A地帯

創作小説、ブロント語、その他雑記等。

アンジャスト・ナイツ #幕間「渚の会合/ウォーターフロント非対称戦争」

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「終わったか」

 要塞の頂から放たれた信号弾を目にして、アラベスク中佐は安堵のため息を漏らした。
 SAS部隊長として感情を表沙汰にせず、常に無表情を保っていたその顔が不意に緩む。


 バミューダ諸島近海。イギリス領セントフィナス王国東沿岸部。
 そこには漁港もなく、街どころか家の一軒もない。
 あるのは係船岸としてはお粗末に過ぎる岩場と、ここが軍事施設であった時代に建設され、終ぞ完成を見ないまま打ち棄てられた防波堤。
 普段は人っ子一人寄り付かないその場所が、今や大都市の雑踏にも引けを取らない混雑ぶりを呈している。

 NATO大西洋連合軍。
 米軍第2艦隊。
 英海兵隊特殊舟艇部隊SBS。
 英陸軍特殊空挺部隊SAS
 仏海軍戦闘部隊FAN。
 西海軍海兵特殊戦部隊FGNE。
 セントフィナス王国自衛軍SSDF。
 世界防衛機関WDO。
 民間軍事企業エンフォース・インソーシング社。
 その他志願兵と傭兵。

 所属も人種も様々な兵士達が、連合軍の勝利を告げる信号弾の光を愁眉を開いた面持ちで仰ぐ。

 そこに歓喜の声はない。

 少なくない犠牲と損害を出し、装備と弾薬を消耗し、湾岸戦争を筆頭に数々の動乱を戦い抜いた兵士たちが集ってもなお。
 ——人間には勝ったが、要塞には勝てなかった。

 信号弾が消えゆき、空が昼下がりの曇り空に変わると、アラベスクの顔も元の無表情へと戻り、周囲の兵士達も止めた足を再び動かし始めた。
 すっかり元の喧騒に戻った岸壁に、更に見知らぬ顔の兵士達が加わる。要塞から人質と捕虜を連れ帰って来た、WDOとセントフィナス軍の混成部隊だ。各々が血と汗にまみれ、疲れ切った顔を晒している。

 往来を再開した兵士達の集団から一人離れたアラベスクは、一際高い岩壁の上に立つ。
 おもむろに懐に手を伸ばしたが、シガーカッターとガスライターはあれど、肝心の葉巻が一本も残っていないことに気がついた。
 仕方なく代わりに取り出したハンカチで、潮風と汗ですっかり湿った禿頭を拭う。

 作戦の開始からもう、丸一日が経過しようとしていた。

 事の始まりは4日前、アメリ東海岸近海にて漁船と軍艦数隻が消えたことから始まる。
 米軍内の上層部とNATOの軍事委員会が情報の検閲に注力している間に、漁船と軍艦を沈めた「それ」は北大西洋を横断し、コーンウォールビスケー湾沿岸地域を襲撃した。
 巨大海上移動要塞、仮名「ウォーターフロント」。

 大西洋上の監視機構・駐留基地としてNATO加盟国が予算を出し合い建設を進めていたそれは、元々は米軍一部勢力と米国議会タカ派の不徳の楽しみの一つだったと噂されている。
 それがどういうわけかNATO管轄の一大プロジェクトになり。
 湾岸戦争を経て、更なる装備の増強案が通り。
 連合軍が研究中の「オカルト技術」を備え付けられ。
 当初の5倍以上の全長になり。

 ——正体不明の勢力に強奪され、北大西洋沿岸を荒らしに荒らし回った挙句、今に至る。

 アラベスクは思わず、眼前に聳え立つおぞましき共同製作品から目を逸らした。

 コレの建設をライフワークにしていた連中は、さぞかし暇と金を持て余していたのだろう。
 その有り余った金でもう少し警備員を雇ってもらいたかったものだが、過去を悔やんでも仕方がない。
 今は目の前に転がる無数の問題に片をつけるのが先決だ。

