感嘆してしまうほど無感情に徹していた。
相手の性格は熟知している。守備一辺倒を貫けるタイプではない。短気という言葉に衣服を着せたような存在のアルドロがここまで守勢を保つのに、相応の精神力を消費して
どこまでその不感症を貫けるか、見ものだな——エーカーは法術を放って敵の足を止め、接近して切り結んだ。鈍い衝撃がアルドロの全身を襲い、数歩後ずさらせる。
刀を打ち付けた勢いそのまま、エーカーは刃越しにアルドロの顔に近づき、
「——さっきはああ言ったが、訂正するぜ。やっぱり大したことねぇなあ、おい?」
相手に憎たらしく見えるよう、とびきりの笑みを浮かべる。
アルドロの瞳が僅かに揺れた。彼の奥底で、怒りという名の溶岩が煮え滾る気配がした。だが、反応はそこで止まる。
もうひと押しか——エーカーは刀に力を込め、アルドロを吹き飛ばす。軽く小突く程度の攻撃だったが、疲労の溜まり切っていたアルドロは地べたを勢いよく転がり、デッキから落ちそうになる寸前でなんとか堪えた。
それを見つめつつ、エーカーは両腕を広げ、わざと隙を晒す。2人の間の力量差を思い知らせるように。
「まぁ、小便臭えガキのお守りもそれなりに楽しめたぜ。手前みたいな雑魚が粋がる様なんざ、いい見世物だった。我ながらいい劇作家になれるかもなァ」
返答はない——が、相手の内側で火山が噴火しマグマがぶち撒けられそうになっているのが、エーカーには手に取るように分かった。つい昨日まで感情任せで動いていた人間が、今日だけ良い子のなりなどできるはずがない。にわか造りの仮面なぞ、脆いものだ。ただ、剥がし方には少々工夫がいるように見える。
呆れ果てたように両手を上に向け、エーカーは腐す標的を変えた。
「……それとも、
効果は絶大で、アルドロは目に見えて狼狽した。両目が皿のように見開かれ、拳が固く握られる。甲板の上に横たわっていた全身が、怒りに震えた。それを見てエーカーはほくそ笑む。
真一文字に閉じられていたアルドロの口が、ゆっくりと開かれ——
「嘘ばかりだ、テメェの言葉は」
——冷め切った言葉が紡ぎ出された。
エーカーの顔から、笑みの仮面が外れる。
「いや、言葉だけじゃねぇ。全部作り物だったんだな——オレが見ていたテメェは」
アルドロはふらつきながらも立ち上がり、エーカーを見つめる。
愚直で、しかし純粋な眼差し。その目には、相手に対する明確な敵意と殺意に加え、諦観も
エーカーは身体中が総毛立つ感覚を覚えた。
オリガ・アレクセヴナの時と同じだ。どこまでも真実を見透かすような瞳。彼女のそれは、女王となるべくして育てられた鍛錬と資質によって得たものだ。
では——目の前の少年は、つい昨日まで怒りと反抗心に囚われてた少年は、どこでそれを得たのか。
驚愕に強張っていたエーカーの表情が、すぐに元のにやけ面に戻る。
決まっている——私が与えてやったのだ。
そのための状況も、役割も、私が用意したものだ。愚かで未熟なこの少年兵を、優秀な自らの手駒とし、
「ホントのテメェがどんな姿なのか……死ぬ前に見せろよ、クソジジイ」
不敵な笑みを浮かべ、刃先をこちらに向ける少年に、迷いはない。遥かに力で勝る相手を前に、不遜にも吐き捨てたその言葉に、恐れはない。怒りを持ちながら驚くほどに冷静で、殺意を持ちながら奇妙なほどに
ああ、それでいい。否、そうでなくては——代役として選んだ甲斐がない。
エーカーは堪えきれぬ歓びに破顔しながら、再び少年と刃を重ねる。
それでも形勢は、始めから目に見えていた。
能力を発動していない状態でも、エーカーとアルドロの間には天地ほどの力と経験の差がある。その上で、能力を発動し本気となったエーカーに敵う道理もなく。
慣れない防御と回避を繰り返し、体力を消耗し続けたアルドロは徐々に傷つき始める。
頰が切れ、衣服が裂け、血を垂れ流す。
急所への致命打こそすんでの所で避けていたが、相手の攻撃全てを避けきれる筈もない。
数分後にはコソボの時と同じく、甲板に膝をつくアルドロと、それを見下ろすエーカーの構図になった。
「もう一度チャンスをやろう」
肩で息をし、汗と血に塗れ俯くアルドロに対して、エーカーは宣告する。
つい先程まで貶しの言葉を吐いていた男の影はそこになく、代わりに立つ人型は天の遣いのような荘厳さを放っていた。
「ここで降参して私の側につくなら、私はお前を生かし、艦をここで止める」
エーカーはそう言って、ゆっくりと銃を抜き、銃口を相手の額へ向ける。今のアルドロの体力では、それを防ぐことも躱すこともできない。
しかし、その言葉を受けて顔を上げた少年の目からは、闘志が消えた様子はない。
ただ自分に向けられた銃口を見つめ、鼻を鳴らして笑った。
「言ったはずだぜ——お断りだ、ってな」
アルドロの言葉が終わる前に、艦のセンサーから警告音が発せられる。断続的で甲高いそれは、戦艦内部の異常ではなく、外部からの攻撃を意味する。
エーカーは目線を、アルドロの背後に広がる水平線へと向けた。
数十キロ先、暗がりの中で白と赤の光が明滅する。少し遅れ、乾いた破裂音が同じ方向から響き、二人の耳に飛び込んだ。
ナイツロード本部からの砲撃。
「水を差しやがる……」
エーカーは舌打ちし銃口を天へ向けると、上空から迫り来る砲弾に対して銃弾を放つ。
法術を伴った弾丸は砲撃と相殺し、エーカー達の上空で破裂した。激しい光と音が、エーカーとアルドロを覆う。
その刹那、アルドロは満身創痍の体に鞭打ち、懐へと右手を伸ばす。
この一瞬の隙だけでは、ヤツを仕留めることはできない。
たとえ致命打を与えたとしても、今のヤツの能力ならば、コソボの時のように瞬間的に回復されるだろう。
ましてや、こちらは手負いの身。その致命打すら与えられない可能性の方が高い。
だが——少なくとも、自分自身に何かするくらいの隙ならできる。
懐から離れたアルドロの手の内には、細長い器具が握られていた。
器具には警告の文言が紋様のように書き連ねられ、その先端からは小さな針が伸びている。
一見すると注射器のようなそれは、しかし全体に刻まれた紋様と黒いボディから、気軽に扱うべきものではないことを示している。
アルドロはその針を、逡巡することなく自らの首元に突き刺した。