アンジャスト・ナイツ3/Balance of power #23「Moonlight Cooler ⑦」
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「こちらイクス。管制を押さえた。標的もアルドロが排除したようだ」
イクスの報告に、フェフは大きく安堵の溜息を吐き、胸を撫で下ろす。
携帯端末の位置情報は、爆発効果範囲まであと数百メートルというギリギリのところを指し示していた。船外から砲撃音が聞こえてきた時にはどうなることかと思ったが、艦のコントロールがこちらの手中にあるなら、ひとまずの危機は去ったと言える。
ソハヤでも敵わなかったエーカーをアルドロが倒したという点は耳を疑ったが、潜入前の彼の決意に満ちた表情を思い出し、すんなりと納得した。彼には労いの言葉を掛けてやらねばなるまい。独断行動に対する叱責も一緒に、だが。
「了解、よくやった」
「アルドロの方は手当が必要だ。任せていいか?」
「分かった、先に離脱してくれ。こっちはひとまず、艦を本部から遠ざけるとしよう。ああ、本部に着いたら追加の人手を
フェフの指示に、短い了承の言葉を返して、通信は切れる。
制圧が終わったところで、仕事は終わらない。
海中戦艦の処分、人造兵共の処分、艦に満載している魚雷と法力水爆の処分、味方の被害報告。命令違反のボウズへの説教もある。まだまだやる事が山積みだった。
まずは、この艦の今の状況を把握するのが先決だ。周囲の安全を再度確認したフェフは、デルタへと目配せし、デルタが壁面に備え付けられている端末の入力装置に手をかけたところで。
突然鳴り響いたアラートによって、雑務に対する
今までとは明らかに音階の違うそれは、戦艦への攻撃や侵入者を伝えるものではない。乗員に即時の退艦を促すものだ。
「……オイ、まさか」
嫌な予感をしたフェフが呟くと同時に、デルタが即座に端末に飛びつき、艦内の状況を検索する。だが詳細を調べるまでもなく、これからこの艦に何が起こるかは判然としていた。
セキュリティは解放され、艦船外部への扉は無条件に開け放たれている。人造兵への指令網は完全に停止し、代わりに最大警戒レベルのアラートが反復して鳴り響いている。その只中で、艦内探査プログラムが一箇所だけ、法力
最上層の武器庫内。サッカーコートが丸々入るような、だだっ広い倉庫内の、その中心。
今、自分達がいる地点。
すぐさまデルタが傍の端末を叩くが、簡素な拒否音が虚しく響くだけだ。
「外部からの解除受け付けません! 」
悲鳴のような報告に、フェフは思わず苦笑いを浮かべる。
「エーカーの野郎……そう来るとは思っていたが……」
誰に言うでもない負け惜しみを吐き、警告灯で朱に染まった球体を見上げた。
法力水爆の自爆装置が作動している。恐らくは、エーカーの死亡を検知して起動するよう、プログラムされていたのだ。
球体は初めに目にした時と変わらず異様な静けさを保っているが、その内部では口にするのも
問題は、爆発の規模だ。
——このサイズの法力水爆が爆発したとして、被害範囲はどれだけになる?
果たして、ヴァレンティナ達が止められる程の威力に収まるだろうか?
フェフは脳内の薄い記憶と知識を探り、ブラックボックスの中身を推測しようとする。
直径10メートルほどの球体はあくまで内側を守る外殻であり、
だが黒色の外殻は目に見えて堅牢で、ちょっとやそっとの攻撃ではヒビのひとつも入りそうになかった。水中戦艦に搭載されている以上、深海の水圧にも耐えらえるようなつくりになっている筈だ。今の手持ちの装備では、これを破る術はない。
例え外殻を取り除けたとしても——残された時間で内部の解体ができるだろうか。一歩間違えば濃縮された法力がそのまま周囲に撒き散らされ、コソボの二の舞になるだろう。それでは爆破を止められたとしても意味はない。
しばらく頭をフル回転させていたフェフだったが、ふとそれが徒労だと思い当たる。
前例が無い以上、ここで当たりをつけても仕様がない。
水爆の威力が、ソドムの火だろうが鼠の屁だろうが、俺達にできることに変わりはない。
いや——俺ができることは、ただ一つだけだ。
脳内から現実世界へと意識を戻したフェフは、端末から管制の再奪取を試みているデルタに指示を飛ばす。
「能力を使う。お前はイクス達と合流して、すぐに艦から離れろ」
フェフの言葉に、デルタは問いで返す。
「何を——」
「周りの魚雷を増やす。できる限り多くな」
そんなことができるのか、という疑問は、デルタの中には思い浮かばなかった。
フェフが火力支援分隊の隊長職にあるのは、ひとえに彼が有する能力によるものだからだ。
無機物の複製。
1丁の拳銃を発射すれば、銃弾は2つに。2丁なら銃弾は4つに。この力を生かし、単純に支援砲撃を倍化することができる。一度対象物に触れれば、数メートル程度は離れていても能力は機能する。当然、模倣対象が大きいほど体力を消費するので乱用は禁物だが、短距離用対空ミサイル程度の大きさの物体なら、数十発は複製が可能だ。
