A地帯

創作小説、ブロント語、その他雑記等。

アンジャスト・ナイツ3/Balance of power #3「Godmother③」

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「チキショー、どうして勝てねぇんだ!」

 手狭な医務室に響き渡る大声で、アルドロは己の無力を呪う。と言っても、今回ばかりは相手が悪過ぎただけなのだが。
 練習試合にも関わらず、服も体もズタズタにされたアルドロだったが、意識を保っていられるだけまだマシだった。アリーサの方といえばヴァレンティナの一撃で完全に気を失い、全身に包帯を巻かれて寝台に横たわっている。しばらくは満足に歩くこともままならないだろう。

「しっかし、やっぱ幹部は強えんだな!」

「まぁな」

 特に感慨もなくアルドロの言葉に相槌を打ったヴァレンティナは、アルドロの傷だらけの体に手慣れた様子でペタペタと絆創膏を貼っていく。
 ——手加減はしたつもりだったが。
 幹部という地位についてから前線から離れ、しばらく闘争とは無縁の生活を送っていた。当然、その程度で実力が衰えるほど鈍ってはないが、刺激のない日常というのもそれはそれでつまらないものだ。久々の戦いに少々気張りすぎてしまったかもしれない、とヴァレンティナは自省した。

「はぁ……俺もさっさと強くなりてぇなあ!」

 アルドロは誰に言うでもなく、声を張り上げる。思っていることが自覚なくそのまま口に出るタイプなのだろう。
 コテンパンにされても懲りることのない目の前の少年に、ヴァレンティナは興味が湧いた。

「何故強くなりてぇんだ?」

 ヴァレンティナの唐突な質問の意図が分からず、アルドロは眉をしかめた。
 対するヴァレンティナは無表情を崩すことなく、質問を重ねる。

「力があったところで、使わなければ何の意味もねえ。てめえがもし力を手に入れたとして、その力を使って何をしてぇんだ」

 アルドロはうーんと唸りながらしばらく考え込み、口を開く。

「片っ端から強い敵を倒すってことしか、思いつかないなぁ」

「……」

 思った通りの返答だ、とヴァレンティナは溜息をついて目を細めた。
 具体的なビジョンがなければ、いずれ掴める未来だとしても掴めるものではない。
 この少年は、まだその点が(おぼろ)げなのだ。だから演習場で修行することしか頭にない。実戦で経験を積むだとか、他人の戦い方を観て学ぶだとか、そんなことは微塵も考えないのだ。

「——多分、俺は今の弱い自分が許せねえんだ。確かにここに入る前よりかは強くなったけど……まだまだなんだ」

 直後アルドロが(つむ)いだ言葉に、ヴァレンティナは再び少年の顔を見る。先ほどの意気軒昂な表情は鳴りを潜め、どこか遠くを見るような面持ちだった。
 直情的なのは見てくれの通りだが、直情なゆえに自身の感情には正直らしい。
 ヴァレンティナにしてみれば、上辺だけ綺麗に取り繕っているような能無しよりも、能無しであることを隠さず認める人間の方がはるかに好感がもてた。

「……少ない脳味噌でも考えてはいるみてえだな」

 彼女にしては珍しく感心していたが、ふと気づくとアルドロが何やら恨めしそうな顔をしている。

「今気づいたけどあんた、口悪いな」

「本当に今更だな」

 アルドロの漏らした不満に呆れつつも、幹部相手に堂々と自身の意見をぶつける、その姿勢は嫌いではない。
 ……若さと無知故の怖いもの知らずとも言うが。

「あのクソジジイも口悪いけど、あんたといい勝負だぜ」

 アルドロがふと発した言葉に反応して、ヴァレンティナの猛禽類のような目がさらに鋭くなる。

「イリガル・エーカー、だな。ヤツとはどんな関係だ?」

 ヴァレンティナの変化など気づきもせず、アルドロは不健康そうな中年の髭面を思い出し、苦虫を噛み潰したような表情になる。

「あのクソジジイ、いっつも俺をからかってくるんだぜ。無理矢理任務に誘っては偉そうに命令するし。……よーし、俺が強くなったら、まず最初にあいつをギタギタにしてやるぜ、うん」

「そうか」

 闘争心が溢れ出したのか、虚空に拳を切り始めたアルドロを尻目に、ヴァレンティナは立ち上がり医務室のドアを開く。
 ふと、アルドロはヴァレンティナの言っていた用件を思い出し、彼女の背に問いかける。

