A地帯

創作小説、ブロント語、その他雑記等。

アンジャスト・ナイツ3/Balance of power #18「Moonlight Cooler ②」

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 冷たい潮風がアルドロの頰を撫でた。

 ナイツロード本部から数十km離れた海上は、水平線に浮かぶ夕日に照らされて、その表層を朱色に染めている。波はひどく穏やかで、アルドロ達の乗った魚雷艇は多少上下するものの、陸地が恋しくなるほどではない。初冬故の肌寒さはあるが、海上ということを鑑みれば、気温は高い方だ。周囲には魚影もそれを狙う海鳥の気配もなく、そのことが船の乗員達に、この先起こる嵐の前触れを予感させた。

 その船上で、アルドロは潜水用のドライスーツを身に纏う。ウエイトやバルブといった機構を排し、代わりに法力により水中での推進と装着者の保護を行う、ナイツロード謹製の代物だ。

「まさかお許しがでるとはなぁ。それも、あのヴァレンティナさんから」

 その隣で、フェフが同じくスーツを着込みながら、遠い目で呟いた。
 アルドロはその言葉に振り向きはせず、ただ目を走らせてフェフの方を流し見る。

 アルドロの参加を、フェフを含むほとんどの団員は即座に反対した。本部施設の存続が危ぶまれる状況で、一団員の我儘(わがまま)を通すほど、余裕はない。
 それを覆したのは、ヴァレンティナの発した鶴の一声だ。

 曰く、「置いて行ったら、コイツはきっと今までに無いほど暴れ回るぞ」とのことだった。
 平時ならばともかく、今のこの混乱の最中で、さらに混乱の種が増えるのは避けたい。加えてこの少年は、一度や二度突っぱねたところで素直に引き下がるような往生際の良さは持っていない。内輪揉めにエネルギーを浪費する余裕もない。

 仕方なくフェフはアルドロの同行を許可し、今に至る。

「許されてなくてもオレは行くつもりだったけどな」

「そいつは困る」

 フェフは笑ってアルドロの顔を見たが、真顔のままだ。その視線は海中——これから向かうべき戦場へと注がれて離れない。

 アルドロという兵士の噂は飽きるほど耳にしていたが、フェフがその姿を見たのは今日が初めてだった。
 そして思う——噂と実物、あまりに乖離し過ぎてはいないか、と。
 演習場で誰彼構わず喧嘩を売っては返り討ちに遭うという評判から、どうやったら目の前の戦士が出力されるというのか。この短期間のうちに何かがあったのだと、それだけは推測することができた。

 アルドロの表情を見て、フェフも口端を平坦にする。

「……お前はイクスと一緒に、エーカーを相手しろ」

「了解」

 フェフの命令に、アルドロは短く答える。

 アルドロの変化を、同船しているイクスやデルタも気がついた。以前に任務を共にした仲だからこその察知だ。普段なら血気盛んに敵へ向けて駆けるような少年が、今日は驚くほどに静かに、しかし見たことのない闘志を滲ませている。しかも相手があのエーカーというのならなおさら、その静謐(せいひつ)が奇妙に思えた。

 各々はそれを茶化すでもなく、理由を訊くわけでもなく、ただ黙って己の仕事に戻る。他人の変化に気を留めるほど、時間にも精神的にも余裕はない。
 重い沈黙が続き、緊張と不安が頭をもたげてきたところで、船載モニターに張り付いていた部下の一人が声を上げた。

「隊長、船影を確認しました。本船直下通過まで約2分」

「よし、行くぞ」

 フェフの合図で、メンバーが次々と船外へその身を投げた。水飛沫を跨いで、視界が海中へと移り変わる。
 同時に、足止めの為の魚雷が放たれ、海底に向けて降下する。

 背面の装置から法力が放たれ、兵士達は海底へと下っていった。
 夕日に照らされていた表面に反し、海の中は不気味なほどに暗く、やはり魚影は見当たらない。
 魚雷の第一射が海底に突き当たったのか、鈍い音と衝撃が潜水服に伝わった。水中における爆発の圧力波は恐ろしいものだが、今はスーツに備えられた法力発生装置が衝撃を軽減している。ただ、装置の稼働時間にも限りがある。可及的速やかに敵潜水艦を見つけ出し、取り付いて内部に潜入する必要があった。

「何か来るぞ!」

 無線からフェフの叫びが聞こえたのと同時に、下方から対艦魚雷が放たれ、アルドロ達のすぐ傍を通過していった。
 直後、頭上ですさまじい振動が起こる。魚雷艇が攻撃を受けたのだ。アルドロが見上げると、青い海の中で爛々と輝く赤い炎が確認できた。

「撤退しろ!」

 フェフは無線を通し、船上にいる部下に向けて叫ぶ。

「了解、ですが、もう一発だけ!」

 ノイズ混じりの部下の応答と共に、再び直上から魚雷が降下する。海底に当たり、激しい振動を巻き起こす。

 ——否、それは海底ではない。

 兵士たちがライトで照らした黒い地面は、プレート運動を数百年単位で早送りにしたかのように、ゆるやかに移動している。
 その地面の一部がめくり上がり、魚雷を6発吐き出した。

