A地帯

創作小説、ブロント語、その他雑記等。

アンジャスト・ナイツ3/Balance of power #15「Full House ②」

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 レイドの予想通り、彼と男達を乗せた車は警察署へは向かわなかった。

 両脇を黒服の男に固められ、十数分車に揺られたレイドが辿り着いたのは、古風なマンションの目の前だった。
 車は路肩で停まり、黒服の男が降車するよう促してくる。

 レイドは、おもむろに車から降りると、辺りを一瞥(いちべつ)する。
 先程のバーの店先よりも、いくらか人の気配がある場所だった。車道の反対側には小さな公園があり、子供が4人砂場で遊んでいる。少し離れたところで見つめる2人の女性は母親だろうか、肩を並べて談笑している。その傍の歩道を、老翁が杖をついて歩いていた。

 この場所で荒事は起こせない。もとより荒事を起こす気は無いレイドだったが、改めてその事実を確認する。
 レイドの能力ならば、黒服の男達を一瞬で倒して逃げるなど造作もないことだ。周囲の人間が巻き込まれようと、考慮しなければいい。この場から逃れる為に人質として使うこともできるだろう。

 だが、それではエーカーのやり方と同じだ。
 目的の為に手段も犠牲も問わない方法など、到底受け入れることはできない。差し迫った危機がないのであれば、大人しくしているべきだろう。

 頭の片隅でそんな思案を働かせつつ、レイドは目の前のマンションへと向かう。黒服の男達も周りに不審がられることを恐れてか、レイドと共に後部座席に乗っていた2人だけが、彼に追従した。
 マンションは周囲のものより一際高く、一見したところ7階はある。しかし、かなり古くに建てられたものらしく、表面のコンクリートは明るさを失い、漆喰で応急修理したような箇所も見受けられた。入り口の上に埋め込まれた「ロイヤル・ローン・ビルディング」と書かれたプレートが、皮肉にも思える(すた)れ具合だった。

 中に入ったレイド達は、大理石の床を横切って、昇降機へと乗り込む。
 これも一昔前のもので、黒服の男は「6」と書かれたボタンを3度、「CLOSE」のボタンを4度押す羽目にあった。
 昇降機は、不安になる振動と共に、上階へと向かう。途中、子供と母親が乗り込んで、一つ下の階で出て行った。

 6階に到着し、廊下を中ほどまで進むと、木製の扉の前で止まらされる。
 部屋番号の下にはっきりと「空き部屋」と記されていること以外は、何の変哲も無いマンションの一室だった。

「入れ」

 黒服の男は、冷たい声で言い放つ。

「ノックは必要ですか」

 レイドの冗談は無言で流された。

 扉を開けると、殺風景な部屋が姿を現す。
 家具はなく、木製の小さな丸テーブルと椅子が部屋の真ん中に置かれている。壁紙は最近になって張り替えられたのか新品で、清潔感はあるが古めかしい外観とはミスマッチだ。カーテンは取り付けられておらず、ガラス張りの窓から赤みがかった空が見えた。

 しかし、何よりもレイドの目を引いたのは、こちらに背を向けて窓の外を見ている先客だった。
 2m近い長身の男は、首から上を白い長髪で隠し、室内だというのに首から下を黒いコートで覆っている。レイドはその形貌にはっきりと見覚えがあった。



 訪問に気づいたのか、先客はこちらをゆっくりと振り返る。
 紅く、鋭い眼光。
 間違えようもない。数ヶ月前にセントフィナス王国で遭遇した、Mi6のエージェント。

「——リクヤさん」

 その名を呼ばれた男は、応じる代わりに木製の椅子に腰掛け、向かいの席を顎で示す。
 座れということらしい。

 レイドは言われるがまま、椅子に腰掛ける。
 自分を連れてきた男達は、いつの間にか姿を消し、部屋には2人きりになっていた。

「最初にあの店を当たったのは正解だ」

 席につくなり、リクヤは口を開いた。その視線は未だ窓の外を——レイドが先程訪れた酒場のある方角を向いていた。
 前回会った時には(つい)ぞ、自身がナイツロード所属であることは明かしておらず、エーカーとレイドを繋げるものは何もない筈だったが。どうやら、レイドがどこの所属で、どういう思惑でここに来たのか、この男にはとっくに知られているらしい。

「あの場所はグリーンラインと同等の非武装地帯だ。暴力に訴えず情報を引き出すのには最適と言えるだろう」

「さすがに、Mi6の本部に直接殴り込む度胸はありませんのでね」

 レイドは剣呑な冗談を飛ばしつつ、相手の表情を伺う。男の顔に変化はない。

「それで、僕をここに連れてきた理由は?」

 続く問いに、リクヤはゆっくりと視線を移す。
 紅色の双眸が、レイドの姿を反射させた。

「事が済むまで大人しくしていてもらう為だ」

「拘束……ですか。それも、イリガル・エーカーの指示ですか?」

「私の判断だ。付け加えて、任意同行と言って貰おう」

 リクヤはそう言ったが、間違いなくエーカーの意思が介在している、とレイドは確信していた。でなければ、このタイミングでレイドを拘束する理由がない。

 レイドは横目で窓の外を見る。空は既に赤く染まり、黒い(とばり)が姿を現しつつあった。
 黄昏は、エーカーが予告した本部の襲撃まで時間がないことを示している。

 一方で、この高層では周囲の人目がないことも確かだった。
 ここを離れ、本部に戻らなければならない——多少、荒いやり方になっても、だ。
 レイドはその目元に(かげ)りを落とす。

