アンジャスト・ナイツ2/Black Embrace #24 「Spritzer③」
セントフィナスの広場前に、大きな高台がある。
石造りだというのに表面は白くて隆起がなく、無骨さの欠片も感じさせられない。気品溢れるセントフィナス中心部の街並みにすっかり溶け込んでいる。
十数年前、建国記念に建立されたソレは、セントフィナス中の景色を一望できる程の高さだ。
外に取り付けられた木造の階段は海風で風化しており、つい最近撤去されたため、登れれば、の話ではあるが。
夕焼けに染まる街中に混乱が起きていた。
ボルドーでのホテル爆破事故の一件は全国ネットによって、セントフィナス王室、そして国民の耳にも届いていた。
国民達はその一報に衝撃を受け、王女の無事を知ると皆一様に胸を撫で下ろしたものだ。
そのボルドーにいるはずの王女が、何故か目の前を男に抱えられて去っていったのだ。
さらに目撃者の一部には、王女が怪我を負っていたという証言すらあった。
多数の住人から同様の証言を得た警官は、事実確認のため、男が向かっているという都市部の本庁に連絡を入れた。
本庁はすぐさま警備隊を派遣し、やってくるであろう王女を抱えた黒ずくめの男を王国中央の広場で待ち構えた。
はたして、男はやって来たが、警備隊がその役割を果たすことはなかった。
数々の修羅場をくぐり抜けて来た彼にとって、平和ボケした警官隊など畑に突っ立った案山子同然の存在でしかない。
王女を抱えた男は、迫り来る警官をひらりひらりと躱し、高台のふもとにたどり着く。
報告を受け、警官たちが高台の元に集まったが、既に男は王女を抱えて高台をよじ登っている最中であった。
どこにも突起のない、滑らかな高台の壁を難なくよじ登る男。
道具を使っている形跡も見当たらない。はたから見れば、まるでトカゲが家の壁をよじ登っているかのようだ。
急いで警官達は高台を登って男に追いつこうとするが、階段のない今、あの高さに届くのは消防用のはしご車くらいだ。到着まで5分強は待たなくてはいけない。
男は高台を登りきると、王女を肩から降ろす。
警官と野次馬達が固唾を飲んで見守る中、男がコートの懐から取り出したのは
鈍く黒光りした拳銃だった。
冷たい地面の感触に、目を覚ます。
見覚えのある、ザラザラとした白い地面。セントフィナス王国特有の白土を固めてでできた床だ。子供の頃、よく床に寝転がっていては父親に注意されたものだ。
「立て」
懐かしい感触に感傷に浸る暇もなく、背中から聞き覚えのある——冷たい声が響いた。
振り返るまでもなく、ユーリがそこにいる。
恐らくは、銃を突きつけて。
自分の意識が周りの状況を飲み込めるほどには回復すると、何やら下の方から阿鼻叫喚の声が響いているのに気づいた。
怒り狂ったような男の声。泣き叫ぶような女の声。
彼らの声に、まだ朦朧としていたオリガは完全に意識を取り戻した。
国民達が高台の下にいる。
ここで、弱い自分を見せてはいけない。
恐怖に泣き叫びたい気持ちを必死に抑え、王としての確固たる意志を目覚めさせたオリガだったが、この状況を一変させるほどの力を、オリガは身につけてはいない。
拳銃を持った男一人相手に、非力な少女はどうすることもできないのだ。
言われた通りに、ゆっくりと立ち上がるオリガ。
緩慢な動きそのままにユーリと向き合い…その背後を見て目を丸くした。
「やっぱここかぁ〜」
突然の部外者の声にユーリは身じろぎした。振り返った先にいたのは、くたびれた白いジャンパーを羽織った、黒髪でヒゲの男。
「イリガル・エーカー!」
「そりゃあ見せしめなら、皆の眼の届くところでやらないと、だからねぇ」
エーカーが一歩踏み出したのを見計らったユーリは、オリガに銃口を近づけ、撃鉄を起こす。
「動くなよ。お前の目的はこの娘を無傷で救出することだろう。お前がいくら早くとも、私の放つ銃弾からこの娘を守ることはできない」
「……」
困ったように両手を挙げるエーカー。お手上げだ、とでも言いたそうな表情だ。
どことなく余裕のあるエーカーの様子を観察していたオリガは、彼もまた、自分の様子を伺っていることに気がついた。
まるで、ボルドーのホテルで自分を見さだめようとした時の目だ。
この状況で私が何を為すのか。それを見てみたいと言っているようだ。
