A地帯

創作小説、ブロント語、その他雑記等。

アンジャスト・ナイツ3/Balance of power #7「Ground Zero①」

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「ドアインザフェイス、って知ってるか?」

 フェフ・フリートウッドはそう言うと、得意げに鼻を鳴らしつつレイドを横目で見た。

 昨日、話を途中で遮った反動だろうか。彼の薀蓄兼自慢話はこれで本日3度目だ。
 レイドは深い溜息を漏らすのをなんとか堪えつつ、フェフの顔を振り返る。

 交渉や商談を請け負うこともある以上、駆け引きの仕方は一通り頭に入れている。
 ——が、レイドはいつものように「知らないですね」と返した。

 フェフは、水を得た魚のように説明を始める。

「有名な交渉術の一つだ。交渉相手に無茶な要求を断らせておいて、本命の次の要求をするのさ。相手としては、断った罪悪感から次の申し出を承諾したくなる。いきなり本命の要求をするよりか、成功率が上がるんだ」

「南アからの事業撤退が建前の要求で、本命の要求がエーカー団員の暗殺ということですか」

「マァ、そういうことだ」

 なんの確証もなしに、フェフは手元の書類を纏めながら胸を張って断定した。

 レナがその説得技法を知っていたかはさておき、交渉の相手があの団長だということを忘れてるのではなかろうか。隣の男に悟られぬよう、レイドは胸中で大きな溜息をつく。
 南アの件が建前というのは、レッドリガとレナ二人の様子から見ても間違いはなさそうだが。

 そのまま会議室のデスクに重ねられた書類の一枚を手にとり、印刷された写真の髭面と睨み合った。

 レナの語った話が真実だとするならば、イリガル・エーカーはWDOにとってもナイツロードにとっても、暗殺されるに足る脅威だ。
 彼がWDOの機密事項を窃取したならば、どこかでその情報を悪用するかもしれない。たとえ悪用しなかったとしても、国際機関から最重要機密を盗んだ危険な男を、社に置いておける訳もない。国家帰属の諜報機関でも流行りの内部告発団体でもなく、ナイツロードは一民間企業なのだ。

 図らずも、エーカーは危険な男である、というレイドの予測は当たっていたということになる。
 だが——レイドはどこか腑に落ちないでいた。

 発覚した時のリスクは分かっているだろうに、何故このような危険な行為を犯したのか。
 レイドが調べても埃一つ出さなかった男が、何故WDO相手には簡単に尻尾を掴まれたのか。
 そのWDOも、何故エーカーの暗殺を自分達でなくナイツロードに委託するのか。

 そもそも、エーカーは何の為にWDOの情報を盗んだのだろうか。奴の目的が一向に見えてこない。

 それを知る為にはエーカーの身柄の確保が必須だが、一団員でしかないレイドには団長の下した暗殺命令は覆せない。
 何とかして、エーカーと対話できないだろうか——

「ちょっと、それどけてくれない?」

 考えに(ふけ)っていたレイドが我に帰ると、いつの間にか会議室に女性が入っていた。
 ベリーショートの金髪と白いタンクトップという装いを目にして、フェフの表情から笑顔が消し飛ぶ。

 ナイツロード本部警備分隊「カルンウェナン」隊長セーラ・ケンブル
 フェフやレイドと共に、WDO幹部来訪に際して責任者に任命された団員の一人だ。

 彼女が「それ」と言ったのは、フェフが会議室内に持ち込んだ雑誌の山だった。
 政治・経済・ゴシップ・ファッション・科学・オカルト——などなど、ジャンルの無節操さにはフェフの知識欲の高さが伺えた。知識の使い道はともかくとして、その興味の幅広さは見習うべきところだろう。
 ——どの道、セーラにしてみれば邪魔なモノでしかないが。

 レイドの予期通り、注意を受けたフェフは不機嫌そうに口を尖らせて拗ねる。
 セーラは、彼が頭の上がらない数少ない団員の一人だ。年齢はほぼ同じで共に隊長職なのだが、フェフは過去に女性関係で大火傷した経験があるらしく、気の強い女性団員に滅法弱い。おまけに、口喧嘩でも単純な腕力勝負でも、セーラの方が一枚上手だった。

 フェフが渋々雑誌を床に下ろすと、すかさず空いた場所にセーラが書類を載せる。

「イリガル・エーカー団員の情報はこれで全部?」

「ええ、助かります」

 デスクに出来上がったエーカーのプロファイルは、十年選手である一団員の経歴・任務履行歴・人間関係を纏めたものにしては、眇眇(びょうびょう)たる情報量だ。レイドが事前に彼の身辺を調査していなければ、書類の量は半分以下だっただろう。