「……もし、力づくでも拒否すると言ったら?」

 レイドの言葉に、リクヤは視線を再び外し——なんの変哲もない壁を見やる。

「この建物は大戦の空襲後に当座しのぎで建てられたものでな。タワーブロックブームの遺物というわけだ。見ての通りいたるところで漏水や剥離が起き、補修工事も行き届いていない」

 レイドは眉を顰める。
 相手の言葉の意味が分からない。ただ時間稼ぎかと思ったが、それにしても話題の変化が唐突にすぎた。
 聞き手の疑念など構わずに、リクヤは独白を続ける。

「だが、家賃は駅近にしては安い。ほとんど満室だ」

 壁を挟んだ向こう側から、足音が聞こえた。

「隣の部屋は老夫婦が住んでいる。孫が持ってきたゴルフゲームに夢中で、最近はいつもこの時間になると遊び始める。反対側はウェストミンスター受験前の学生だ。この下の階はシングルマザーと兄妹の3人暮らしで、一番下の子供は2歳。上はフォークランド紛争で夫を亡くした寡婦が一人暮らし。たまに娘と孫が遊びに来る」

 さすがに情報部員だけあって、他人の私生活を調べ上げるのは造作もないようだった。リクヤはこのマンションの住人について、つらつらと並べ立てる。
 その意味を、レイドは徐々に理解してきた。

 前回のような、お互い様子見の組手ならばともかく、本気を出し合って競り負けることはないとレイドは自負している。相手も優れた兵士だが、法力も異能も持たないただの人間だ。炸薬を人型へと押し留めたような存在であるレイドの全力には、敵うべくも無い。
 ただし、それは無辜(むこ)の住民を巻き込むことを意味する。全力を出さずとも、このビルの脆さでは天井や床が抜けるかもしれない。だからと言って白兵戦では、前回と同じく決着がつかないだろう。

 しくじった。建物内に入る前に、事を起こしていれば——レイドは一瞬そんな後悔を抱いたが、それでもこの厄介な状況は脱せなかっただろうと思い至る。
 あの時点で逃れたとしても、大西洋上の本部に行くまでの乗物を確保するのには難儀するだろう。隠し武装のブースターも、グレートブリテン島を脱するだけの燃料はない。相手は国家帰属の公的機関だ。いざとなれば、軍を出張らせて海上を封鎖し、レイドを指名手配犯にすることもやってのけるだろう。
 その過程でレイドが抵抗すれば、どれだけの犠牲が出るか——少なくとも、目の前の男にとっては関心の無い事柄のようだ。なにせ彼は現在進行形で他人の、それも何も知らぬ一般人の命をベットしているのだから。

「自国民を人質に使うんですか」

 自らの立場も忘れ、レイドは椅子から立ち上がる。退()()きならない自分の状態よりも、相手のやり方に怒りを覚えていた。

「掛け金としては端銭だが、お前を降ろすのには十分な額だ」

 リクヤは平然と(うそぶ)く。彼は分かっているのだ——この青年に、目的と全く無関係の市民を危険に晒す度胸はない。
 そして、実際その通りだ——レイドは拳を強く握った。 
 傭兵相手ならば、苦もなく(たお)すことができる。殺し殺されるのが傭兵の仕事だからだ。その点は生来、事なかれ主義者のレイドも重々承知している。殺人を戸惑うようでは、この仕事は務まらない。
 だが何も知らぬ民間人を、自身の目的の為だけに犠牲にできるほど、冷血ではいられなかった。その一線を踏み越えた時、人の形を真似た自分は、真に人ではなくなり、化物に成り果ているのだという確信があった。
 ——そして、目の前にいるこの男は、既に化物なのだと理解した。

 胸中に沸き上がる葛藤を押し殺して、レイドは問いを投げかける。

「……エーカーが何をしようとしてるのか、知ってるんですか」

「傭兵同士の(いさか)いなど、我々には取るに足らない事柄だ。法力水爆が領海内で破裂するなら話は別だがな」

 ——この男はそこまで知っていて、エーカーを野放しにしているのか。

 レイドは、怒気を包み隠さず男を睨む。
 対するリクヤは視線を移して、再び窓の外を見やった。
 何かを惜しむような、どこか懐かしむような、そんな表情にレイドは見えた。

「人生最期の晴れ舞台だ。好きなようにさせてやるさ」

 沈みゆく夕日を眺めつつ、リクヤは低く呟いた。