A地帯

創作小説、ブロント語、その他雑記等。

アンジャスト・ナイツ3/Balance of power #22「Moonlight Cooler ⑥」

ーーーー




















 引き金を絞り銃弾を放った瞬間、エーカーの身体中を悪寒が駆け巡った。

 全身が瞬時に凍てつき、手足の端から砕けるような、尋常ではない寒気。脳裏に浮かぶ密やかかつ鮮烈な、死のイメージ。
 それは長年役割を務め、数々の死線をくぐり抜けた兵士としての勘だった。その勘が、頭の中で訴えかける。

 今、お前は間違えたんだ、と。

 すぐにエーカーは、両眼をアルドロへと向けた。
 同時に自らが放った銃弾が、ナイツロード本部から放たれた砲弾とかち合って破裂する。暗がりの中に突然、太陽が目の前に現れたかのような、目の覚めんばかりの輝度の光源が2人の姿を照らす。

 強烈な閃光の中でエーカーが捉えたのは、アルドロが掌大しょうだい)の「何か」を甲板に落とした光景だった。
 その「何か」を確認しようとして——エーカーは自身の影が爆発光によって細く伸び、その向こう側で膝をついていたアルドロのもと)に触れていることに気がつく。
 すぐにその意図を察したエーカーはアルドロに向けて引き金を引いたが、アルドロの体は既にそこにはない。銃弾は誰もいない空間を通り過ぎ、次いで閃光も弱まり元の夕闇に戻る。
 
 静寂が訪れたが、それも一瞬だった。
 消えた少年の後を追う間も無く、再び警告音が鳴り響く。エーカーは顔を上げたが、周囲には破裂した砲弾の爆煙が広がっており、視界は役に立たない。だが遠方から耳に飛び込んできた、断続的で甲高い射撃音と(おびただ)しい数の風切り音だけで、次なる状況を推察するのには十分だった。
 先ほどの砲弾よりも明らかに密度の高い攻撃が、高速で迫っている。

「——ッ!」

 煙の向こう側、自らの直上に何かを感じたエーカーは、咄嗟に防御体勢に入る。
 直後、法力でできた矢の雨がエーカーに向けて降り注いだ。鉄を打ち付ける音と火花の散るような音が、辺り一面に響き渡る。砲撃に比べ破壊力は無いものの、ヒト一人をほふ)るのには十分すぎる火力。加えて実体の無い攻撃故、撃ち落とされるようなことがない。

 その雨の只中にいながらエーカーがなおも生き長らえていられるのは、ひとえに彼が優れた法術遣いであることに他ならない。法術で造った障壁を頭上に広げ、傘のようにすることで防ぎきっている。が、矢は一発一発の衝撃が重く、一歩も動けない。少しでも力を抜けば、矢が障壁を貫いてエーカーの体に風穴を開けるだろう。
 コーティングを施された戦艦にはダメージが入っていないが、人間の身でまともに受ければ結果は分かりきっていた。今のエーカーならば、手足や頭が吹き飛んだ程度では死には至らないが、深手を負えばそれだけ再生に時間がかかる。その隙に管制を押さえられて艦船を止められては、生き残ったとしても意味がない。

「あの色男の部隊の——」

 レイドの所属する部隊に、魔道具の開発者がいた筈だ。彼女の作った兵器ならば、これ程の威力があるものを遠距離から放つことも可能だろう。
 だが、決め手にはならない。
 エーカーもこの戦艦も、今の砲撃では多少の足止めにしかならない。それも一時的なものだ。この密度の対艦攻撃が長時間できるのなら、戦艦が海上に浮上した段階で敢行しているはずだ。
 それを、このタイミングで——エーカーがアルドロを見失った直後に行なったということは。

 次の手は容易に読めた。
 矢の雨が止んだ瞬間、エーカーは後ろを振り向き、足元に向けて刀を振るう。そこには、月光によってできた自らの影が落ちている。
 相手の僅かな隙を突くとするならば、これほど絶好の位置と機会はない。物量攻撃を耐え切り、緊張を緩ませたその一瞬の隙を突く。もしエーカーがアルドロの立場ならば、そこから姿を現し、一撃で急所を押さえるだろう。

 だが、刃は虚しく空を切るだけだった。

 違和感に反応するより僅かに早く、エーカーが予想していた場所とは反対側から突っ込んで来たアルドロが、携えた剣で胸を刺し貫く。
 コンマ数秒遅れてエーカーは痛みを知覚し、次いで自らを貫いた少年を目の当たりにして言葉を失った。
 アルドロの体には、エーカーにつけられる筈だった刀傷が無い代わりに、至る所に穴が開き血塗れになっていた。間違いようも無く、先ほどの法力の矢で貫かれたものだ。

 ——相手の能力を熟知しているが故の、錯覚。
 影の中に身を隠す能力を持ち、その能力で絨毯爆撃を回避できるのなら、能力を使って逃れることは必然どころか生存戦略に根ざした生物の摂理であり、それが正常な兵士の判断だ。少なくとも、自分の命が惜しいマトモな兵士ならば。

 だが——ああ、よく知っているさ。こいつはマトモじゃない。この馬鹿は、矢の雨を全身に浴びながら馬鹿正直に突っ込んで来たのだ。本物の馬鹿野郎としか呼称しようがない。

 自らの心得違いを自覚した時には、もう手遅れだった。
 アルドロの一撃に貫かれたエーカーの体から、青白い光が弱まっていく。神々しさを帯びた輝きは失われていき、元の素肌と黒いスーツが露わになる。
 同時に剣で貫かれた場所から影が拡がり、体を覆っていく。白いシーツに色のついたインクをぶち撒けたかのように、表皮の上を黒い影が這いずり回り、体表に固着していった。