「……ようやく、私の悲願が達成される」
少女の考えていることなど興味もなく、恍惚とした表情でオリガを見つめるユーリ。
彼の目に宿った漆黒の炎は、今にもその両目を焼いてしまいそうな勢いだ。
「オリガ……最期に何か一言、言いたいことはあるかい」
不意に口を開いたユーリの口調は、まるで執事の時のように落ち着いたものだった。
優しく諭すように言ったソレは、しかしオリガにとっては死を受け入れろと言っているのと同義だった。
ゆっくりと眼を閉じ、一瞬間をおいて、再びゆっくりと眼を開くオリガ。
その眼は、ユーリとは対照的に金色に光っていた。
「貴方に未来はない」
国民の前で憐れに泣き叫び、命を乞うだろうとばかり思っていたユーリは、予想だにしないオリガの言葉に驚きを隠せなかった。
「19年もの間、我々王族を恨んで止まなかった貴方が、子供一人殺したくらいでその恨み全てを晴らせるわけがない。この方法で、貴方の闇が完全に晴れることは決してない」
その言葉に、エーカーは両手を挙げながら、心の中で拍手した。屋敷の中で悠々と暮らしてきた割には、恐るべき担力だ。
王である父から与えられた血と意志とでもいうべきか。
ここまでの任務のどこかでそれが目覚めたか……もしくは、自分が目覚めさせてしまったか。
時を止めたように固まっていたユーリの驚愕の表情が、みるみる怒りの形相に変わっていく。
「貴様ァ……!!」
対するオリガも両手を広げ、ユーリに向かって咆哮する。まるで、背後に集っている国民をかばうかのように。
「撃ってみなさい! ユーリ・マルケロフ!!!」
オリガが叫んだ瞬間、彼女の背後の影が盛り上がったかと思うと、片手剣を持った少年が姿を現した。
ユーリが発射した弾丸を、少年は片手剣を振るって弾き飛ばす。その勢いのまま一回転し、今度はユーリの手に握られていた拳銃を吹き飛ばした。
ユーリが気づいた時には、自身の首元に少年の握った刃があてがわれていた。
銃弾の痛みを予期して目を瞑っていたオリガは、予期した通りの衝撃が来ないことに疑問を感じ、恐る恐る目を開ける。
果たして、ユーリと自分の間に少年が立っていた。
その少年の姿は——跳ねた黒髪と酷く汚れた白い服は、オリガにとっては見慣れた姿だった。
「アルドロさん!」
オリガの呼びかけに、少年は笑顔で答えた。
「おう」
ロンゴの能力を「コピー」と形容するには、いささか語弊がある。
複製とは同じものをそっくり再現することだ。
だが、ロンゴの能力は再現は可能だが、それを発生させるプロセスは、オリジナルとは似て非なるものであることが多い。
エレクの電撃は彼の体の特殊な体構造が生み出すものだ。
そしてエレクの複雑な体構造を、レイド以外に把握している者はいない。ロンゴもまた、そのことについて微塵ほども知らない。
だが、ロンゴはその能力を再現できる。
ロンゴの体構造が、電撃を放てるように変化するのだ。
それはエレクの体構造とは全く違うものだが、電撃を放てるという結果は同じである。
「3+4」と「2+5」は内包する数字が違えど、結果は同じく「7」になる。
まさしくロンゴの能力は、「7」という結果だけを再現するために自身の体を変化させる能力なのだ。
能力のトリガーは、「攻撃を受けること」である。
その前提があるが故に、ロンゴの体は死ににくい。致命的なダメージを受ける前に体を変化させ、その攻撃に適応する。
電撃も、銃弾も、火炎も、彼に死を与えるに十分な攻撃ではないのだ。
そしてこの能力のもっとも恐ろしい点は、ロンゴが自身の能力について十分に熟知しているということだ。
いくら撃たれても銃弾に適応し、拳銃そのものになれる。
いくら焼かれても炎に適応し、火炎放射器そのものになれる。
そして目の前の白髪の青年の全武装は、ロンゴに死をもたらすには程遠い。
白髪の青年——レイドがそれを理解したのは、ロンゴに打ち込んだ銃弾が、いつのまにか自身の眉間に打ち込まれていた時だった。
子供の手から離れた玩具のようにバランスを崩し、仰向けに倒れるレイド。
それをロンゴは、まるで蜘蛛の巣に絡まった蝶を見るような、神妙な面持ちで見ていた。
倒れた青年の体は、ピクリとも動かない。
死んだか? 確認するか?
