アンジャスト・ナイツ3/Balance of power #1「Godmother①」
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傭兵団ナイツロード本部第三屋内演習場は、普段以上の活気を見せていた。
接収された当初は単なる倉庫に過ぎなかったその空間は、ある時期を境に訓練施設に様変わりした。噂では血気盛んな団員が手持ち無沙汰で問題を起こさぬよう、
兵士数人が組手をするだけの広さはあるが、闘技場のように観客席があるわけでもなく、団員同士がしのぎを削り互いを高め合う以上の機能は有していない。
その空間が、今は十数名のギャラリーで埋まっている。
ナイツロード技術部所属、義肢開発者のロッテ・ブランケンハイムは、その様子を離れた場所からぼんやりと眺めていた。
出不精で知られる彼女が自室の外に出ることは——ましてや戦闘員でもない彼女が演習場に顔を出すのは、ままあることではない。
ただ、今回ばかりは直接目にしておかないと気が済まなかった。
人だかりの向こうで、見慣れた黒い癖毛が垣間見えた。
組手を行なっている彼の髪はいつも以上に乱れ、白い制服は汗と粉塵で汚れきっている。
それでも自らの不格好さなど視野にないと言いたげに、演習用のゴム製長剣を握り直し、無鉄砲に駆け出した。
「こんちくしょーっ!」
何度目かも分からない咆哮を発しながら、アルドロ・バイムラートは目の前の相手に斬りかかる。
相手の胴を狙った一撃は、しかし身を引かれて簡単に躱される。
勢い良く剣を振り抜いた格好がそのまま隙となり、足元を小突かれたアルドロは盛大に転倒した。すぐさま体を起こそうとしたが、間髪入れずに相手の足に踏みつけられ、再び背を地につける。
「分かったか? もう貴様に遅れをとることはないと」
アルドロを足蹴にしながら、組手の相手——アリーサ・シュリャフチナは勝ち誇った声を出した。
「不意を打たれなければ、どうということはない。やはり、あの時は貴様のまぐれ勝ちだったのだ」
自分より一回りも年下の少年兵を見下ろしつつ、意気揚々と笑うアリーサを見て、ロッテは彼女の気質を伺い知った。
アルドロと同じ直情タイプ。語弊を恐れず断じるのなら、
むしろ自分の頭の悪さをある程度は自覚しているアルドロに対し、アリーサはプライドが無駄に高い分、タチが悪い。数ヶ月も前の出来事を執拗に持ち出しているのがいい例だ。以前の戦闘でアルドロに負けたことが相当悔しかったのだろう。
「相変わらず無駄に元気だな、あの単細胞ネーチャン。あれで35歳だってよ」
隣から聞こえた辟易としたボヤきにロッテが目線を移すと、赤い短髪の青年が立っていた。
「ああ、フランダさん」
「レジーでいいよ」
レイニー・フランダことレジーは、ロッテがつい最近知り合った新顔だ。
制服を着崩しシルバーアクセサリーをチャラつかせるこの男は、入団してまだ一年足らずの新人だが、それ以前はフリーランスの傭兵だったらしい。それなりに難度の高い任務を任されているあたり、実力に関してはアルドロより大分マシだ。
ロッテとは所属も性格も異なるが、アルドロをおちょくって楽しむという点では気の合う人物だった。
——そこでロッテは思考を止め、レジーの言葉を回顧する。
今さっき、何か聞き捨てならないことを言ったような。
「……35歳って言いました? あの女の人が?」
「ウン」
哀愁すら感じさせる遠い目で、レジーは答えた。
彼もまた、以前の任務でアルドロと共に彼女と相対した一人だ。彼女の気質については嫌というほど思い知っているのだろう。
「マジっスか……」
ロッテは改めて、アリーサに視線を移す。
どう見ても30代半ばに見えない。容姿はともかくとして、その言動が。
先の一件でナイツロードに敵対し、セントフィナス王女の暗殺を企てた彼女は、どういうわけかナイツロードの団員になっていた。
事件解決後、収容された囚人病院から彼女が何度も脱走を図った、という所まではロッテも知っている。事後処理に追われるエーカーやレジーの愚痴と悪態を、耳にタコができるほど聞いたからだ。
だがそんな彼女が、気づけばナイツロードの傭兵として、同じ屋根の下にいた。
ロッテにしても他の団員にしても、寝耳に水の出来事だ。
噂では、彼女の身柄を扱いかねた某国刑務官とその上司が、ナイツロードの募兵官に掛け合って入団させたという。
その募兵官は一体いくら金を積まれたのだ、とロッテは心中で毒づいた。
でなければ、こんなアルドロを焼き増したような女を引き入れる道理はない。人手を増やしたいという気骨は否定はしないが、馬鹿の面倒を見る側のことも考えて欲しいものである。
