A地帯

創作小説、ブロント語、その他雑記等。

アンジャスト・ナイツ3/Balance of power #16「Corpse Reviver No.3」

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 ナイツロード本部の昼下がりは混迷を極めていた。
 昨晩の襲撃後に再攻撃の予告と法力水爆の存在が明らかになって以降、要塞施設には第二種戦闘配置が敷かれ、今もなお継続している。

 要塞の周囲には艦艇と回転翼機が総動員され、大仰な兵器博覧会と化していた。
 哨戒艇は血眼になって周辺海域を索敵している。輸送艦支部に送っていた人員と兵器を運び直し、非戦闘員を乗せて出ていく。空域も同様で、ヘリポートには休む間も無くヘリが舞い降り、すぐに飛び立っていった。

 要塞内部も等しく多事多端ぶりで、団員たちは慌ただしく廊下を行き交っていた。
 警備兵が装備をぶら下げ、輸送兵と電子技術兵がジェネレーターの部品を担ぎ、情報兵が書類の束を抱え、建設工兵が施設の破損箇所を修理して回っている。
 そこかしこで靴音が鳴り響く中、館内放送が定時連絡と警備配置を知らせた。
 要塞を満たすざわめきは、団員各々がすでに嵐の渦中にいることを認識させる。

 そんな喧騒を医務室の壁越しに聞きつつ、ロッテ・ブランケンハイムは少年の寝顔を眺めていた。

 医務室には、寝台に横たわったアルドロとその傍らに座るロッテの他に人間はいない。衛生兵も怪我人への処置を済ませ、今夜の警備状況の確認で一人残らず出張っている。
 薄暗い室内は、扉の向こうとは真逆の静けさを呈しており、外で何が起ころうと此処は安全無風だという錯覚に陥らせる。
 マイペースにも程があるな、とロッテは自覚しつつ、再度目の前に横たわる少年に視線を落とした。

 先日、第三支部へ派遣された筈のアルドロは、今朝方に何故かコソボから満身創痍の身で送り返された。
 体中に刀傷と青痣を残し、骨は数ヵ所が折れ、砕けている部分すらあった。その他全身にかけてあちこちで打撲や捻挫が見られ、もはや正常な部分を数えた方が早いほどだ。
 にも関わらず、幸いにして命に別状はなかった。さすがに頑丈なだけのことはある。

 一方で、麻酔も切れた頃だというのに、本部に帰ってきてから一度も意識が戻らない。
 衛生兵は、負傷と精神的ショックが重なったのが原因ではないかと話していた。

 同僚の裏切りと死。
 それらがアルドロにどれだけの影響を与えているのかは分からない。
 だが少なくとも、兵士としても人間としても未熟な少年に体験させるには、酷すぎるということだけは確かだ。
 ロッテは、せめてこの少年が目を覚ます前に全部片付いていてくれ、と願う他なかった。

「非戦闘員は本部からの退避命令が出ていたはずですが」

 静寂の満ちていた室内に、ソプラノの声が響く。

 ロッテが顔を上げると、少女の姿があった。
 扉の開閉音も足音も無く薄暗がりの中に立つ少女は、まるで最初からそこにいたかのようだった。
 こちらに歩み寄る少女のその所作に、幽霊の類ではないことを確認したロッテは、問いに答える。

「私はここがセーフハウスみたいなものッスからね」

 軽い口調で言葉を返しつつ、ロッテは少女の姿をまじまじと見る。
 山吹色の短髪に、幼さの残る顔立ち。陶器のように白い肌の上に、重苦しい黒いコートを纏ったその姿は、幼い頃にどこかで見たフランス人形を想起させる。

 だが、いくら頭の中の過去を漁っても、眼前の少女を目にした記憶はなかった。

「貴方、ナイツロードの人じゃないッスよね」

 警戒心を強めた声音で、ロッテは疑問を口にした。
 対する少女は表情を変えることなく、しずしずと頭を下げる。

「ええ、初めまして。レナ・ブルシュテインと申します」

 ロッテは驚きに目を見開いた。
 出不精なロッテでも、その名が何者であるかの知識は持っている。正確には、重体のアルドロを本部に運び込んだイクス・イグナイトの口から、ロッテに伝えられたものだ。