「そういや、オレに聞きたいことがあるんじゃなかったのか?」

「もう済んだ」

「え?」

 アルドロは意味が分からず、間抜けな顔を見せた。
 対するヴァレンティナは、呆然とした少年の顔を肩越しに振り返りながら忠告する。

「演習所で気張んのもいいが、実戦の経験も傭兵には必要だ。戦いに身を置き続けるなら、尚のことな」

「……ああ、ありがとよ、ボランティア」

「ヴァレンティナだ」

 女の名前を覚えられないようでは、この先苦労するぞ——
 ……と小一時間説教したい欲求をしまいこみつつ、ヴァレンティナは医務室から去った。

 












「いやあ、見直したっスよ。あのヴァレンティナさんとやり合って生きていられるなんて」

 団員たちが行き交う本部中央ロビーでアルドロを出迎えたロッテは、彼の姿を見るや否や、手を擦り合わせ媚びへつらうような態度をとる。
 何故褒められているのかは分からなかったが、そもそも他人に手放しで褒められることが皆無のアルドロは、少し照れながら両手を腰に当てた。

「へへーん、すごいだろ」

「スゴイっスよ。ホントに。色んな意味で。ええ」

 ロッテの言葉に含められた、「(まず幹部に喧嘩売る命知らずさがスゴイし、敬語とか一切使わないクソ度胸さとか目も当てられないくらいスゴイ。一撃喰らって生きてる耐久力は単純に褒めるとして、そこまでされてなお、態度を全く改めない図太さが)スゴイ(馬鹿)っスよ」という念は、幸か不幸かアルドロには伝わっていない。
 伝わらないからこそ、屈託無く皮肉を口に出せるのだが。

「それで、演習任務のこと忘れてないっスよね?」

 おべっかを使うような態度から一変、すっかり元の無愛想な調子に戻ったロッテは、目の前で鼻を高くしている少年に対して尋ねる。

「……何だっけ? それ」

 自慢げな態度から一転、呆け面を晒したアルドロを見て、ロッテは深く溜息をついた。

支部合同の軍事演習っスよ。この前、自分で言ってたじゃないっスか」

 この前——とは三日前のことだ。
 当然、数秒前の事も忘れるような頭からは、すっかり抜け落ちた事柄なのだろう。
 でなければ、大事な任務前に演習場で暴れまわったりはしない。

「……あー、そういやあったな。そんなの」

 アルドロは数十秒固まったのち、感嘆符を口から吐き出しながら諸手を叩いた。

 数日前、特に前触れもなく通達された、ナイツロードが擁する三つの支部でそれぞれ行われる合同演習任務。
 演習と名前はついているが、新人教育、要人警護訓練、兵站増強、コンプラ研修——と、その日程の大部分は軍事指導に割かれている。支部所属兵の士気向上と戦力の再確認という名目で、本部主導のもと行われるらしい。
 本部主導ということは、団長や幹部が考えついたことなのだろうか。何にせよ、どこかの支部で何か問題があったわけでもなしに、こうした行事が始まるというのは異例といえば異例だった。

 ここ数日間、本部勤務の事務員が慌ただしくしているのもその影響なのだろう。
 ロビーを足早に駆け回る同僚達を横目に、ロッテはそんな推測を立ててみる。
 戦闘員でない彼女には演習の知見などなく、さほど興味もなかった。自分が当事者でなくて良かったという罰当たりな考えはあったが。

 興味があるとすれば、その演習の責任者が酒に酔っ払いながら決めたとしか思えないような人選だ。
 演習に際してアルドロを始めとした非番の団員が、本部から数十名ほど派遣されることになっていたが、誰も彼も教官や模範兵が務まるような人間ではない。それどころか、過去に何かしら問題を起こしたことのある人物ばかりだ。
 喧嘩常習犯のアルドロを筆頭に、兵規違反、命令無視、同僚への暴行、女性団員へのセクハラ、無銭飲食犯に食料庫での盗み食い犯……派遣員名簿は問題人物のオールスターで、全員が同じ場所に集まれば極小のヨハネスブルグが出来上がることは必然だろう。

 何故彼らが選ばれたのか、ロッテもさすがに理解が及ばなかった。反面教師としてならば、これ以上にない適役なのだが。

「もうすぐ召集の時間でしょ。ほうら、行った行った」

 そう言って、ロッテは顔の前で手をひらひらとさせた。

 そのまま支部島流しにでもされてくれれば万々歳なのだが、とロッテは半分本気で思う。兎にも角にも、しばらくこの馬鹿の面倒を見ずに済むと思うと、気が楽で仕方がなかった。

「おう、教えてくれてありがとよ」

 ロッテの考えていることなどいざ知らず、義理堅く礼を述べるアルドロだったが、ロッテの背後で何かを見つけ、途端に不機嫌な表情になる。
 その変化に気づいたロッテは、振り返って彼の視線の先を追う。

