A地帯

創作小説、ブロント語、その他雑記等。

アンジャスト・ナイツ3/Balance of power #13「Screwdriver②」

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 爆音を伴った破壊と共に、エーカーは重力のままに落下した。
 着地の衝撃を法術で軽減しつつ、降ってくる瓦礫を身をよじって躱す。
 砂塵に咳き込みながら立ち上がったエーカーは、緩徐(かんじょ)に辺りを見回した。

 だだっ広い空間、殺風景な茶色の地面。
 ナイツロード第二演習場だ。

 ふと、エーカーは先程攻撃を受けた自らの左手を見下ろす。
 絞られた雑巾のように捻れ、原型を留めていない腕を見て、思わず吹き出した。

「おいおい! 平団員相手に幹部が不意打ちとは、大人げないんじゃねぇの?」

 その様子を、エーカーと共に降り立った影——ヴァレンティナは怒りの篭った眼差しで見つめている。




「減らず口が。手よりも先に舌を捻じ切るべきだったか」

 言うが早いか、ヴァレンティナは瞬時にエーカーに肉薄し、その顔面に拳を叩き込もうとする。
 彼女の能力——「回転」の力の篭ったそれに触れれば、ヒトの体など瞬く間に捻れ、細切れになるだろう。法力で衝撃を受け止めたとしても、左腕のように只では済まない。
 エーカーはすんでの所で拳を躱したが、続く蹴りを右足に受けた。その衝撃のまま右足は数回転し、鮮血と共に弾け飛ぶ。

「ここに落ちたのが偶然だと思うか?」

 (うめ)き声すら上げさせてもらえず地に転がったエーカーに向かって、ヴァレンティナは高らかに(うた)う。

「てめえの能力は織り込み済みだ。ここに月の光は差さねぇし、壁を壊して逃しもしねぇ」

 エーカーの異能「イル・ムーン」は身体能力を大幅に強化させる代わりに、月の光を浴びなければ発動できない。日中では言うに及ばす、夜間でも屋内や月の陰る曇天時には能力は使用できない。当然、ヴァレンティナはそれを把握している。
 そして今、エーカーの身体も膂力(りょりょく)も通常時のままだ。能力は発動していない。

 エーカーは地面に寝そべった体勢のまま、ヴァレンティナに顔だけを向ける。その表情には笑顔が張り付いていた。

「全力を出せないのは、そちらも同じだ」

 エーカーの言葉に、ヴァレンティナは目を細めた。

「あんたが本気を出せば、俺はすぐにでも細切れになって海にバラ撒かれるだろう。ただしその時は、大事な団員たちも一緒だ」

 彼の言葉は正しかった。
 ヴァレンティナの有する「回転」の能力は、発動時間を延ばせば延ばすほど強力になっていくが、同時に周囲を巻き込む。(ひら)けた場所での一対一ならばともかく、多数の団員を抱えた本部施設内で全力を出すのは避けるべきことだ。
 その指摘に、ヴァレンティナは鋭く睨み返すことで答える。

「てめえごときに私が本気を出すと思うか? てめえは何もできず捻れ死ぬ、それだけだ」

「ああ——普段ならな」

 そう呟いたエーカーの身体が、青白く輝き始める。
 体の内側から急激な法力量の上昇が始まり、辺りの空気が振動した。暗闇に閉ざされた演習場が光源を得て、白く照らされていく。

 変化はそれだけではなかった。
 消し飛ばした手足の傷口から法力の塊が生成されていく。塊はその形状を変化させ、元の手足の形を成していった。

 再生している。

 ヴァレンティナは周囲を見回すが、月光はどこにも差していない。

 立ち上がったエーカーは、先程と変わらず穏やな笑みをこちらに向けている。
 すぐさまヴァレンティナは、手元の瓦礫に自身の能力を伝導させる。凄まじい回転力を伴った弾丸が、標的の右胸を貫いた。
 握り拳大の風穴は、しかし一呼吸のうちに復元され、元の胸板に戻ってしまう。

 ヴァレンティナは、敵意を増しながら問いかける。

「治癒能力があるという報告は聞いてねぇが……何より、どうやって能力を発動させた?」

「悪ィな、こちとら70年に1度の無敵モードなんだよ」

 冗談めかした言葉で——しかし真実味を帯びた声音で、エーカーは答える。
 同時に、エーカーは背後へと飛び退った。壁を破壊して屋外に逃げる気だ。能力を発動したとしても、幹部相手には敵わないと見ての逃走だった。