 まず、NATOが秘密裏に武装要塞を建設し、それを賊に奪われたという事実を隠蔽しなければならない。
 もし東側にでも知れ渡ろうものなら、今後の外交での大きすぎる痛点となる。

 幸いにもこの作品の作り手達が情報統制に躍起になってくれたお陰か、「事実」は思うほど広まってはいない。
 既にいくつかのカバーストーリーが各国情報機関を通してメディアにバラ撒かれている。「真実」は多ければ多いほど、「事実」を覆い隠してくれる。

 肝心なのは「事実」を知るものがそれを墓まで持っていけるかどうかだ。
 「事実」が広まれば損をする上層部やそれに付き従っている軍人はともかく、口の軽い大臣や政治家は最悪、任期を待たずして職を辞してもらうことになる。

 アラベスクもまた、自国の外務大臣の顔を思い出して——深く嘆息した。
 彼を大人しくさせておくことは、穴が無数に空いた風船から空気が漏れ出るのを防ぐことくらい難儀なものだ。

 否、まず何よりも優先すべきは——
 そう思い直してアラベスクは今一度、目の前の巨大な要塞を仰ぎ見る。
 艦隊の総攻撃を受けた筈の白い城壁はそこかしこに砲撃の痕を残し、黒煙を上げているものの、沈む気配は全くなかった。

 コレを、どう処分するかだ。










「我々の国が作ったものならば、我々が回収するのが筋であろう」

 米軍第2艦隊のトップであり、NATO連合軍大西洋最高司令官として本作戦の指揮を担当したフランダ大将は、鼻息を荒くしてそう主張した。

 事態の鎮圧から1時間もしないうちに、責任者が粗末な堤防の上に集められ、取り付きの議題が要塞の所有権争いだ。
 先が思いやられるな、とアラベスクは憂いの表情を隠しつつ、フランダの目を見る。

 頭髪にも顎髭にも白髪の混ざった男は、しかしその眼だけは菓子を目の前にした子供のようにギラついていた。
 あの要塞に最も予算を出し、フロリダに偽装施設を建設してまで計画を推し進めていたのは、他ならぬ米軍だ。
 上司から絶対に取り返して来い、と釘を刺されているというのもあるだろうが、フランダが固執するのはそれだけが理由ではなかった。
 湾岸戦争ソ連解体以後、艦隊訓練ぐらいしか出番のなかった彼らにしてみれば、本件はまさに渡りに船を得るものに違いない。
 今回の戦果を持ち帰ることができれば、第2艦隊の地位は一先ずは安泰。そのままの流れで要塞の管理を任されることになれば御の字なのだろう。

「おやおや、自国の不手際を棚に上げて、戦果は独り占めですか。横暴なのは貴方の国らしいですが」

 喧嘩腰を隠しもせずフランダの意見に異を唱えたのは、仏海軍上級中将のジョフロワだ。
 大戦での反省を踏まえて国防に力を注いでいるフランスは、国防予算の削減を恐れている第2艦隊とは正反対に余裕があった。
 積極的に戦闘に参加するでもなしにラファイエット級フリゲートを3隻引き連れて来たのも、本件の解決より軍事的対外デモンストレーションの側面が強いように見受けられた。

「国連が開発に関与し、完成後はPKFの駐留基地になるものだったのでしょう? ならば、各国共同で運用するべきだと思いますがね」

 流暢な英語で、ジョフロワが意見する。
 開発計画の発起前にNATOから離脱していたフランスは、要塞の建設に際して一銭の金も出していない。
 今回の件を一方的に糾弾できる立場にはあれど、当然所有権などあるはずも無いのだが、国連とNATOの立場をすり替えて権利を主張する。
 舌戦には自信があるらしく、ジョフロワが年齢の割に高い地位にあるのも、その端正な顔立ちと口巧者さによるものが大きいのだろう。
 エリート街道を苦もなく進んで来た彼の言葉には、内容はどうであれ気品が感じられた。
 他方、現場叩き上げで将官にまで上り詰めたフランダは鼻を鳴らし、