 ——まさか、この情報を暗殺任務の為に使うことになろうとは。

 レイドは数枚の書類を手に取り立ち上がると、出入り口に向かう。

「オイ、どこ行くつもりだ」

 その背を、不機嫌な表情のままのフェフが呼び止めた。

「通信所です」

「通信? グーロにはもう掛けてみたんじゃ無かったか」

 レソトで立ち往生しているであろうグーロ達とは、未だに通信がとれていない。衛星から送信された位置情報が分かっているだけで、詳しい状況や安否までは不明だ。
 心配ではあったが、それで立ち止まっている場合ではない。今は自分ができることをやるだけだ。

「第3支部ですよ。エーカーの処断が決まった以上、こちらも手を打たなくてはいけません」

 レイドはフェフの方を振り向かず、声を低くして言った。

「用心は、多いに越したことはないですから」















「イリガル・エーカーの暗殺、か」

 ナイツロード第3支部通信所で、イクス・イグナイトはレイドの報告を受けた。
 イクスは眼帯をしていない方の目を細め、眼裏にエーカーの姿を思い浮かべる。

 多少の驚きはあったが、不思議には思わなかった。

 数回、エーカーと任務を共にして感じていたことだ。
 あの男は、いずれ危険な出来事をしでかす——そんな予感をイクスもまた覚えていた。遅かれ早かれ、敵対することになると。
 彼の暗殺を決定づけたのがWDOからの依頼であることは意外だったが。

「で、あんたが実行役か?」

 イクスの問いに、レイドはかぶりを振る。
 液晶端末の向こうのレイドの顔は、美術館に飾られる胸像のように整ってはいるが、これまでの激務とこの先の急務のせいで疲れ切っていた。
 いくら周囲から完璧超人と持て(はや)されているとはいえ、今の彼に暗殺任務は荷が重いだろう。

「こっちはこっちでやることがあってね。今、メイフォアさんの部隊がブリーフィングを受けている頃だ」

「『ソハヤ』が……」

 メイフォア率いる第三支部所属特殊戦闘小隊「ソハヤ」は、ナイツロードきっての隠密作戦部隊だ。
 特に暗殺任務を得意とし、数々の要人暗殺作戦を成功させてきた実力者達。標的一人に宛てがう相手としては、オーバーキルにも思える選出だった。

 だがエーカーの方も、態度こそ巫山戯(ふざけ)た奴だが、戦闘能力は高い。それはイクスも間近で見てきたからこそ、よく理解している。
 有する能力も単純かつ強力、能力抜きでも最低限の仕事はできる人間だ。たとえソハヤが出張るとはいえ、一筋縄とはいかないだろう。
 暗殺任務の成否がどう転がるか、イクスにも判断がつかなかった。

 返答に窮する代わりに、頭の中の疑問を口にすることにする。

「ところで、演習のほうはどうする。"用事は済んだ"のだろう」

「日程通り行うさ。そっちの様子はどうだい?」

 いつになく、悪戯っぽい笑みでレイドは問いかける。
 聞かずとも分かっている事だ。イクスはため息交じりに答えた。

「最悪だ。本部派遣の兵士が訓練中のトラブルで懲罰房にぶち込まれた。初日で2人もだ」

 それを聞いてレイドは——支部に兵士を派遣させた張本人は——苦笑した。

「想定内だよ。本部で暴れてくれなかっただけまだマシさ。『大事なお客様』に迷惑かけちゃいけないしね」

 民間軍事企業としてそれなりに体裁は整っているとはいえ、こんな職業柄だ。血気盛んな人間は多い。どれだけ兵士として優秀であっても、素行が悪ければ外部の人間——特に国際組織のお偉方の目には余るだろう。
 演習名目の支部派遣は、それを見越しての一手だ。実際にこうして一悶着が起きた以上、レイドの思惑通りだったといえる。

