A地帯

創作小説、ブロント語、その他雑記等。

アンジャスト・ナイツ3/Balance of power #6「Lena②」

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 ナイツロード本部最上層に位置する団長室は、レイドがいつか訪れた時と全く変わらず、書類棚からペン立てに至るまで小綺麗に整頓されていた。
 室内の隅々に至るまで埃の一片もなく、大西洋を臨む窓は鏡のように磨かれている。天井の蛍光灯は空間一帯を満遍なく、白く照らしていた。極限まで生活感を排されたその部屋は清潔ではあったが、部屋主の人物像も共に拭い去られているようだ。
 ただ一つだけ、デスクの上に置かれた白いグラジオラスの生け花が、この部屋の——この洋上要塞の主を示すモノとしてしめやかに存在していた。

 いつも座っているそのデスクではなく、応接用のソファに腰を下ろしたレッドリガは、机を挟んでレナと対面する。

 片や、銃を握ったこともなさそうな見た目の少女。
 片や、人の生死をビジネスとする傭兵組織の団長。

 部屋が整っているだけに、そのアンバランスさがより浮き彫りになっているようにレイドには感じられた。
 紅茶を淹れ、二人の前に供し終えたレイドはすぐに退室しようとするが、レッドリガの挙げた手に制される。

「レイドさんもご一緒に。別段秘密の話というわけでもないので」

 確かにこの二人が何を話すのかは興味があったが、まさか同席を許されるとは思っておらず、レイドは面食らう。同時に、秘密でないのなら書状や架電で済ませれば良いものを、何故組織のトップが直接出向いて来たのだ——と頭の中の疑問を禁じ得ない。

 言われるがままレイドがレッドリガの後方に控えると、同じくレナの背後に立っていたドレスの女と目が合った。
 女がウインクして来たので、思わず目線を逸らす。
 レナとは違い、役員名簿に記載のあった人物では無い。名前も役職も分からないが、レイドが苦手とするタイプの人間であることは確かだ。そもそも大事な会談の場に、肩と背中を露出したドレスを着て来るあたり、常識ある大人とは思えなかった。

「それで単刀直入に訊きますが——ご用件はなんでしょう? 『Q(クイーン)』」

 こちらのやり取りは気に留めず、レッドリガはいつになく演技がかかった物言いで、少女に語りかけた。

「その役職名は撤廃されました。私のことはただ、レナと呼んでくれれば結構です」

 透き通るようなソプラノの、しかし毅然(きぜん)とした声で少女は答える。
 この団長を前にして態度を崩さないあたり、肝が座っているな、とレイドは胸の内で拍手を送る。
 対するレッドリガは困るような素振りもなく、口元に笑みを湛えたまま問い直した。

「では改めて——レナさん。ご用件は」

 その名を呼ばれた少女は、それまで伏し気味だった顔を正面へと据える。
 金色の双眸(そうぼう)が、レッドリガの姿を捉えた。



南アフリカでの事業から手を引いて頂きたい」

 レナがそう言ったのと、ヴァレンティナが団長室の扉をノックもなく開け放ったのはほぼ同時だった。

 途端に、部屋中に肌を刺すような殺気が満ちた。ヴァレンティナから発せられたものだ。
 レイドが昨日会った時とは、明らかに雰囲気が違う。
 会談中のことなどお構い無しに、ヴァレンティナはレッドリガの側まで足早に近づき、報告する。

「南ア国防軍との共同実地試験が取り止めになった。グーロ達のヘリがレソトで足止めを食ってる」

「何だって」

 思わず声を上げたレイドを流し見つつ、ヴァレンティナはその猛禽のような眼差しをレナへと向ける。
 目が合えば大の男でも失禁すること請け合いの、威圧感を伴った視線だ。

国防軍は、てめえらの差し金だと主張しているようだが?」

 敵意を隠さず問いかけられた少女は、しかし少しも動じることなく答える。

「事実です。ここに来る前に、国防長官へ通達いたしましたので」

「何故……」

 そこでヴァレンティナは少女から目線を外し——ドレス姿の女に視線を移した。

「……てめえ、フィニア・アーデルハイトか」

 ヴァレンティナの目が、更に鋭く尖る。
 その名を呼ばれたドレスの女——フィニアは、さも不思議そうに肩を竦めた。

「あら、会ったことあったかしら。貴方みたいな強烈なヒト、一度会ったら忘れないハズだけど」

「そんなことはどうでもいい。何故Mi6の諜報員がここにいやがる」

 ヴァレンティナの口にした組織名にレイドは絶句し、ドレスの女に目を向けた。
 確かに、軍人というよりはスパイという肩書きの方が似合う女性ではあるが。一国の諜報機関の人間が、さも国際機関の一員かのように同行してきたのは、確かに不可思議にも程があった。
 レイドもまた、無言でフィニアの回答を待つ。

