A地帯

創作小説、ブロント語、その他雑記等。

アンジャスト・ナイツ3/Balance of power #25「Leah's Last Hope ①」

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(Pseudo)ティーク事件」と称されたイリガル・エーカーの反逆から、3ヶ月が経過した。

 事件後に編成された調査委員会の調べでは、法力水爆の威力は大戦中の原爆と同等以上の威力であったという。もし何の緩和もなく爆発していれば、本部施設は良くて半壊、悪ければ水底に轟沈という予測結果だった。フェフの機転と本部防衛ジェネレーターの最大出力稼働、ヴァレンティナ達の防御によって最悪の事態は免れたものの、平団員たちはしばらくの間、本部中の破損した窓ガラスの付け替えに追われた。
 周辺海域には法力が検知されたが、爆発時に大部分が運動エネルギーとして消費されたらしく、検出されたのは残り香程度のものだった。それもすぐに大気中に霧散し、数週間後には調査用の船舶が慌ただしく往来した。

 粗方の事後処理が済み、ナイツロードが平時通りの業務をし始めた頃、彼らの元に再びWDOの書簡が届く。

 WDO総司令官レナ・ブルシュテインは、ナイツロード及び傘下企業の南ア進出を事前の約束通り容認した。事実、3週間遅れで実施された南ア軍との実地兵器試験以降も、地元の同業他社からは物言いの一つもない。事前にWDOからの圧力……もしくは何らかの取引があったのは自明である。

 同時にレナは、ナイツロードを筆頭としたPMSCs大手5社との包括的な不戦協定を締結する。
 会議にはWDO総司令官と各PMSCs社長に加え、斡旋役として英外務大臣が参加した。隠さずとも、Mi6の影響が及んでいることは確かだ。

 この協定によりPMSCs側は国際機関という後ろ盾を手に入れ、軍事業務を行うにあたって世論に対するいくらかの正当性を獲得した。
 ニソール広場の惨劇を始めとする不祥事は、モントルー文書採択を経ても、世間からの風当たりを依然強く留めている。大手企業は今もなお、戦争屋のレッテルを外すことに苦心している。今回の協定は、そんな彼らにとっては渡りに船であった。今すぐにPMSCsが正規軍に取って代わることはないだろうが、それも時間の問題だった。

 一方WDO側には、巨大化の一途を辿るPMSCsを制御する為の首輪としての役割もあった。
 世界平和を標榜するWDOがPMSCsと共同することに、無論異議を唱える声も少なくない。それを見越しての、「昨今各地で頻発するテロへの対応」という題目である。国際機関であるが故に各国で頻発する小規模テロに対し後手に回っていたWDOだが、各PMSCsと英情報局の情報網を獲得し、カウンターテロへのフットワークが増した。今後、主戦場となるであろう中東方面においても、土地勘に明るい企業との共同作戦の機会が増加することになる。
 何より前年の不祥事によって予算も人員も失っていたWDOにとって、組織外の持ち駒は喉から手が出るほど欲しい代物であった。

 協定締結はWDOの暫定本部である「本物の」ゾティークの艦内にて執り行われ、ゾティークが係留していた湾の名前から、メルビル協定と呼ばれた。
















 協定の締結を終えた翌日、団長室に戻ったレッドリガがデスクに着くなり、扉がノックされる。

 入室の許可を受けて部屋に入ってきたのは、レイド・アーヴァント。
 激務から解放されてしばらく経ったからか、その表情からは疲労の気が抜け、代わりに憂いの雰囲気が見て取れる。外面をどれだけ整えようとも、その憂心の情調が彼本来のパーソナリティである以上、変え難いものであった。

「先の件の報告書です。……調印式帰りでお疲れのところ、失礼かもしれませんが」

 平時と少しも顔色の変わらないレッドリガを一瞥(いちべつ)しつつ、建前を飛ばしながらレイドがデスクに置いたのは、WDO総司令官訪問の件についての報告書だ。とは言ってもその内容は、レナ・ブルシュテイン訪問後の動乱についての記述が大半を占めていた。
 書類には此度の事件で損失した人員・兵器設備類が数珠のように書き連なっている。

 隊長級兵士4名。
 一般兵18名。
 魚雷艦1隻。
 過出力によって内部装置がイカれた防衛ジェネレーター3基。
 長距離用閃光砲弾1発。
 長距離用法力フレシェット弾12発。
 エーカーとヴァレンティナの戦闘、法力水爆の爆破によって損壊した本部施設の修繕費。
 その他、負傷兵の治療費やヘリ・艦船の燃料費など細かい出費。