 海底に見えたそれは、鯨のように巨大な潜水艦だった。
 アルドロは、その上部構造に見覚えがあった。鉱山の中で目にした巨大戦艦。水面に顔を出していた部分に間違いない。

 再び頭上で振動が起こる。先ほどよりも大きい。赤い炎が更に広がり、水面を覆っていく。
 その様子を見上げていたフェフは無線に向かって呼びかけるが、応答はない。
 フェフは歯噛みすると、視線を下ろし海中戦艦へと向き直る。戦艦はなおも移動を続けていたが、先ほどよりも明らかに速度が落ちていた。
 取り付くならば今しかない。

「あそこだ」

 イクスはエアロックの位置をレーザーポインターで指し示す。艦後方にドライデッキ・シェルターが備えられており、そこから出入りができる仕組みだ。スーツの推進出力を最大にし、水中で加速した兵士達は、なんとか船体に張り付いた。
 周辺にトラップの類がないことを確認したイクスは、スイッチを操作してハッチを開けつつ、フェフと顔を見合わせる。お互いに、疑念と危惧の感情を表に出していた。

 エーカーは狡猾な男だ。不真面目な態度とは裏腹に、その内側では策謀を巡らせている。今回の件がいい例だ。あらゆる人間を騙し欺いて巨大な戦艦と人造兵を作り上げ、大手企業たるナイツロードに単独で宣戦を布告し、少なからず損害を与えてみせた。

 そんな彼が、簡単に懐への侵入を許すだろうか。
 外部からの攻撃の(ことごと)くを拒絶する、鉄壁の水中戦艦。それを止めるには、内側へ侵入してコントロールを奪うしかない。それはエーカーの方も分かっているはずだ。だが、戦艦の唯一の出入り口たるこの場所には人造兵の待ち伏せどころか、ブービートラップの一つもない。まるで、こちらを招き入れているかのような不気味さがあった。
 しかし、ここまで来た以上、退く選択肢はない。部隊の退却や全滅は、即ちナイツロード本部の喪失を意味するからだ。兵士たちは意を決し、そのままエアロックを通って潜水艦内部に侵入した。



















 再圧チャンバーを通り抜け、内部施設へ通じるドアを開いたところで、(ようや)く警報音が響き渡った。

 潜水スーツを脱ぎ捨てた兵士達は、休む暇もなく内部を駆け出す。通路は予想以上に幅が広く、航行速度の割には揺れもない。ともすれば、海中にいることを忘れさせるほどだ。幸か不幸か、艦内で反響し不自然に間延びした警報音が、自分達の状況と任務を思い出させてくれた。

 駆けながら、フェフは腕に取り付けた小型端末を起動し、地図を開く。WDOが所有している実物の図面だ。

「位置関係はさほど変わらないな——ならば」

 フェフは顔を上げる。

「指令室は第3層後方部だ。おそらく、エーカーはそこにいる」

「法力水爆はどこに?」

 デルタの問いに、フェフは首を振った。

「最上層の武器庫か魚雷発射管室だと思うが……実物には載ってない代物だからな。そこに行けば確実にあるってわけじゃない」

 フェフの言葉を継ぐ間も無く、曲がり角から人造兵が数体現れ、道を塞いだ。

 イクスは先行して来た人造兵の頭部を銃弾で吹き飛ばす。
 フェフも、拳銃を引き抜き放つ。2度の銃声で、4体の人造兵が倒れる。
 デルタとアルドロは、後方から迫っていた人造兵を振り向きざまに切り倒した。人造兵から漏れ出たオイルが瞬く間に、血のように辺りを黒く染め上げる。

 やはり、研究所で相対した個体よりも脅威度は低い。耐久も攻撃性も、以前のものとは比べるべくもない。それでも、頭数ではこちらが不利だ。物量で押し潰されれば、為す術もなく全滅するだろう。

「迷っている暇はないぞ」

 念押しするイクスに、フェフは答える。

「ああ。まずは武器庫を当たってみる。お前達は管制室を抑えてくれ」

 定期的に襲い来る人造兵達を蹴散らし、下層と上層を繋ぐ階段へ差し掛かったところで、フェフとデルタは階段を登って姿を消す。

「俺たちは下だ。離れるなよ、アルドロ」

 イクスはそう言って振り返ったが、アルドロの姿がない。
 つい数秒前まで背後について来ていた筈だ。迷子になるには早すぎる。

「アイツ、まさか——」

 イクスは自身の足元に伸びる影に目をやる。
 艦内は天井の蛍光灯と足元の灯で明るく照らされていたが、完全に影が消えるようにはできていない。人一人が入る大きさの影ならば、奴の能力は発動できる。

 イクスは小型端末を取り出し、フェフへ通信を繋げる。

「フェフ、早速だがトラブルだ。アルドロが抜け駆けした」

 通信機の向こう側で、大きなため息が聞こえた。