 そこに、よく見知った中年男性のニヤけ顔があった。


「よお。ついに衆目憚(しゅうもくはばか)らず(むつ)み合いだしたなぁ、お前ら」

 独特のしわがれ声を響かせながら、イリガル・エーカーは二人の仲をからかいつつ歩み寄った。

 その表情は笑ってはいるが、痩せた頰とチョビ髭のせいで病的に見え、むしろ見る者を不安にさせる。後ろで束ねた長髪には艶がなく、白いジャケット姿は不潔ではないが清潔感もない。
 全身から胡散臭さを醸し出しているこの男が、例の問題人物リストに入っていないことがロッテには驚きだった。

「この馬鹿が自分の任務忘れてたんで、教えてあげただけっスよ」

「バカってなんだよバカって言う方がバカなんだぞこのバカ」

 阿呆面を指差しながら釈明するロッテに対し、アルドロは早口で捲し立てた。

「そっかー、やっぱしボウズは厄介払い組かぁ」

 小馬鹿にしたような表情のまま答えたエーカーに対し、ロッテは目を細める。
 何やら訳知りの様子だが、訊いてもロクでもない返事が帰ってくるだけだろう。

「そういうエーカーさんはどちらへ?」

「有給でバカンス。ちょっくら欧州あたりで羽伸ばしてくるのさ」

 ロッテの質問に、エーカーはパスポートが入っているであろう手帳を見せびらかしつつ、ご機嫌そうな口調で答えた。
 それと反比例するかのように、アルドロは不機嫌な顔を隠さない。

「おう、歳なんだからボロ小屋で湿布貼って寝てろ。いやそのまま永眠しろクソジジイ」

「ははは。怪我人のボウズには言われたくねぇなあ。つーかそれマジでどしたの。SMプレイのし過ぎか?」

 エーカーは冗談を飛ばしつつ、包帯と絆創膏で身体中を覆われたアルドロを物珍しそうに指差す。
 仮にも女性と未成年の少年の前でして良い発言ではないが、エーカーの無遠慮さにすっかり慣れているロッテは、構わず受け答えた。

「こいつ、ヴァレンティナさんに喧嘩売ったんスよ。ホント信じられないっスよね」

「ふーん」

 心底興味なさげに相槌を打ったエーカーの目つきが、ほんの刹那、鋭く冷たくなったのをロッテは感じた。

 その冷たさといったら、すぐさまこちらに手を伸ばして首を捩じ切られるような、そんな錯覚に陥るほどだ。
 何か不味いことを言ってしまったか。ロッテは思い返してみるが、一切心当たりがない。

 そんな剣呑な雰囲気も風が吹くかの如く過ぎ去り、エーカーはすぐに人を食ったような笑顔に戻る。

「さすが筋金入りの大馬鹿だなぁ。ボウズが捻れ彫刻になったら教えてくれや。オークションで叩き売るから」

 自身の発言に大笑いしながら、エーカーは本部を後にしていく。
 常に他人を馬鹿にしているような男だが、特にアルドロはお気に入りの玩具らしく、決まって彼を散々に(けな)して去るのだ。
 アルドロはその背中を恨めしそうに見つつ、疑問を口にした。

「……今日のクソジジイ、なんか変だな」

「変?」

 変なのはいつのもこと、イリガル・エーカーという男がまともな瞬間などあっただろうか……という(もっと)もな事実は飲み込みつつ、ロッテはアルドロを見やる。
 ロッテにしてみれば、普段なら狂犬のごとくエーカーの背に飛びかかるようなアルドロが、比較的冷静でいることの方が変だが。

「あのヒトの何が変なんスか?」

「……さあ? 妙にフワフワしている、ような?」

 そう言ってアルドロは肩を(すく)めてみせる。
 答えになっていない答えを耳にしたロッテは、今日何度目か分からない溜息を漏らす。この馬鹿に期待した自分が愚かだった。

 呆れ果てた頭の片隅で、ロッテは先程のエーカーの様子を振り返ってみる。

 確かに普段に比べて殺気立ったような雰囲気はあったが、それもあの一瞬——ヴァレンティナの名前を出した時だけ。
 それを珍しい反応だと、声を大にして指摘するほどのものかというと——答えは否だ。団長の私兵部隊も同然の幹部と、傭兵とはいえ企業の一員でしかない団員には、役職以上の隔たりがある。そこに上下関係はあっても友好関係を築ける者は少なく、強い権限を持つ幹部連中に反発する団員も、極少数だがいるのは確かだ。
 二人の間柄はロッテの知るところではなかったが、大方、規範や規律に(うるさ)いヴァレンティナとゴロツキじみた性格のエーカーでは反りが合わないという程度のものだろう。
 今すぐエーカーを引き留めて訳を訊くほどでもない——とその時は確かにそう思ったのだ。

 アルドロの直感は存外に冴えているということを、ロッテは失念していた。