 金銭面はWDOからの報酬で(まかな)えるが、問題は人的資源だ。特に隊長職の欠落は大きく、組織が事件前の機能に回復するまでは時間が掛かるだろう。その点で一番頭を悩ませるべきは他ならぬこの企業のトップであるレッドリガなのだが、当の本人は代わり映えのない笑みを浮かべながら、報告書を流し見ている。
 レイドはそれが気に入らなかった。

「今回は災難でしたね、レイドさん」

 レッドリガは軽口にもとれる労いの言葉をかけるが、相手の憂愁(ゆうしゅう)に満ちた表情に変化は無い。
 レイドは無言のまま会釈し、背を向けて数歩進み——立ち止まると、緩慢な動きで振り返る。
 憂いの表情はそのままに、熱の入った両目がレッドリガの姿を捉えた。

「全部貴方の……いえ、貴方がたの(てのひら)の上だったわけですね——もはや、毎度のことですが」

 レイドは自嘲とも悲観ともとれる声色で、眼前の男に言葉を投げかける。

「ほう?」

 興味深そうに反応したレッドリガは、椅子の背にもたれ、横目で報告書を見やった。
 データではなく紙で渡してきたのは、これが理由なのだろう。目線をレイドへと戻し、言葉の続きを待つ。

「最初から、目的はあの協定にあった。南ア含め、ナイツロードが各地域に進出し続ければ、必ず地元の民兵や正規軍との摩擦が生まれる。恒久平和実現を標榜するWDOは、それを黙っている訳にはいかない。だがWDOもナイツロードも、決定的な接触は避けたかった。だからと言って、国際機関と民間組織がそう易々と手は組めない」

 一段と、レイドの目が鋭くなる。

「主義も目的も異なる組織。足並みを揃えさせるにはいくつかの方法がありますが……その一つとして、絶対的かつ共通の敵を作りあげること」

 レイドは自らの頭の中に、薄ら笑みの髭面を思い浮かべる。
 かつてはその顔を思い出すだけで頭痛の種だったが、今となっては一抹の寂しさもあった。

「——それがイリガル・エーカー団員ですね?」

 レイドの言葉に、レッドリガは眉を上げる。

「今回の件、そうすれば全て納得がいく。彼はWDOの機密を盗み、ナイツロード本部に侵攻し、お互いの敵意を自分へと向けさせた」

 この事件は、表向きには加害者たるイリガル・エーカーと被害者たるナイツロードという、至極分かりやすい図式を示している。実際にナイツロード側には多大な人的・物的被害が出ているから、その関係はより明確だ。
 WDOもその図式でいくと、被害者の側である。機密情報を窃盗され、悪用されているのだから。

 だが、それはこうも言い換えられる——両組織を脅かす絶対悪が現れたことで、ナイツロードとWDOは同じ側に立った。
 それがレイドの語った推測通り、今回の一件がエーカーとレッドリガ、そしてレナ・ブルシュテインによる協定締結の為の一芝居であったとすれば——その絶対悪は、最後に自らが斃されることを、初めから知っていたことになる。

「エーカー団員は、最初からそれが目的だったんだ——だから、僕がいくら調べても何も出なかったし、彼の行為を貴方は黙認していた。当然だ。彼には初めから、ナイツロードに敵対する意思はなかった」

 エーカーの面貌の次にレイドが頭の中に浮かべたのは、バーの女店主の悲痛な笑顔だった。彼女は、それがエーカーの「贖罪」だと語っていた。
 今もなお、彼の行為が贖罪になったとは認めていない。だが、彼が役割を全うして死んだ以上、事実だけは認めざるを得ない。

 自らの役割の完遂の為、ナイツロードとWDOの共存の為、多くの人間を騙し・裏切り、あらゆる倫理と道理を踏みにじった人間。

 ——彼が、「不正義の騎士(アンジャストナイト)」であったことには。

 レイドは顔を上げ、再びレッドリガをその双眸に捉える。

「団長、貴方は全部知ってたんでしょう。それも、初めから……エーカー団員が入団した当初から」

 はぐらかしの言葉を予想していたレイドだったが、意外なことにレッドリガは黙ったままだった。
 沈黙に効果はなく、むしろ沈黙によってレイドの推測が的中しているということを、裏付けてしまう。あるいは、そこまで分かっているのなら何も口出しはしない、ということなのだろうか。
 そのまま、数秒とも数時間ともとれる静寂が続き——