「相変わらず、金も人も出し惜しむ癖に旨味だけ欲しがる」

 と、容赦なく吐き捨てた。
 細胞核レベルで相性が悪いんじゃないかと思われる2人を取りなそうとしたのは、西海軍のアナクレート大佐だ。

「まあ……今ここで決めることでもないんじゃないですか? まず今回の件を本国やブリュッセルに報告して協議を……」

「ハッ、政治家連中にこの要塞の価値が分かるものか」

 蒼白に顔を染めつつ、拙い言葉で絞り出した諌言を、フランダが一蹴した。
 大きい図体に見合わない、軍人らしからぬ小心さのアナクレートは、すっかり黙り込んでしまう。収まる気配のない分離独立運動に加え、政権交代もあってか、今のスペイン国内は一枚岩とは言い難い状況だ。そのことがアナクレートの柔弱な態度に拍車をかけていた。
 何より数々の海戦で敗軍を重ねた彼らの言葉は、冷戦の諸危機を乗り越え、今もなお軍縮という名の生存競争を戦っているフランダにしてみれば糠に打つ釘だ。

「いや、今すぐに行うべき対応としてはアナクレート大佐の提案が正確だ」

 それまで静観を決め込んでいたアラベスクは、堪らず口を開いた。
 自国の立場からも、一連の会話を聞いた個人的な見解としても、フランダの主張を鵜呑みにするわけにはいかなかった。

「いくら国連軍主導の機密計画とはいえ、こうなった以上は一般社会へ情報漏洩のリスクがある。ここは当事国同士が連携して、まず現状の把握と情報流布を食い止めることが先決だろう。国家予算を捻出して作った要塞が乗っ取られた、という報道が行われて一番立場が危うくなるのは米国とフランダ大将、あなた方だと思いますが」

 その言葉を聞き終える間もなく、フランダは血走った眼でアラベスクを睨みつける。

「……それは、私を脅しているつもりか」

 半ばヒステリックともとれるフランダの態度にアラベスクは、第2艦隊とフランダの立場が予想よりも瀬戸際にあることを悟った。
 キューバ危機がもう30年以上前だ。今のアメリカの興味はカリブ海から大きく離れ中東にある。今回の痛手で北大西洋へのリソース投入も渋るようになるだろう。
 今すぐ——ではないかもしれないが、大掛かりな配置転換や指揮系統の移管が提案されているのかもしれない。そうなれば、フランダは今の地位にはいられない。
 となれば、この男を説得するのは一筋縄ではいかなかった。

 あちら立てればこちらが立たず。
 国家間の取り決めは、いつの時代もその連続だ。
 そして結局は、約束という名の妥協で有耶無耶になる。

 普段ならば長きにわたる議論を行い、その倍の時間をかけて反対勢力を納得させるような議題だが、今回はそうもいかない。
 国民の血税でできた要塞が自国土を焼いたとなれば暴動も起きかけない。何より、この要塞が二度も乗っ取られることはない、とは限らないのだ。

 だが、所有権の話になればフランダが譲らない。ジョフロワも黙っていない。
 かくいうアラベスクも、フォークランドの一件もあって大西洋制海をなおざりにする訳にはいかない。
 議論が行き詰まった、という時になって、

「そこのオジサン達、喧嘩しないの」

 まるで子供に言い聞かせるような声音に4人が振り返ると、彫像とでも見紛う麗人が長髪をなびかせて立っている。
 諜報畑出身のアラベスクも、彼女の容貌を写真や映像記録で見たことはあっても、生で見るのは初めてだった。

 一言で言い表すならば、赤い女だ。
 炎のように揺らめく赤毛、落ち着いた蘇芳色のロングコート。その双眸は宝石を埋め込まれたかのように紅い光を湛えている。
 あくせく右往左往する軍服の男達を風景に優美に佇む彼女の姿は、例えるなら戦争ものの映画に迷い込んだ童話の住人だ。
 だが、彼女が決してミスキャストではないことは、アラベスクも他の3人も重々承知していた。