 ——が、此方に厄介者を送り込まれたイクスは納得がいかなかった。
 レイドによく聞こえるよう再度嘆息しつつ、質問を飛ばす。

「それで、なぜ俺に連絡を」

「ああ、これは個人的な依頼なんだけど——アルドロ団員を見張ってて欲しいんだ。そっちの支部に派遣されているだろう?」

 何故この状況でアルドロを——と疑問こそ湧いたが、イクスはその依頼を請け負わなくて済むことに安堵した。

 演習初日に懲罰房で謹慎処分を受けた2人、その内の1人がアルドロだからだ。
 イクスは現場を目撃したわけではなかったが、同じ本部派遣の団員に因縁をつけられたとかで、警護訓練そっちのけで喧嘩を始めたという噂だ。
 演習参加者と警備部隊が総掛かりで身柄を拘束するまで、喧嘩は数十分続いたという。

 元から、些細なことですぐに決闘を申し込んでは、打ち負かされるような奴だ。アルドロの性分を知っているイクスにとっては驚くことでもない、ありふれた出来事だった。
 ——むしろ、あのアルドロがそれなりにいい勝負をしていたことの方が驚きだ。

 ともかく、今頃は監房内で大人しくしているだろう。
 イクスが見張らずとも、懲罰房なら警備兵がいるし、監視カメラも設置されている。

「レイド、その必要は無い。何故なら奴は……」

 イクスの口が答えを紡ぎだそうとした時、部屋中に警報が響き渡った。
 けたたましいサイレンと共に、オペレーターの甲高い早口が耳へとなだれ込む。

「521発生、521発生、警備兵は至急区画90に急行せよ。繰り返す——」

 ——事案521は、第三支部内での拘禁者のトラブルを意味する。
 レイドとの通信を保ったまま、イクスはすぐさま隣の端末を操作して、警備チーム主任へ回線を繋ぐ。

「イクス・イグナイトだ。詳細を聞かせてくれ。……まさかとは思うが、アルドロじゃないだろうな?」

「そのまさかだ。アルドロ・バイムラート団員が脱走した」

 敢え無い報告に、レイドは目を丸くし、イクスは眉を顰める。

「見張りは給料分の仕事をしていたんだろうな?」

 イクスの疑念の篭った詰問に、警備主任は調子を崩さず返す。

「もちろん居眠りしてたわけじゃないぞ? 床で気持ちよく伸びてたのは確かだが」

「……アルドロがやったのか?」

 アルドロの能力を持ってすれば脱走も不意打ちも容易いだろうが、彼の性格からして、そんな真似をしたとは考えにくい。
 疑問を聞き咎めた警備主任は、声を低くして答えた。

「いや、脱走に協力した人間がいる。牢も外側からこじ開けられた形跡があった」

 ガタリ、と音を立ててレイドが身を乗り出す。昨日のヴァレンティナの忠告が、彼の頭の中でこだましていた。

「……エーカーの仕業だ」

 誰に言うでもなく、レイドは無意識に呟いていた。
















「おい、いいのかよ。何か鳴ってたけど」

 遠ざかる支部屋舎をバックミラー越しに見つつ、アルドロは隣の運転席に座っている男に尋ねる。
 二人を乗せたピックアップトラックは、ナイツロード第三支部を離れて山岳地帯を進んでいた。

「いーんだよ。こっちも急ぎだしな」

 車輌の振動でシルバーアクセサリーを揺らしながら、男はその外見に違わず軽い口調で答えた。
 アルドロの方も深くは考えず、そういうものか、と納得する。

「それにしても、支部でも喧嘩とはね。お前はホントブレないよなあ」

「先に喧嘩売ってきたのは向こうだ」

 男の笑いの混じった呟きに、ムスっとした顔でアルドロは答えた。

 彼の釈明は、ある意味では正しい。始めに言いがかりをつけたのは相手側だ。
 ただし、手を出したのはアルドロの方が先だった。そういう意味では、どちら側にも非はある。

 相手は、アルドロとは面識のない兵士だったが、エーカーやヴァレンティナに負けず劣らず口の悪い男であった。アルドロの反抗的な態度に口汚くケチをつけたのだ。
 一方、その態度が自然体であるアルドロは、何故喧嘩を売られたのか理解していなかった。ただ、売られた喧嘩を即座に買っただけだ。

 結果として牢屋に放り込まれたアルドロだったが、何故だか見知った顔に連れられて、現在に至る。
 自分が引き連れられた理由も、自分がしている行為が脱獄だということも、いまいち分かっていなかった。
 今は隣の男が語った目的だけで、頭の中が一杯だ。

「で、どこ向かってるんだ?」

「国連特別隔離区画——コソボ爆心地(グラウンドゼロ)さ」

 目的地を告げつつ、赤い短髪の男は——レイニー・フランダは口元に笑みを浮かべた。

「あのクソジジイはそこにいる」