「それ、いつの話? 今はレナちゃんの要請でWDOに出向中なの。有能美人秘書ってやつよ」

 ごく端的に理由を述べて笑顔を見せるフィニアだが、その目は笑っておらず、ヴァレンティナを見つめ返している。
 二人の間で一瞬、火花が散る様子がレイドの目に映った。

「……それで、レナ司令。手を引けというのは、具体的に我々は何をすればよろしいのですか」

 二人の間に険悪な雰囲気が立ち込め始めたのを悟り、話題を戻す意味でレイドはレナに聞き直す。フィニアの素性には確かに興味があったが、爆発寸前の火薬庫に喜んで飛び込むほど向こう見ずではない。

「全面的に事業撤退して頂きたい、ということです」

 レナは依然として鉄面皮を保ったまま、要求を口にする。

 ——こっちはこっちで、危険地帯だ。
 まるで地雷原に裸で投げ出されたような心持ちで、レイドは彼女の二の句を聞いた。

「確かにあの場所はPMSCsの需要が高い。内紛の熱が冷めやらぬ土地ゆえ、あなた方向けの依頼が多く存在していることは認めます。しかし南部アフリカには既に、ヨハネスブルグのエンフォース・インソーシング社やハラレのルージュ・ロボス社を筆頭に、数多のPMSCsがひしめき合い、微妙な力関係の上に成り立っている。表沙汰にこそなってはいませんが、武力衝突も少なからず発生している。そこに業界大手のあなた方ナイツロードが断りもなく参入すれば、現地の混乱は免れない」

 表情の冷静さとは裏腹に、レナの弁舌には熱がこもる。

「それに、国軍との折り合いの問題もあります。自国の治安維持を民間企業に委託することを、快く思わない人間もいる。今回の実地試験も統合作戦機関の決定を飛ばし、一部将校の独断で行われる予定だったそうですね」

 そこで言葉を切ったレナは、未だに薄ら笑みを絶やさないレッドリガへ視線を向ける。

「ブーゲンビル紛争の一件を知らぬ貴方ではないと思いますが」

「とんだ言いがかりだ、それは」

 レナの言葉尻を断ち切って、ヴァレンティナがにべもなく言い放つ。

「今回の共同兵器開発は、あくまでうちの会社の傘下企業が主体で行なわれてるモノだ。ルナを派遣したのも技術顧問としてであって、兵士としてじゃねえ。確かに、南アでの事業拡大の足がかりとしての側面はあるが、それも今すぐってワケでもねえ。それをてめえらは、他社のシマに殴り込みにいくものだと早合点してやがる」

 そこでヴァレンティナの目が、少女からドレスの女に向く。

「こちらとしては、てめえらの方がキナ臭いがな。南アはとっくに独立したとはいえ、コモンウェルスで英国と繋がりがある。それに、さっき名前が出た民間軍事企業2社はどちらもローデシアSASの退役軍人が社長、つまりはてめえのシマの人間だ。英国は南半球への足がかりを失わない為にも、南アを完全に手放す訳にはいかない。フォークランドを見張るという意味合いでもな」

 乱暴に言葉を並べながらも、ヴァレンティナの視線はフィニアに注がれたまま微動だにしない。

「——聞き捨てならないわ。英国が、独立した国際機関たるWDOの権限を利用しているとでも?」

 フィニアが笑顔の仮面を外すことなく、不機嫌そうに問う。対するヴァレンティナは、肯定の意味で鼻を鳴らし、続ける。

「私は事実を言ってるだけだ。それにWDOの権限も再編時の分散後、その大部分が英国の発言力が強い組織に回ってるじゃねえか」

「憶測でものを言うのは頂けないわね。私の知る限りでは、多剤耐性菌の研究目的でWHOが一番資金と資源を多く持ってったわ。医療の行き届いていない途上国ならばともかく、それが英国の利益に直結するとでも?」

世界保健機関か。確か一個前の事務局長がスコットランド人だが、ヤツの次の勤め先はどこだったか?」

 ヴァレンティナの指摘に、フィニアの表情から笑顔が消える。
 わざわざ言うまでもなく、母国に出戻りした彼の、今のポストは英国外務大臣。英国情報部Mi6はその管轄にある。