 ラブ=ファイナス。
 積極的平和維持活動を行使する組織として設立された、世界防衛機関WDOの初代司令官にして一兵士。
 年齢不詳。出身地不明。人種不明。血縁関係不明。学歴不明。7年前のWDO設立以前の経歴は、根も葉もない噂ばかりで信憑性がまるでない。
 確かなことといえば、国連専門機関の代表である彼女にはもう一つ、一個人として最強の兵士という物騒な肩書きを持つ。

「まったく、いい大人達がいちゃもんのつけ合いなんてするもんじゃありません。フランダさんもそんなにカッカしないの。憤死したら生まれたばかりのお子さんも悲しみますよ」

「ハン、年かさの貴様がそれを言うか」

 白と黒の混じった顎髭をさすりながら、フランダはラブの白く整った面様を見やる。
 二人はどうやら顔見知りのようだ。フランダの全身から発せられる不機嫌さはそのままだったが、その語気は多少角の取れた印象を受ける。

 国連でも唯一の強い軍事力と実行力を持った専門機関であり、PKFの裏打ちとして超法規的な平和維持活動を行う彼ら。その司令官ともなれば、将官とはいえ一国の軍人でしかないフランダよりも強大な権限を有している。
 加えて、今回の騒ぎを収めることができたのも、彼女と彼女の兵隊の働きによるものが大きい。

 フランダ大将の不機嫌さが示す通り、この会合のパワーバランスは一気にラブへと傾いていた。

「何か考えがあるのですか? ラブ司令官殿」

 ジョフロワは仮面に貼り付けたような微笑みを崩さずに、ラブに問う。
 その目は何の面白みも感じていないもの——ラブの選択を冷静に判断し、自国に不利益があるならば、あらゆる口実で取り下げさせるつもりだ。

 対するラブは、やましい考えなど何も無いと言いたげな満面の笑みで、ジョフロワの質問に答える。

「あれはセントフィナスの観光地にします」

 ——戦場において、動揺を晒さず鉄面皮を保つことが肝要とされる将校達の顎が地に落ちる。
 あの要塞を、WDOの管轄と主張するのならまだ納得できる。あれは「ただの軍人」の手には余るものだと、アラベスクは薄々感じていた。
 だが目の前の女の回答は、予想の埒外を遥かに超えていた。

「……海風が強くて聞き取れませんでした。もう一度答えてもらってもよろしいですか?」

 あまりの突拍子もない提案に、質問者のジョフロワは狼狽を全身に滲ませながら再度「まともな答え」を要求する。

「セントフィナスのテーマパークにします」

 その思いと反比例するかのように、ラブは先ほどの答えを3倍増しで荒唐無稽にして返した。
 テーマパークとは、あのテーマパークのことなのだろうか。何かの隠語では無かろうか。
 男達は各々必死に理解しようとするが、大規模作戦直後の疲れ切った頭で考えるには、重労働にも程があった。

「沿岸都市に無差別攻撃を行なった要塞を、一般公開の娯楽施設にする、と?」

 すっかり冷静の仮面が剥がされたジョフロワが、なんとか言葉を絞り出す。傍らのアナクレートは今にも気を失いそうな面持ちだ。
 そんな周囲の困惑の色などどこ吹く風で、ラブは自らの夢想話をどんどん膨らませる。

「もちろん危ない武装は全部私たちが回収・処分するわ。内部に居住空間があるからそこをホテルにしましょう。屋上は広いから観覧車とジェットコースターは問題なく建つわね。一番の問題はアクセスだけど、北部の湾がガラ空きだからそこに接岸すればいいでしょ」