一瞬湧いた疑念に、ロンゴは頭の中で「否」と即答した。
相手も相当しぶとかった……もしかしたらサイボーグか何かの類かもしれないが、自分のように頭蓋の中の銃弾に適応できるわけがない。
地下電車の戦闘で自身の眉間に銃弾を打ち込んだ男は、恐らくとっくに仕留めたと思っているのだろう。
それが普通である。
自分と同じ能力を持たない限りは。
そしてその能力を持ってるロンゴでさえも、レイドが生きているかどうか確認するまでもないと考えた。
こんな能力を持った人間が、この世界に二人もいるはずがない、と。
思考を刹那で終え、ロンゴはユーリを追い、王女を葬りさらんと、その部屋を後にしようとした。
その背中に、不意に言葉が浴びせられる。
「……驚いたな」
ロンゴはぎょっとして振り返る。しかし、人影はいない。——あるのは、青年の屍体だけだ。
「久しぶりに−−"死なない人間"と会えた」
その屍体の口が、言葉を紡いだ。
ロンゴはすぐさま臨戦態勢をとる。
「貴様−−なぜ生きている!?」
ロンゴの焦りと疑念を込めた問いに、レイドは気だるげな言葉で応えた。
「それはこっちの話ですよ、何発頭に撃ち込んだんでしたっけ……10から先、数えてなかったんですけど」
そう言いつつ立ち上がったレイドの表情は、いつにも増して気だるげに見え——その眉間からは銃創が消えていた。
「傭兵になって結構経ちますし、能力者も色んな種類を見てきたんですけど……自分に近い能力を持つ相手とはあまり会えなくて。だからつい、驚いてしまいましたよ」
驚きを微塵も感じさせない口調で、レイドは先ほどまで穴の空いていた眉間をさすりながら言う。
「ところで、あなたは不便だと思ったことはありませんか? 死ななくて」
「何を言ってる」
レイドの突然の質問に、ロンゴは吐き捨てるように言う。ロンゴの中に沸々と、予測不能ゆえの恐怖が湧いてきた。
「おんなじ"死ににくい者" 同士なら分かると思ったんだけど……死にたい時に死ねないのは不便だと感じませんか?」
「感じないな。"攻撃を受けて死ぬ"と言う概念など、俺の頭にはない」
「……なぁんだ」
本来の彼にあるまじき、子供のような口調で返事をするレイド。
「じゃあ僕の一撃を受けて死んでください」
言うが早いか、レイドの両腕が人間の体としては不可解な方向に曲がった。
しかしその動きはぎこちないものではなく、むしろ"そういう構造になっている"かのように自然なものだ。骨の折れる音も一切ない。無音だ。
次に腹が裂け、内臓のように赤黒い色をした銃器が姿を表す。
「!!」
異様な光景に、ロンゴは身構える。
青年の腕やら脚やら、ありとあらゆる体の部位が裂けては、様々な口径の銃口が姿を表すのだ。
それは、まるで蛹の羽化のようだった。
その羽化が、ピタリと止む。
何が来る?
銃弾か? レーザー攻撃か? 核爆発か?
何が来ようと受け止める構えをしていたロンゴだったが、その予想とは裏腹に、銃器から一発の銃弾も放つことなくレイドの体が元に戻った。
一瞬の出来事に虚を突かれたロンゴは再び驚愕する。
元に戻ったレイドの体は、先ほど話していた時と変わらない白髪と白い制服だ。
——その背中に生えた三対六枚の羽根を除いては。
ロンゴがそれを認識した瞬間、レイドの羽根が煌々と輝きだした。
白銀の閃光。
そうとしか形容できない、形容しがたいソレは、どんどんその光の強さを増していき、目を開いていられない眩しさにまでなった。
「あなたとは分かり合えると思ったんですけどね−−」
白の世界の中、レイドの声だけがロンゴの耳に届く。
「——明けの明星」
白の世界が、途端に無の世界に変わる。
攻撃を受け止めようとしたロンゴは、既に自分の肉体が無くなっていることに気づき、コンマ数秒の後、その思考も消え去った。
純白の光が窓ガラスから漏れ出た後——
4階建の空港が1階建になっていた。