 治癒能力が抑制——否、上書きされている。

 たたらを踏んだエーカーは、そのまま数歩後退り、甲板端の 手摺 (てすり)にもたれ掛かる。アルドロはそれに追従し、なおも剣の柄を離さない。その間にエーカーを蝕む影は、ほぼ全身を覆い尽くしていた。
 
「オレの……いや、オレたちの勝ちだ」

 アルドロは赤黒い血と共に、静かに呟いた。法力矢の裂傷は、少年の体を真紅に染め上げている。これで脳天や背骨に沿った急所の数々には当たっていないのだから、悪運の強さには驚かされるばかりだ。
 対するエーカーもまた、口から大量の血を吐き出しながら嗤う。

「——見事だ」

 エーカーは自らの胸元で剣を握ったままの、少年の肩を抱く。その力は羽毛が触れたと紛う程に弱く、彼の生命に終わりが近づいていることを示していた。
 (かす)んだ視界で、エーカーはアルドロが先ほどまで倒れていた地点に目を向ける。

「……と、言いたいところだが、ドーピングじゃあ手放しで褒められないな」

 甲板に転がった法力アンプルを見ながら、エーカーは乾いた笑いを出す。
 法力による能力の瞬間強化。それ自体は珍しくもないが、法力遣いでない者が不意打ちで使うのならば、奇手としては十分だ。それも使い手が、突撃しか能のないことで知られるアルドロとあれば、その効果は絶大だった。……まさか、自力で考えた策でもあるまい。大方、ヴァレンティナあたりの入れ知恵だろう。
 (もや)のかかった思考回路でエーカーは推察すると、アルドロへと視線を戻す。

 少年は剣を握ったまま、無言で俯いている。そこには勝利に対する歓喜も、仇敵を仕留めたことに対する雀躍(じゃくやく)もない。それどころか、後悔や自責の念が見え隠れしていた。

 エーカーは直ぐに少年の心情を理解した。
 剣を離さないのではなく、離せないのだ。このような騙し討ちで、ただ一度の勝負を終わらせることに彼は葛藤し、そして今もなお葛藤は続いている。例え今、エーカーが最後の力を振り絞って少年の首を()ねたとしても、まるで気づかないというほどに。

 どうしようもなく未熟で、あまりにも手緩(てぬる)い。兵士としては間違いなく落第点だ。だが、それを咎めるような気分には、どうしてもなれなかった。その思考を甘いと断じる代わりに、エーカーは天を仰いで内心を吐露した。

「一つだけ、本当のことを言ってやる……お前を見出したのは、能力でも性格でもない……私に似ていたからだ」

 唐突かつ予想外の披瀝ひれき)に、アルドロは目を見開いて顔を上げる。蒼褪あおざ)めた男の、驚くほどに穏やかな表情があった。少年が見たがっていた、嘘偽りの無い男の顔だった。

「どうしようもなく無知で無策で、何より力を欲している——そんなお前を放っておけなかった」

「……冗談はよせよ」

 アルドロは動揺と共に吐き捨てるが、否定の言葉は帰って来ず、代わりにエーカーは肩を優しく叩く。

「ナイツロードを頼むぞ、アルドロ」

 アルドロがその言葉の真意を問うより早く、エーカーは体を離した。
 操り糸の切れたパペットのようにぎこちなく、しかしアルドロが咄嗟に伸ばした手が届かない程度には簡捷かんしょう)に。
 その重力のまま、エーカーの体は甲板の手摺から転げ落ち、黒い海中へと音も無く没した。



















 アルドロは、男が沈んだ後の海面から目を離せずにいた。
 男を斃せば、全てが解決すると思っていた。だが、結果はこの通りだ。後悔は頭の内から止むことがない。

 ——他に方法は無かったのか? こんな卑怯な不意打ちによる決着でよかったのか? それであの男を本当に越えられたのか?

「クソ……」

 悪態が口を衝く。疑問は増えるばかりだ。

 ——あの男が最後に話したことは本当なのか? あの男の目的は何だったのか?
 ——イリガル・エーカーは、本当に敵だったのか?

 法力矢によって身体中に空いた穴の痛みよりも、その問いの数々が頭痛としてアルドロを強くさいな)んだ。
 それを止めようとして——アルドロは思い切り手摺に額を打ち付ける。小気味のよい金属音と共に、衝撃による痛みが現れて、頭蓋の中の後悔と疑問を覆い隠した。思考が冷却されたことで、アルドロは肝心なことを忘れていたと思い至る。

「そうだ、任務……」

 この艦を止めなくてはならない。
 そのことを思い出し振り返ったアルドロだったが、一歩を踏み出す間も無く、立ち所に意識が消え失せ、折り畳むように倒れる。
 体力の限界はとっくの昔に超えていた。全身に裂傷を負った体に高純度の法力を流し込んだ上で、能力を使用、もとい、暴走させたのだ。いかに法力に耐性があると言っても、限度がある。むしろ今まで意識を失わずに立っていられたことが、奇跡の産物と言えた。

 傷だらけの顔面を甲板に激突させる寸前で、何処からともなく差し出された二の腕がそれを受け止めた。
 アルドロを支えた大男は、そのまま傷だらけの少年を脇に抱える。大量の人造兵をほふ)ってきたらしく、男のコートは返り血のようにオイルに塗れ、金色の髪もすっかり濡れて頭に張り付いていた。
 そんな自身の格好を気にも留めず、男は眼帯をしていない方の目で、先程までアルドロが覗いていた水面を見る。エーカーの体を呑み込んだ夜の海は、今までの動乱がまるで無かったことのように、静謐を保っている。
 
「まさか、お前に先を越されるとはな」

 水面に浮かぶ月を見つめながら、感嘆よりも呆れの)もった口調でイクスは独り言ちた。