 よくないが。

 放っておけば永遠と湧いて出そうな空理空論の数々に、見かねたアラベスクが口を挟む。

「ファイナス殿、セントフィナス王国は表向きとしてはイギリス領。建国に関わった貴方とはいえ、この国に大きく干渉するというのなら、私の上司と女王陛下に話を通してもらわないと困る」

アラベスクさんの言う通りですよ。まさか、この要塞の利権を自身の管理下に置きたいが為に、そんな与太を口にしたのではないでしょうね?」

 先ほどまでその利権を取り合っていた当人であることは棚に上げて、ジョフロワがアラベスクの抗議に相乗りする。
 2人の意見を受け、ラブは頰を膨らませた。

「だって今回の事件、セントフィナス軍の憲兵さん達が一番頑張ってたんだもん。ご褒美くらいあげてもいいでしょ」

 いい訳がないが。

 仮にあの要塞が単なる戦艦や沖の孤島だとしたら、ラブの提案を渋々でも呑んだかもしれない。
 だが、あれは「海上を移動する」「鉄壁の要塞」なのだ。
 領土を海に面する国ならば欲して止まない、垂涎ものの超兵器。
 例え当初の予定通りNATO管轄のものになったとしても、どの国が主権を握るかで軍事衝突が起きてもおかしくない代物だ。
 決してバミューダ海域の小国に、ましてや牙を抜き去った玩具として与えていいものではない。

「話にならんぞ、ラブ=ファイナス。貴様ならもう少しマシな使い道を思いつくと思ったのだがな」

 それまで押し黙っていたフランダが、怒気を孕んだ声音で言い放つ。憤慨のあまり、彼の顔面は茹蛸の如く紅潮していた。

「私の提案、ダメだったかしら」

 殺気すら感じられる男の非難に、しかしラブは少しも動じることなく答える。

「二度も言わせるな。話にならないと」

 フランダの言葉を聞いたラブは、ひとつため息をつくと、要塞の浮かぶ方角に向き直る。

「じゃあ沈めちゃいましょうか」

 その呟きが聞き手の耳を通じて脳細胞に到達するよりも早く、彼女は右手を要塞に向ける。
 瞬間、膨大な重力に曝されたように、ラブ以外の全員が地に伏した。
 背に巨大な鉛を載せられたかのような圧を自覚して、ようやくラブが「何かをした」のだと理解する。

「な——何をする気だ!」

 地面に突っ伏した状態のフランダが、やっとの思いで言葉を発する。その顔は先程まで朱に染まっていたのが嘘のように真っ白だ。

「沈めるって言ったの。二度も言わせないで。取り合いで戦争が起きるよりは大分マシでしょ」

 そう語るラブの右手には、何の装備も武器もないが、「何か」が起こっている。
 その「何か」が、4人の将校のみならず、岸壁にいた屈強な兵士達をも這いつくばらせている。
 状況を正しく理解できたのは、アラベスク一人だけだった。

 法術。
 神秘とも科学とも例え難い未知の力。
 第三帝国が大戦に応用しようと理論化し、連合国がその技術を接収して今日まで研究を続けているという蒸気、電気、核に続くエネルギー。
 WDOという機関が設立されたのも、その研究の一環によるものらしい。
 アラベスクはそれ以上のことは知らなかったが、彼女が何らかの法術を展開していることだけは理解していた。

「待てラブ! 加速化する軍縮を止めるにはあの要塞が必要なのだ!」

 すっかり建前を剥ぎ取られたフランダは、ラブに対して懇願する。
 地に平伏し喚くその姿は、傍から見れば子供の駄々かと思うほどに見苦しいものだ。地位も名誉も失いたくない、自身の軍人としての存在を残したいという本音。 
 だが、ラブの耳にその言葉は届かない。

軍縮、ですか」

 フランダの言葉の代わりに飛び込んだのは、聞きなれない男の声だった。

 ラブを含めたその場の者全員が一斉に声をした方を見やると、見慣れぬ風貌の男が立っていた。
 炭のように真黒な髪で瞳を隠し、どこの所属のものかも分からない白い軍装を纏った壮年の男。
 その口元は冷々たる笑みを浮かべている。