だが——爆発物を倍増しにして、何になるというのか。
デルタが再度問う前に、フェフが自らの考えを口にする。
「ある衝撃に全く同じ衝撃波を反対から浴びせると、相殺して威力が弱まるらしい——ネットで知ったんだがな」
典拠はともかく、航空力学や爆発反応装甲における相殺原理は、デルタもよく知るところだった。
不安すぎる後ろの言葉は聞かなかったことにして、デルタは反論する。
「ですが、水爆規模の爆発を相殺するなんて——」
「ああ、これだけデカい代物だ。抑え込むには魚雷の量も配置も大事だ」
フェフは再度、眼前に聳える球体を見上げる。
「コトを誤れば、倍の威力になった衝撃波が本部を襲って一巻の終わりだ」
「どこかに緊急用の停止回路があるはずです。それが無理でも、船のコントロールを奪って本部から遠ざける方法も……」
デルタはなおも、別の手段を模索する。
無理もない。フェフの提案した手立てを実行するには、法力水爆の爆破と同時に複製した魚雷を炸裂させる必要がある。その為には魚雷の安全装置を解除し、点火する作業をすぐ側で行わなければならない。
それ即ち、彼の死を意味するからだ。
死の際に自ら立ったその当人は、デルタの提案に首を横に振る。
「必要ない。すぐ脱出しろ。あのジジイが、生半可な抜け道を残しておくと思うか? 」
フェフの語る通りだった。デルタの触れていたコンソール上で、大量に重なっていたウィンドウが次々と非表示になる。
内部制御システムが自己消去を始めていた。艦の姿勢制御、航行制御、艦内温度調整、照明の明滅から小窓一つの開閉に到るまで、全ての機能が消されていく。喧しく鳴り響いていたアラート音すら、ぶつ切りに途切れた。
肝心の法力水爆の時限装置は、あの球体の内側でスタンドアロンに切り替わっているのだろう。解決に至る道筋を探すどころか、道筋そのものが全て通行止めになったも同然だった。管制を取り戻せなくなった以上、フェフの策以外に有効な手立ては無い。
しかし、まだ他に手が——
頑なにそう口にしかけたデルタだったが、フェフの顔を目の当たりにして言い淀んだ。
彼の顔は、既に命という賭け金を胴元の前に置いたような、覚悟を決めた面構えだ。最早、この男にどんな言葉を投げかけようと、勝負から降ろすことは叶わない。
もう存在するかも分からない解決策を探して全滅するか、一人の男の死で他の仲間の生存確率を上げるか。
「少年」は選ぶことができなかった。
だが、「兵士」は片方を選択した。
デルタは、苦虫を噛み潰したような表情で俯くと、背を向ける。
「——すみません」
悲痛な声を隠さず、背中越しに深く謝ると、船外に繋がる階段へと姿を消した。
「謝るなよ……優等生だな、全く」
既に魚雷の複製を始めていたフェフは、去り行くデルタの背を見送りながら、困ったように笑った。
ナイツロード本部は相も変わらず、蜂の巣を叩いたかのような喧騒ぶりだった。
アルドロが提案し、ヴァレンティナが承認した敵戦艦への砲撃は、予定通りに行われた。撹乱目的である閃光弾の第一射と、本命たる法力フレシェット弾の第二射による連撃は、ヴァレンティナの命じた作戦通りだ。砲撃直後に戦艦の航行が停止したことも確認できている。
だが、その後潜入部隊がエーカーを仕留め切れたのかに関しては、まだ判然としていない。幹部達も厳戒態勢を解かず、配置についたままだ。
後備えの第三射である対艦ミサイルの装填が進められ、兵士と輸送機がごった返す中、本部から1機のヘリが飛び立つのを咎める者は誰ひとりいなかった。
外界とは打って変わり、ヘリの機内は静穏そのものであり、ローター音の反響が場違いに思える程だった。
機内には兵士が三人、押し黙って座している。目に見える武装は肩に提げたライフル一丁で、着用している白い軍服はナイツロードのものではなかった。
その中に佇む少女——レナ・ブルシュテインは、ガラス越しに黒い海面を見つめている。彼女もまた無言だった。
奇妙な沈黙を裂くように、壁に取り付けられた無線機が鳴り響き、兵士の一人が手を伸ばす。
受話器の向こうの相手と一言二言会話を交わした後、兵士はレナに顔を向けた。
「バレアがパッケージ・ロメロを確保」
兵士が口にした
「劣化率は?」
「80%ってところでしょうか。まぁまぁ危険域みたいです」
「では中継所で合流し、そのまま届先まで梱包を輸送。修理は途上でやります。残りの部隊は帰還するよう伝えて」
「チャイムはどうしますか?」
受話器を持っているのとは別の兵士が尋ねる。その手には、折り畳み式の携帯電話が握られていた。
「私が押しましょう」
レナは携帯電話を取り上げると極めて事務的に返答し、兵士達はそれに頷く。
兵士が無線機を元ある場所に戻すと、
レナは再び海面に視線を向ける。その表情はどこか安堵しているようにも、もの憂げにも見える。
「当人は心底嫌がるでしょうけど」
ふと、少女は誰に言うでもなく、そう呟いた。