 部屋に、重く長い沈黙が訪れた。

 昨年のWDOとテロ組織の癒着騒動も、英国情報部の一部隊が主導して解決したものだ。英国——とりわけ、情報部とWDOが密接に繋がっているのは間違い無い。かつてのテロ組織ほどの関係ほどではないにしろ、WDOが英国に対して頭が上がらない状態だとしてもおかしくはなかった。
 そして——ヴァレンティナの推測が全て正しいのだと仮定すれば——英国はWDOの権限を隠れ(みの)に、ナイツロードの業務拡大を妨害するつもりだ。理由は単純で、自国の息のかかった企業を失いたくないから。
 もし、ナイツロード側がこの要求を呑まないと言えば、WDOや英国との関係は急速に悪化。最悪、国際機関と先進国を相手取った戦争だ。負ければ当然会社は潰れ、勝ったとしても国際世論の(そし)りは免れない。まず間違いなく、ナイツロードは規模縮小を余儀なくされるだろう。

「レナさん」

 静寂を破ったのは、この部屋の主人だった。
 レッドリガの呟きはあくまで穏やかなものだったが、そこに他者を慮るような温かさはない。むしろ、室内の温度が急激に下がったような感覚にさえ陥る。

 言葉の芯に冷たさを宿したまま、レッドリガは二人の客人を視界に捉えた。

「貴方達とは是非、良い関係でいたいと思っています。しかし南アフリカ国防軍との兵器共同開発は、予てから特に力を入れてきた事業のひとつです。我々としては、貴方の要求を二つ返事で了承するわけにはいかないのですが——」

 そこでレッドリガは足を組み、口端を上げた。

「——あるのでしょう? 代わりの要求、二枚目のカードが」

 厚顔ともとれる口調でレッドリガが言い放ったのを確認したレナは、静かに息を吐く。
 まるで何らかの儀式が終わったと言わんばかりに、肩の荷が下りたような様子だった。

 レナが目配せすると、フィニアは携えていたアタッシュケースからいくつかの書類を取り出し、机の上に滑らせた。

「……あなた方に任務を一つ依頼します。この任務が達成されるのであれば、南アでのナイツロードの活動には目を瞑らせてもらいましょう」

 レナは平然と言ってのけた。つい先程まで、あれだけ南アにナイツロードが進出することの危険性を説いてきたというのに。
 その代替となる任務とは、一体どのようなものなのか。机の上に並べられた書類を、レイドは覗き見る。

 でかでかと「極秘」の判が捺された書類は、ただ一人の兵士の情報で埋まっていた。

「これは……」

 レイドは思わず驚きの声を上げた。ヴァレンティナもまた、声にこそ出さなかったがレイドと同じ感情を抱く。

 見覚えのある、不健康そうな男の顔写真が、紙面に印刷されていたからだ。

「イリガル・エーカーという兵士。貴方の会社に所属する傭兵で、間違いありませんね」

「ええ」

 レナの問いに、レッドリガは実直に肯定する。

「彼はMi6の特殊作戦執行部(S O E)にも所属している。ナイツロードに入団したのとほぼ同時期です。そのことは?」

「それは初耳ですね」

 今度は素知らぬ様子で誤魔化した。当然、Mi6にスパイとして潜り込ませています、と真実を話すわけにもいかないのだが。
 堂々とした態度のまま偽りを口にする団長を、事実を把握しているレイドは白い目で見る。

 レナは構わず説明を続けた。

「既にご存知だと思いますが、Mi6の特殊作戦執行部は昨年の騒ぎの際にWDO本部へ潜入し、前司令官をはじめとした実行犯の無力化に成功した。事件の解決は彼らによるものが大きい。イリガル・エーカーも、この作戦に参加し本部施設内に立ち入っている」

 資料を指し示しつつも、レナの視線はレッドリガへ向いている。その目が鋭く細められた。

「その際に彼は、我々の機密情報を窃取した疑いがあります」

「機密とは?」

 レッドリガがすかさず尋ね、レナが答える。

「WDOの実質的な本部であり、最大の矛たる海中移動戦艦。その性能諸元と構造、防衛システムです」

「ほう、『ゾティーク』の……」

 さも興味深そうな態度でレッドリガは顎髭をさすり、呟く。レイドにとっては初耳の単語だった。
 その様子を慎重に眺めつつ、レナは説明を続ける。

「近く、何かしらの動きを見せるでしょう。問題が起きる前に彼の身柄の確保——いえ」

 レナはそこで言葉を切った。

 ふとレイドがその表情を見ると、彼女の目線は伏せられ、まるでそれまでの鉄面皮が嘘のように強張(こわば)っている。俯いたレナの影は、書面に載った男の写真を黒く覆っていた。

 まるで、核ミサイルのボタンを押すかのような面持ちだ。

 ——まさか。
 果たして、悪い予感通りに少女は言葉を継ぐ。

「——この男の暗殺をお願いしたい」