「させねぇぞ」

 ヴァレンティナは静かに声を荒げると、自身の能力を先ほどとは逆回転に発動させる。直ぐに瓦礫や地面を巻き込んで、巨大な渦が形成された。先程の指摘通り加減をしてのものだったが、相手の動きを妨げるにはそれで十分だった。
 渦に捕まり、エーカーは表皮を削られながら引き寄せられる。その勢いを利用し、ヴァレンティナに向けて展開した剣を振るったが、彼女の繰り出した手刀に簡単に弾き飛ばされる。
 そのまま手刀は相手の右手足を断った。再度地面に転がったエーカーだったが、すでに体は再生が始まっていた。

「能力の原理は分からんが、それが朝まで保つということもねぇだろ」

 ヴァレンティナは休む暇を与えまいと、連続で瓦礫を射出する。散弾と化した(つぶて)が、次々とエーカーの体を貫いた。
 にも関わらず、彼の表情からは笑みが消えない。 

「ご名答だ、さすが幹部サマは頭が回るな。それとも、年の功ってやつか?」

 軽口を叩くエーカーの顔面を、ヴァレンティナの拳が襲う。
 怒りの篭った鉄拳は、頭の中心を捉えた。まともに喰らった顔の上半分は捻れて粉々に千切れ飛び、下顎だけになったエーカーの体は、勢いよく後ろへ吹き飛んでいく。

 ヴァレンティナは手応(てごた)えの違和感に目を見開いた。
 体を飛ばさないように攻撃した筈だ。

 遠ざかっていくエーカーの体の前面、ヴァレンティナにつけられた無数の傷口から、漏れ出るように法力が発せられている。それが推力となり、まるで空気が抜けた風船の如く飛んでいるのだ。
 咄嗟にヴァレンティナは逆回転の渦を起こし、エーカーの体を引き寄せようとするが、間に合わない。あれほどの加速を行なっている物体の方向を変えるには、相応の力が要る。その為の回転力を発揮するには、少しばかり時間が足りない。

 エーカーの体は勢いよく演習場の壁に激突し、同時に法力が炸裂して穴を開け、そのまま要塞の外側へと投げ出されていった。


















 要塞外郭で警備業務にあたっていたセーラ・ケンブルは、ミサイル攻撃のものとは違う爆音を耳にした。

 壁が崩壊するような音。すぐ近く。本部外周西側からだ。
 セーラはジェネレーターの運用とレーダーの確認を部下に任せると、音のした場所に一人向かった。

 現場に駆けつけてみると、外壁に大穴が空いている。周囲に砂煙が舞い、瓦礫が散乱していた。
 シールドが破られたのか——と一瞬思ったが、壁面にミサイルが直撃したような被害ではない。瓦礫の飛び方からして、内側から破壊されたものだ。

 セーラは状況を(つまび)らかにしようと、穴に近づく。
 その時、天上の月が雲の切れ間から顔を出し——月光が、頭を失った遺体を照らした。
 
「なんだ、こいつ——」

 それを目の当たりにしたセーラは、息を呑んだ。
 職業柄、死体など飽きるほど見慣れている。が、仕事場である戦場で見るものと、自らの住居たる本部で見るものは別だ。スーツを着た人間の体は、瓦礫に埋もれ微動だにしない。体格からして男性なのだろうが、顔が吹き飛んでいるせいで誰かまでは判別できなかった。
 セーラが驚愕で立ち尽くしていると、砂煙の向こう側からヴァレンティナが姿を現した。

「離れやがれ!」

 ヴァレンティナの警告が耳に入ったのと、ひとりでに遺体が動いてセーラの体を縦に両断したのは同時だった。

 意識の途切れる刹那、セーラは立ち上がった遺体の頭が元通りになっていることに気がつく。
 細やかな部分は違ったが、間違いなく見覚えのある顔。この数日の間、書類で飽きるほど見た顔。
 それは、笑みを浮かべたイリガル・エーカーだった。

「クソが——」

 ヴァレンティナは悪態を吐きつつ、ありったけの回転でエーカーを引き寄せようとする。最早、周囲の被害など気にしている余地は無かった。
 要塞が振動し、外壁の穴が広がり、瓦礫が粉々に細断されていく。
 しかしエーカーの青白い身体は、渦の中に吸い込まれるどころか、要塞の外へと遠のいていった。