「なるほど、ここではそうなっているのですね」

 辺りを見回しながら、何やら納得した様子でそう呟くと、男はこちらに向けて歩みを進める。
 死線をくぐり抜けた軍人達が一人たりとも抗えぬ、強大な重力の奔流をその身に受けているはずだが、その歩みはまるで散歩のように軽やかだ。

 男の姿を視認したラブは、しばらく男の風貌を目を細めて見定めていたが、ついと右手に込めていた力を緩める。
 同時に将校たちを襲っていた過重力も、打ち寄せた波が引いていくかの如く弱まり消え失せた。

「誰かね、この男は……」

 呼吸を整えたフランダが皆の疑問を代弁すると、ラブもそれに同調した。

「貴方が例の傭兵団の——」

「ええ。ナイツロード団長、レッドリガです」

 レッドリガ、と名乗った男は胸に手をやり、うやうやしくお辞儀をする。
 外見とは裏腹に、男のその一連の動作には上品さがあった。
 ただ、頭を下げたのはあくまで形式的なものであり、友好的にしようという雰囲気は一切感じることはできなかった。

「ナイツロードだと?」

 敵愾心を隠さず呟いたフランダの問いに、ラブが答える。

「PMCです。今回の事件に際し、最も早く初期対応を行なった……私も直接会うのは初めてですが」

 ラブの紹介を聞いて、将校達は妙な納得感を覚えた。
 慇懃な態度を見せてはいるが、目の前の男に愛国精神や軍への忠誠などといった言葉は驚くほど似合わない。他方、無節操に暴力を周囲にバラ撒く戦争屋ともまた違う。
 企業として力を管理し、利益を求める——民間軍事請負会社の社長という肩書きは、眼前に佇む男の姿と異様なほどに合致していた。

「あなた方の活躍がなければ、今頃アメリ東海岸と欧州西海岸は火の海だったでしょう」

 レッドリガと相対したラブは、彼の動きを真似るように礼を返し、感謝の言葉を口にする。
 ——あくまで形式的な通過儀礼という部分も彼に倣って。

「買い被りです。被害をゼロにできなかったのが悔やまれます」

 そう謙遜したレッドリガだが、その表情と声色からは悔やむ雰囲気が全くといっていいほど感じ取れない。
 ラブもそれを知ってか知らずか、すぐに話題を転じる。

「それで、ここに来たのはどういう用件かしら。報酬なら後でお支払いすると貴方の部下に伝えたはずですが」

「ええ、その件なのですが——」

 レッドリガはそこで言葉を切って、岸壁の向こうを指差す。その先には兵士も捕虜も離れ、もぬけの殻になったあの要塞があった。

「報賞金の代わりに、アレを我々に譲って頂きたい」

「な——」

 レッドリガの恬然(てんぜん)として恥じない申し出を聞いて、フランダが絶句する。他の者も言葉を失っていた。
 国同士でさえ、占有か共同運営かで大いに揉めたものを、実態も知らぬ一企業に引き渡せというのだ。
 受け入れられるはずがない。それは要求を行なった彼自身分かっていることのはずだ。
 しかしレッドリガは淡々と笑みを浮かべた表情を崩さぬまま、ラブの返事を待っている。

 ラブは改めて、レッドリガを検分するかの様にじっくりと見つめ直す。
 周囲の男達もそれに追従して、厚かましい要求をした男をめいめいに睨んだ。
 しかし数々の兵士を育て上げたフランダや、諜報畑で人間観察に慣れているアラベスクを持ってしても、レッドリガのその外見からは何の過去も感情も感じ取れない。

「——貴方、どこ出身?」

 突拍子もないことを、ラブは尋ねる。
 確かに男の身の上を一切知らない彼女にしてみれば、それは答えを知りたい内容の一つだ。だが、それが要塞の件と一体何の関連があるのだろうか。
 将校達が頭の上に疑問符を浮かべる中、レッドリガはその問いに当惑することもなく答える。