彼女が兵士として優秀だというのならば話は別だが、特にそういうわけでもない。
戦闘面でも、アルドロとアリーサはよく似ている。偵察向きの能力者のくせに、真正面から相手を叩くのが好きなタイプだ。
見たところ彼らの実力は拮抗しているが、元国軍正規兵の実践経験の差で、僅かにアリーサの方が上回っていた。しかし、幾度となく死地に立ったベテランの傭兵からしてみれば、彼らのやっていることは猫のじゃれ合いにも等しいだろう。単なる子供と子供みたいな大人の喧嘩で、見るべきものもない。
それでも、すっかり日常茶飯事となったアルドロの喧嘩にこれだけの観衆が集まっているのは、ひとえに彼女が外面だけは良い女性という点だ。
この業界では珍しく、男女比に大きな偏りのないナイツロードだが、やはり前線に立つ兵士としては男性の方が多い。海上要塞という閉鎖的な環境も相まって、若い女性というだけでチヤホヤされる。ロッテのような例外はいるが。
そこに女性の、しかも外面は美人だという兵士が入ったのなら、否が応でも話題にはなる。
ここに集まったのも勝敗や戦闘技術などには一切興味はなく、アリーサがどんな女性か一目見ようという
ロッテは心の底で、少しだけアルドロに同情した。
「さあ、もうくたばったんじゃないだろうな? 貴様が泣き喚き、命乞いするまでとことんやろうじゃないか。あの足蹴の借り、ここで返してやるぞ!」
ロッテが目の前に意識を戻すと、アリーサはまだアルドロを見下ろした状態で、悦に入っていた。
足元に転がった少年に届かせるには大きすぎる声量で勝ち誇る彼女を見て、周囲の観衆から徐々に人が減っていく。彼女の残念すぎる性格を見れば無理もあるまい。
「あいかわらず、ゴチャゴチャとうるさいヤツだな……!」
アルドロは心底うんざりした様子で、アリーサを睨む。
その両眼が、影の中へと沈んだ。
アリーサが反応するより早く背後から現れたアルドロは、彼女の長い茶髪を容赦無く掴む。
アルドロの持つ、影に潜み、移動し、別の影から姿を現す能力。
「どっせい!」
アルドロは思い切り体重をかけて髪を引っ張り、アリーサを引き倒した。
完全に不意を突かれたアリーサは、地面の上でもがいている。
今度はアルドロが見下ろす格好となった。
「貴様!」
怒りのまま手を伸ばしたアリーサの喉元に、アルドロの剣が突きつけられる。隣でレジーが感嘆の声を漏らした。
「まぐれでも勝たせてやんねーよ!」
思いもよらない逆転劇に、残っていた観衆がどよめく。
無理もない。何百回と行われた演習場内でのアルドロの喧嘩で、初めて彼が優勢になったのだ。
天地がひっくり返っても、アルドロが勝つことなど万が一にもありえない——そう高を括っていた団員達は、思い思いに驚きの声をあげる。
ロッテもまた、表情にこそ出さなかったが驚嘆した。
それと同時に、胸中で小さな違和感を覚える。
自身の知るアルドロ・バイムラートは、勝てもしないのに格上の相手に喧嘩を売っては、一方的にボコボコにされて帰ってくる。そんな人間だ。
彼が一度たりとも相手の優位に立ったことがないのは、単純な戦闘能力の未熟さもあるが、何より一対一の公正な決闘に拘るからだ。とにかく不意打ちや搦め手の類を嫌悪していた彼は、騙し討ちを形にしたような自身の能力さえ忌み嫌い、真正面からの突撃しかしてこなかった。
その彼が——不利な状況から脱する為とはいえ——能力を使って相手の背後を狙った。
ロッテは頭の中の疑問を
腐れ縁程度の仲で、何もかも知っているというわけではないが——あんなに勝つことに拘るような奴だったか。
「アルドロ・バイムラートはいるか」
思案に耽っていたロッテの背後から不意に、凛とした女性の声が響く。
拳や剣のぶつかる音や掛け声で満ちていた演習場が、その一言によって静寂に満ちた。
何事かと、ロッテは声の主を見やり……普段の寝ぼけ眼を大きく見開く。
ロッテの目に飛び込んで来たのは、演習場にはあまりに似つかわしく無い、メイド服を身に纏った女の姿だった。
一見すれば、数世紀前の貴族のもとで働いているような格好の給仕だが、その他の身体的要素全てが給仕という枠組みから大きく逸脱している。
——例えば、特徴的な跳ね方をした青髪。
——例えば、猛禽類にも刃物にも似た鋭い眼差し。
自堕落で知られるロッテとは全く逆のベクトルで、声をかけにくい女性の一人。
傭兵団ナイツロード幹部、ヴァレンティナ・クーツェン。
団長直属の部下の一人であり、普段滅多に姿を現さない幹部連中の中でも、ヴァレンティナは広く顔と名の知られた人物である。
同時にナイツロードに属する者は皆、彼女の実力の高さと恐ろしさを、否応なく知っている。
「…………誰?」
その名を呼ばれた少年を除いては、だが。