 武力を伴った平和維持活動の権化たる、世界防衛機関WDOの長。
 このナイツロード本部に突如訪問し、エーカーの暗殺を依頼した張本人。

 ——名前からして女性だとは分かっていたが、こんな少女だとは。
 ——昨日には団長との会合を終え、本部を離れたと聞いていたが。

「……WDOの総司令官サマが、こんなところに何の用ッスか」

 大小様々な驚きと疑問が、ロッテの頭の中を埋め尽くした。
 その疑問の一つを吐き出しつつ、動揺を気取られまいと、帽子を深く被り直して表情を隠す。
 礼節を重んじるのなら帽子を取るべきなのだろうが、自堕落を形にしたような存在の彼女が、品行方正な振る舞いを無意識にできるはずもなかった。

 レナはそんな無作法さを気にかけるでもなく、視線をベッドへと移す。
 彼女の興味はロッテよりも、寝台の上の少年に向いているようだった。

「依頼を果たしに来ました」

 静かに呟いたレナは、横たわるアルドロの顔に右手をかざす。
 ロッテは、その手を素早く掴んだ。

「……何するつもりッスか」

 敵意を隠さず訊ねたロッテに対し、レナは冷静さを損なわず答える。

「彼を治療します」

 レナの言葉に嘘はない。
 アルドロに害を与えるつもりならロッテの問いに答える必要はなく、そもそも自分から話しかけたりはしないだろう。そのことはロッテも分かっている。
 だからこそ、ロッテは敵意を増した。

「……それで終わりじゃあないッスよね」

 掴んだ右手に力を込めつつ、レナを睨む。

「またアルドロさんを戦場に駆り出すつもりッスか」

 見え透いた罠の只中だろうと、他人の作ったシナリオの上だろうと、アルドロにはそれが分からない。分からないままに、戦場へと向かう。どれだけ傷ついていようと、戦いたいと思うのなら、這ってでも戦場に征くだろう。
 例えそれが、エーカーの思惑だとしても。
 例えそれが、目の前にいるこの女の思惑だとしても。

 ロッテの知るアルドロは、そういう人間だ。どうしようもなく、馬鹿で、単純で、純粋だ。
 だからこそ我慢ならなかった。

 この少年が、自分の選んだ任務で、自分の選んだ戦場で死ぬのなら、別に構わない。それが徹頭徹尾、彼の意志であり定まった運命だからだ。単なる同僚でしかない自分には、それを止める権利も義務も無い。
 だが、他人の手によって動かされ、身も心も散々に傷つけられた挙句に死ぬのは話が違う。
 それを黙って見ていられるほど、ロッテも冷血ではない。

 ロッテの鋭い眼差しを受け、レナは顔を上げて目線を合わせた。

「私が治そうと治すまいと、彼は目覚めれば戦いに赴こうとする。違いますか?」

 冷静で平坦だが、真に迫るような声音で述べた彼女の言葉に、反論することはできなかった。
 間違い無くこの少年は意識を取り戻し次第、エーカーと戦う為に戦場に征く。勝ち目がなくとも、とりあえず気に入らない奴は殴りに行く。その無鉄砲さはロッテが一番よく知っていた。
 少年を止める力の無い自分には、どうすることもできない。

 ロッテは掴んだ手を緩め、重力の赴くままに離した。
 諦念の籠もった右手が、力無くだらりと垂れ下がる。

 それを見たレナは一瞬だけ哀しそうな表情をすると、すぐに元の無表情で少年に向き直った。

 レナが手をかざして間も無く、仄かな光が室内を照らし、アルドロの身体を覆う。途端に、切傷や青痣が跡形もなく消えていく。
 ロッテから見ても、単純な治癒法術とは別物だということが分かった。法術や魔法に関しては素人だったが、義肢制作を本業とする関係上、戦地での間違った処置で手足を切断しなければならなくなった事例をいくつも知っている。その点、個人が行う応急処置で、ここまでのものは見たことがなかった。まるで、時間が巻き戻っているかのようだ。

 治療は1分もかからず終わり、レナは虚空から手を引くと、深く息をつく。
 それなりの体力を使ったらしく、彼女の色白の肌は更に色素を失い、額には汗が滲んでいた。

「あとは、彼次第でしょう」

 先ほどよりも呼吸の安定した少年を満足気に確認すると、レナは背を向けた。

「どうして、アルドロさんを助けるんです」

 ロッテはその背に向けて声をかける。
 死にかけの人間を放っておけなかったというのなら、まだ分かる。だがアルドロは、意識が戻らないことを除いて、容体は安定していた。わざわざ自分の体力を削ってまで全快させるほど深刻ではない。WDOの総司令官ともあろう者が、何故他組織の下っ端の少年を助けるのか、理解できなかった。
 レナは、振り返ることなく答える。