「さすがに撤退だ——あんたを相手取るのは、残機がいくつあっても足りないからな」

 エーカーの言葉は細く断続的になり、重力を無視して浮かび上がったその体は、徐々に透けていく。

「そんじゃあ、団長サマによろしく言っておいてくれ」

 そう言い残し、まるで海面に映る月に溶けるように、エーカーは姿を消した。

 ヴァレンティナは能力を止めると、エーカーが消えていった海面を睨んだ。
 海中に逃れた訳でも、透明化した訳でもない。
 移動能力——それもヴァレンティナが感知できる領域の外側まで、一瞬で到達できるほどの距離。治癒能力と同じく、奴のプロファイルにそんなものは無かった筈だ。

 ほどなく、騒ぎを聞きつけた警備兵と火力支援中隊が集っていく。

「一体何が……」

 駆けつけた内の一人であるフェフは、大穴の空いた外壁と、地面に転がっている同僚の無残な遺体を目にして、動揺を漏らした。

「エーカーが現れた。ミサイル攻撃も全てヤツの仕業だ」

 立ち尽くしていた幹部の言葉に、フェフは振り返った。
 ヴァレンティナは、エーカーの消えた場所を睨み続けている。視線を逸らさぬままに、彼女はフェフに向けて問いかけた。

「ヤツに刑戮(けいりく)を加えるのは後だ。状況は?」

「ミサイル攻撃は止みました。今、兵士を総動員させて被害の確認を急いでいます」

 ヴァレンティナは短く「そうか」と答え、沈黙を貫く。

 エーカーに痛い目を見させる——というのが団長からの命令であった。一方で、ヴァレンティナは見つけ次第即座に殺すつもりでいた。
 彼女がその結論に至るのも当然で、エーカーはWDOからの暗殺依頼の対象であると同時に、ナイツロードに対し宣戦布告を行なった裏切り者だからだ。そんな人間を生かしておけるはずがない。

 ヴァレンティナにしてみれば、悠長にエーカーを見逃したレッドリガの方が不審に過ぎた。 
 少なくとも、ヴァレンティナの知るレッドリガは、目の前に現れた敵を放っておくような人間ではないはずだ。我らが団長は、たとえ身内だった人間といえど、裏切り者に慈悲を与えるほど甘くはない。淡白だが合理的で、組織の存続を第一としてきた思考だからこそ、ヴァレンティナは彼を理解し、信頼できた——筈だった。

 まだ——私の知らない何かがあるのか。
 奴の能力にしてもそうだ。プロファイルと戦闘記録から鑑みても、エーカーの能力は単なる肉体強化・法力量増加の範疇に止まっていた筈だ。
 それが何故だか法外じみた能力になっている。無敵と称した奴の言は、あながち間違いでもない。なにせ手足を捥ごうが頭を吹き飛ばそうが、夜の間ならいくらでも無かったことにできるのだから。

 エーカーの言葉を思い出しつつ、ヴァレンティナはふと呟く。

「70年に1度……とは、何のことだか分かるか?」

「——はい?」

 予想外の質問に、尋ねられたフェフは調子外れな声を出した。
 しかしヴァレンティナの表情を見て、それが冗談の類ではないと思い至る。もっとも、彼女が冗談を言う時の方が珍しいのだが。

「戦闘中にヤツが言っていた。月光というトリガーをすっ飛ばして能力を発動しやがったのは、何か理由があるはずだ」

 ヴァレンティナの言葉に、フェフは頭の中の情報を総ざらいする。
 とは言っても、彼の知識は他人に自慢するものだけを集めた、俗気の塊のようなものだ。当然、情報の整合性やジャンルの統一性などは微塵もないものであったが。

 フェフの記憶の中で、一つの事項が引っかかった。
 それは先日、レイドに自慢しようとして、グーロの横槍で話しそびれた話題。

 ポンゾ錯視は、ヒトの眼に月が拡大されて見える錯覚を説明する際の、一つの仮説であり——
 その月に関して、近々何かが起こると——

 フェフは顔を上げた。

「近点満月……それも今年は特別で、月と地球が最接近するのが68年ぶりだとか……」

 フェフの言葉に、ヴァレンティナは恨めしげに天を仰いだ。

スーパームーンってやつか」

 視線の先で、青く(まる)い月は煌々と輝いていた。