 ——不意に、団長室の扉が再びノックされる。

「どうぞ」

 レッドリガが入室を促し、扉の向こうから現れた人物を見て、レイドは目を丸くした。

 銀色のアタッシュケースを握り、黒い長髪をなびかせ、赤いドレスを身にまとった美女。 
 その優美さと俗気を兼ねたオーラは、以前この場所で会った時と少しも変わらぬままだった。
 フィニア・アーデルハイトだ。

「あら? お取り込み中だったかしら」

 フィニアは、レイドとレッドリガの姿を交互に見ながら呟く。部屋に張り詰めていた緊迫感に、まるで気付いていない——否、気付いた上で無視しているのか。まるで、買い物帰りに偶然友人に会ったかのように軽薄な声音だ。

「いえ、お構いなく」

 レッドリガは、先ほどの沈黙とは打って変わり、笑って答える。
 対するフィニアは驚きで棒立ちとなっていたレイドを横切り、デスクに積まれた報告書の上にアタッシュケースを置いた。その体勢のまま、レッドリガの表情をまじまじと見つめる。

「……今回は仕事だからしょうがなかったけど、あんまりあの子を虐めちゃだめよ? 気に入ってるんだから」

 そう口にした言葉からは、甘い(たしな)めの感情と共に、微かな敵意が籠っていた。
 敵意と言っても、害意や殺意のような物騒なものではない。玩具を独り占めする子供の主張によく似ていた。その感情を、大の大人が年下の少女に対して持っているということ以外は、あまり問題のないもののように思われる。

「レナさんのことですか。まぁ、善処しますよ」

 レッドリガの軽い返答に溜息を一つついたフィニアは、アタッシュケースを手放して踵を返す。
 足早に立ち去ろうとする彼女をレイドは呼び止めようとしたが、先んじて問いを投げかけたのはフィニアの方だった。

「そういえば、あの人に会ったんでしょう。元気してたかしら?」

 意地の悪そうな笑顔で尋ねた彼女の視線は、レッドリガではなくレイドへと向けられている。
 質問を不可解に感じつつも、レイドは自らの記憶を(さかのぼ)った。最近会った者の中で、フィニアが面識のありそうな人物といえば。

「——リクヤさんのことですか?」

 かつてヴァレンティナが語った通り、彼女がMi6に在籍していたのなら、彼と面識があってもなんら不思議ではない。
 果たして、彼女は大正解だと言いたげに勢いよく頷く。

「そうそう。私もしばらく会ってなかったから——元気だった?」

 フィニアの問いに、レイドは視線を左上に向けて先日の出来事を思い返す。
 切れ長の紅眼をこちらに向ける大男の姿が、はっきりと頭に浮かんだ。今ではエーカーよりもこちらの方が、よほど大きな頭痛の種だ。

「元気——かは分かりませんが……まぁ、見た限りは息災でしたよ」

 嘘は言っていない。息災どころか、自ら災いを待ち望んでいたような節はあったが。目の前の女は、その男が先日レイドに行なった仕打ちを知っているのだろうか。
 それを確認しようとして、レイドは視線を女の顔へと戻し——息を呑んだ。

「そう……よかった」

 そう答えたフィニアの笑顔に、どす暗い(かげ)りが見えていた。
 先の隠し味程度に留まっていた幼稚な敵意とは違う、あからさまな好意と殺意。優美な瞳の奥底は黒く燃え、口元には肉食獣を思わせる笑みを浮かべている。今までの明け透けな雰囲気は完全に失せ、重く粘性のある空気が部屋に満ちた。

 ——それはちょうど、リクヤが別れ際に見せた感情に酷似していた。 
 フィニアもまた、その笑顔のまま手を振りつつ部屋を後にする。レイドの目には、悪夢が焼き増して写っているようにしか見えなかった。

 あの(ひと)にも、もうあまり会いたく無いな……とレイドは思った。それと、二人の間にはなるべく入らない方がいい、ということも忘れず頭に入れておく。同僚なのか恋人なのか、はたまた敵同士なのかは知る由もないが、同じ場に居合わせたら生きた心地がしないのは確実だ。

 レイドは気を取り直すと、デスクに置かれたアタッシュケースに目を向ける。
 一見何の変哲も無い銀色の箱は、しかし細部を見れば見るほど、厳重で堅牢に閉じられているのが分かる。