「■■■■■■です。あの要塞を奪取した賊とは同郷でしてね。彼らを追ってここまで来たというわけです」

 将校達は互いに顔を見合わせる。
 レッドリガの発した単語は、どこの国の言語かも分からない、この地球上の言語なのかも怪しいものだった。
 元英国情報部諜報員として、あらゆる国の言語を把握しているアラベスクでさえ、理解が及ばない。分かることと言えば、そのような呼び方をされる地名など、この世界には(・・・・・・)存在しないということだけだ。

 首を捻る将校隊を尻目に、それを耳にしたラブの眼差しは細く、鋭い。

「——そういうこと」

 レッドリガの回答に、ラブは何やら納得し、

「いいわ。あれは貴方に譲りましょう。名目上は戦闘で沈んだことにしとくから」

 先ほど自らの論じた夢物語など嘘のように、あっけなく男の要求を快諾した。
 レッドリガは再び頭を下げ謝意を述べるが、やはりそこには誠実さというものが圧倒的に欠けていた。

 フランダとジョフロワがすかさず異を唱えようとするが、ラブの視線がそれを制する。

「どういうつもりです。ラブ司令官」

 代わりに、アラベスクが平静を装って問いかけた。

「一国の所有物になって揉め事の種になるよりは、企業が営利目的で扱う方がよっぽど健全だと思っただけよ」

 ラブはそう答えたが、それが理由の全てではないことはアラベスクも察していた。
 彼女とレッドリガの間でしか分からない何かが、彼女を納得させたのだろう。
 それが一体何なのか——アラベスクには考えるだけ、無駄だった。きっと彼らと同じレベルに立たなければ、見えない何かなのだ。

「一応、しばらくの間監視はつけるから、そのつもりで」

「ええ、それであなた方がご納得頂けるなら」

 レッドリガはラブの忠言を耳にして間も無く、まるで明日の天気を尋ねるように話題を変えた。

「ついで……と言ってはなんですが。作戦に参加したセントフィナス憲兵の中に興味深い人がいましてね」

 先ほど厚かましい要求を通したばかりの男は、懲りることなく次の要求を口にしようとする。

「ああ、あのジェロイ君のこと? スカウトしても無駄よ。私も断られたばかりなの」

「それは残念」

 首を横に振ったラブに、残念と毛ほども思っていないような淡白さで、レッドリガは肩を竦めて答える。
 そんな2人の歓談を、将校達はただ見ていることしかできなかった。

 フランダは本国への報告と自身の去就のことで白い顔を晒し、鳴り止まぬ頭痛を必死に抑えている。
 ジョフロワは戦利品を横取りされたことに心底面白くなさそうな顔をしつつも、得られるものが無いと分かるや否や部下に撤退の合図をした。
 アナクレートは大事なくこの場が過ぎ去ったことに、とりあえず胸を撫で下ろした。

 アラベスクは能面のような表情を崩すことはなかったが、その心中は穏やかではなかった。
 要塞の件は心配の種ではあったが、WDOの監視がつく以上、悪いようにはならないだろう。
 問題は、彼らの持つ力のことだ。
 あの男は、ラブの法術に動じることなく近づいて来た。
 十中八九、ラブと同じ能力者か、そうでなければ化け物の類だろう。

 もし彼らと同じ力を持つものがこの先増え続け、戦場に溢れたら。
 もし彼らの持つ力が解明され、その情報が拡散したら。
 もし彼らがその力を用いて、周囲を顧みること無く争いを始めたら。

 自らの頭が作り出した妄想に、アラベスクは心の中で震え上がる。

 何か、策を講じなければならない。




 後にしてみれば、アラベスクの妄想は遠からずとも当たっていたことになる。

 コソボでの法力事変によってラブ=ファイナスが死亡し、法力技術が世界中に伝播する、3年前の出来事である。