「彼の最後の依頼ですので」

 それだけ告げると、終ぞロッテの疑問を解かぬまま、彼女は医務室の外へと消えていった。

 ロッテは吐き出そうとしていた疑問の数々を喉奥に呑み込み、椅子に深く座り直して、元いたように沈黙を保つ。

 そのまま数時間が経過した。
 館内放送は何人かの兵士の名を読み上げて召集をかける。ヘリのローター音が遠ざかり、近づき、また遠ざかる。室外の喧騒は止む気配がなく、むしろ時間が経ち日が傾くにつれて、その喧しさを増していった。

 そうして雲に色がつき始め、夕日が水平線に接しようとする頃。

 ロッテは少年の寝顔に目をやり、何十回目かも分からない確認をしようとして、変化に気がつく。

 アルドロの目が開いている。
 それを確認したと同時にアルドロの口から、か細い呟きが発せられた。

「正直よ——あのジジイの強さには憧れてた」

 アルドロの声は、彼らしからぬ落ち着きを見せている。自分がどういう状況で、何処にいるのか分かっているようだった。
 傍で聞くロッテは、じっと待って続きを促した。

「どうすれば、あんだけ強くなれるのか、ずっと考えてた」

「……仲は悪いと思ってたんスがね」

 ロッテは口を挟むが、そこに普段の意地悪や茶化しの念はなく、単純に湧いて出た問いだった。
 アルドロはおもむろに体を起こし、肩を回しながら答える。

「ああ、オレはあいつが嫌いだ。多分、あいつもオレのこと嫌いだろ。でも——そういうのとはまた別というか」

 アルドロはベットの上に胡座(あぐら)をかいて、ロッテの方に向き直った。
 純粋な眼差しが、ロッテの表情を穿(うが)つ。

「だから、オレはおかしいと思ってる。なんでエーカーは裏切ったのか、なんでレジーが死ななくちゃならなかったのか……その根っこの部分を知りたいと思ってる」

 レナの言った通りだ。
 この少年は、何かと理由をつけて喧嘩をしたがる。誰かの思惑の内だろうと、少年はそこで動機を見つけては戦いに赴く。それを止めることは、誰であろうと——例え団長であろうと、できないだろう。

 ベットから降りたアルドロは、全身の包帯を剥いで忙しなく体を見回した。刀傷も痣も、骨折していた部分も、影も形も無くすっかり癒えている。

「誰かオレを治したのか? めちゃくちゃ体が軽いんだけど」

「……さあ」

 ロッテは素っ気なくはぐらかす。
 彼にWDOやレナの話をしたところで、すぐに理解できるはずもなく、頭の中に疑問が残るだけだ。これから戦場で死闘を演じるであろう人間に、ノイズになりそうな情報は与えたくなかった。
 ——実際のところ、一から説明するのが面倒だったというだけだが。

「待ってください、アルドロさん」

 制服を着込み、足早に医務室を飛び出していこうとする少年を呼び止める。

「んだよ、ロッテ」

 振り返ったアルドロは、普段とは違う同僚の姿を見た。
 口元は固く結ばれ、帽子を深く被り、目元は隠れていた。そこにいつもの無愛想さはなく、逆に自らの感情を抑えているように見えた。

「エーカーさんを思いっ切りブン殴ってきて下さい。私と、レジーさんの代わりに」

「——おう」

 ロッテの頼みにアルドロは了承すると、音を立てて医務室を出ていく。開け放たれた扉から外の喧騒が入り込み、扉が閉じると共に元の静寂に戻った。
 その背中を見送って、ロッテは大きなため息を吐きつつ、椅子の背にもたれた。

 エーカーの考えていることが薄々分かってきていた。
 アルドロが勝ちに拘り、エーカーを目の敵にして拘るようになったのも、間違いなくエーカーの思惑のうちだ。彼が以前語った言葉の通り、あの少年の一傭兵としての戦力は別として、一度拘った時の執着心には目を見張るものがある。肝心の実力が伴っていない為に、冗談にしか聞こえなかったが——もしも、アルドロが本当に力を持ったのなら。
 彼はそこに、何かを見出しているに違いない。彼はアルドロの先を見た上で、利用できるのなら利用し尽くしたいのだ。

「……クソッ」

 ロッテは小さな声で悪態をついた。

 私もまた、彼に何かを(いの)っている。エーカーと同じように。