「——団長。まさかとは思いますが」

 その中身を見ずとも、今までのやりとりでレッドリガと彼女の関係に気づかぬ程、察しは悪くない。

「ええ。こちらとしても、大人しく首輪をつけられるわけにはいきませんからね」

 対するレッドリガも、悟られるのは予想の範疇ということか、余裕の態度で応える。
 少なくとも、墓穴の奥底まで隠しておきたい類の秘密ではないらしい。

「彼女は、WDOを監視する為に差し向けた貴方の駒だった……と」

 此度の事件と協定締結を経た、今にして思えば当然の帰結。なのだが、レッドリガに対する固定観念がその推理を妨げていた。
 あからさまに怪しい人間を、秘密主義者のレッドリガが用いるはずがない、という先入観。
 幹部という名の私兵を自由に操れるレッドリガが、外部の人間を遣うはずはない、という思い込み。
 ヴァレンティナも認知していなかったあたり、完全に団長の独断だろう。

「一時雇いの駒にしては、よく働いてくれましたよ。彼らの痛点が分かってさえいれば、飼い殺される心配も無用でしょう」

 自らの上司は、そんな台詞をにやけ面と共にのたまう。協定を結んでから、まだ丸一日も経過していないというのに。
 強固に閉じられたアタッシュケースを、レッドリガは慣れた手つきで開けた。中に入っていた書類を手に取り、何やら興味深そうな面持ちで見つめる。

「それ、何の書類なんです?」

「——知りたいですか?」

 思わず尋ねたレイドに、レッドリガは同じく問いで返す。

「……いえ、別に」

 拘泥(こうでい)することなく、レイドは即座に退いた。団長がこういう含みのある言い方をするときは、その実、遠回しな拒否だということを知っている。
 真相を知りたいのは山々だったが、さすがにこの先は「無料」ではない。そも優秀な兵士とはいえ、単なる一団員にここまでの情報を与えたのは、レッドリガなりの褒賞でもあるようだった。それ以上を求めるなら、それなりの対価は払うことになる。

 ——ただ、レッドリガがWDOに向けて送り込んだスパイが持ち帰った書類なのだから、WDOの内部情報に関連した書類だということは容易に想像できた。今は、それだけで十分だ。

「……それで、結局貴方の目的は何なんです。まさか、今回の協定がゴールだなんてことはないでしょう?」

 代わりに問うたのは、漠然とした、しかし入団当初からレイドが胸に抱き続けてきた疑問だった。
 レッドリガは緩慢な動作で書類をケースに戻すと、椅子から立ち上がり窓の外を見る。

 要塞の眼下に広がる海上は春寒の兆しか、さざ波がひどく目についた。
 それを眺めるレッドリガの背は、目元も表情も見えないにも関わらず、さも面白いと言いたげだ。

「秩序なき善を行使する為——と言っても、貴方には理解できないでしょうが」

 理解できませんね、とレイドは心の中で即答した。





















 団長室を後にしたレイドは、下層への階段を下る。
 一定以上の回答は得られたというのに、その足取りは上った時と同じ、鉛のように重いままだ。

 一つはっきりしたことといえば——やはり、あの団長とは相容れない、ということだ。
 仲間や組織を重んじる側面と、目的の為ならば何を犠牲にしようと意に介さない側面。どちらか一方が建前ならばまだやりやすいが、困ったことにあの団長は、そのどちらもが建前であり本心だ。
 セーラも、フェフも、エーカーも、その思惑に飲まれて死んだ。
 いつ自分の番が来るのか、分かったものではない。

 自分が使い捨てられることに、嫌悪はない。
 いくら外側を取り繕おうとも、自分は真っ当な人間ではなく、まともな生活を送ろうとも思わない。元より身寄りの無い人間だ。どこで戦おうと、どこで死のうと頓着はない。元より傭兵とはそういうものであり、レイドもその点は受け入れている。

 だが——

 レイドが部屋に戻ると、レソトから帰還していた部隊の同僚がいた。
 ルナはレイドに勢い良く抱きつき、エレクが不満そうな表情を見せ、グーロはそれを疲労困憊の顔で見つめていた。
 その様子を見て、思わず笑みが(こぼ)れる。

 ——もし、その魔手が彼らに向かうのなら。
 僕も、覚悟を決めなければならないだろう。

 笑顔の裏側で、レイドは決意を新たにした。