アンジャスト・ナイツ2/Black Embrace #27 「Affinity」
「ありがとうございました」
深々とお辞儀をするオリガ。目の前には、ナイツロードの面々が揃っている。
「お礼なんていいって、俺らも任務だったんだからな」
腰に手をやり、自慢気に鼻を鳴らすアルドロ。
「そうだな。だがお前は俺に謝罪が必要だ。な?アルドロ」
上機嫌のアルドロの隣から、エーカーがいかにも恨めしそうな声で言った。
対するアルドロは、さも不思議そうな顔でエーカーに問う。
「は? なんで?」
「なんでじゃねー! お前のせいでコッチの作戦がメチャメチャになったんだよクルァ!」
「まぁ落ち着いて、エーカーさん」
今にもアルドロをしばき倒さんとするエーカーを、デルタが制する。
その時、本部と連絡を取っていたレジーが戻って来た。
「ダニイルさんの容体だが、命に別状はなかったらしい。今ボルドー市内の病院にいるそうだ」
「そうですか……よかった」
その一報を聞いたオリガはホッとした表情を見せる。
ユーリの放った弾丸はダニイルの心臓を掠めるに留まっていた。それでも重傷だが、駆けつけた団員の応急処置が功を奏したのだろう。
運のいいやつだ、とエーカーは感嘆した。そんな強運があるのなら、皇室よりも軍人のほうが向いているかもしれない。
「で、もう護衛はいいのか? 嬢ちゃん」
レジーがオリガに問う。オリガは微笑みながら首を横に振り、目を伏せた。
「ええ。ここには我々の国の兵士がいます。それに、私も私の武器を見つけました。もう庇護されるだけの私ではありません」
そう言って瞳を開けたオリガの両目は、黄金が埋め込まれたかのように輝いていた。
真実を見通す瞳−−彼女が持つ、唯一だが、強力な武器。
それを見たエーカーは、眉間に皺を寄せる。
「この事件……いえ、旅を通じて、良い経験をさせていただきました。あなた方ナイツロードに良い未来が待っていることを願っています」
「そんじゃ、こっちからも願っておくぜ。二度と会わないように、な。裏社会のゴミ処理屋と国の領主サマが、何度も会っちゃ問題になるだろ?」
エーカーの言葉に、オリガは微笑みながら返す。
「ええ。でもまた、我々だけでは手に負えない事件が起こったら、その時はあなた方を頼りにしていますよ」
「……そーかい」
気の抜けた返事で、エーカーは背を向け、王宮を後にする。
他の団員達も追従して、何の余韻も残さずに立ち去っていく。
「アルドロさん」
「んお?」
遅れまいとエーカー達の後を追おうとしていたアルドロは、オリガの声に振り返った。
「その……また会いましょう! また、いつか……」
朝日に照らされたその表情は、まるで夕焼けと見紛うくらいに赤く染まって見えた。
その表情の真意を知ってか知らずか、アルドロは微笑んだ。
「ああ。またな」
「一つ疑問がある」
真っ先に王宮を後にしたエーカーは、後ろから駆けてきたイクスに質問を飛ばされた。
「さっきはああ言っていたが、ならば何故アルドロをこの任務のメンバーに加えた」
「……」
「奴の性格はお前もよく分かっている筈だ。あの事態が起きることを、お前が予想できなかったとは考えられん」
数秒の沈黙の後、エーカーは答えた。
「奴の能力が斥候に最適だってことが一つ。それに、王女に対する奴の性格がこの任務の遂行に必要だった。見ての通り、彼女の俺たちに対する心象がまるで違うだろう。俺もお前も、上っ面ではともかく、内面では彼女を王女として扱った。だがボウズは違う。あいつは彼女を対等な一人の少女として見ていた。心の底からな」
「その接し方が、彼女の心を打ち解けさせたと?」
「結果的にはそうなるな。まぁ、予想以上の効果だったが」
そう言って、エーカーはイクスから顔を背けた。
……こうは言ったが、真の目的は他にある。
任務が進むにつれ、アルドロの戦闘での行動原理は変化していった。
人一倍不意打ちを嫌っていた男が、王女を守るためなら不意打ちを厭わなくなっていった。
任務を全うするため……というよりは、仲間を守るため。アルドロは自分の流儀と王女の命とを天秤にかけ——前者を捨てた。
そして一度勝利の味を知れば、その味を占めることは明白だ。人一倍勝ちに飢えているアルドロならなおさら。
これでいい。私の目論見は順調に進んでいる。
エーカーは、その考えを誰に言うでもなく、セントフィナスを後にした。
「王室に保管されていた資料によると、当時の憲兵団員は30名。そのうちユーリ達今回の件に関わった者を含む身元が確認されているものは26名。残りの身元を現在調査中です」
ナイツロードの最上階、団長室。
まるでマンションのモデルルームのように小綺麗に整頓されたそれは、数千の傭兵を纏め上げる男の部屋とは到底思えない。
だが、そんな部屋など見飽きたとでもいうような感慨のなさで、淡々と文章を読む機械のようにレイドは報告した。
「想定外の事態とはいえ、王女の身柄を一時奪われたことについては……」
「いえ、その件について咎める必要はありません。任務において想定外の事などいくらでも起きるものです。むしろ、あの事態の中よくぞ任務を成功してくれました」
特注の椅子に腰掛けながら、口角を上げて賞賛するナイツロード団長−−レッドリガ。その表情のまま、レッドリガは言葉を続ける。
「しかし、わざわざここに来たということは、何か私に尋ねたいことがあるのでしょう?」
能面のようなレイドの表情が、その言葉を聞いた瞬間に変化した。まるで戦場に赴く兵士のような表情だ。
「……コレについて質問させて頂けますか」
そう言ってレイドは、手元の小型武装収納機から銃を一丁取り出した。
「ナイツロード謹製の5.56ミリライフル、不動化薬弾の使用を想定した対人麻酔銃……それがどうかしたのです?」
「お聞かせ願いたい、この銃は……本当にナイツロード開発班が作ったものですか?」
「ええ勿論。正真正銘我らがナイツロード開発班が製作したものですよ」
レッドリガが口角を上げた表情のまま答えるが、レイドもまた表情を変えず、無言でレッドリガの言葉の続きを待っている。
その様子を見たレッドリガは、何かを諦めたように肩を竦めた。
「……製品は、の話ですが」
「銃の設計はMi6英国情報部。そうですね?」
レッドリガの上がったままの口角が、不意に平坦になった。
「今回の任務の途中、偶然Mi6のエージェントと遭遇したことは報告済みでしたよね? その際に彼が使用していた銃が、我々が使っているものと似ているように思えたんです。それで帰還してから調査したのですが……技術開発班のメンバー、この銃の量産に携わっている者全てに質問しても、この銃を開発した者が誰か知るものはいなかった」
戦場に立ち銃を構え、今にも撃たんとするような、レイドの強張った表情。
「……これを、どこから手に入れたのです?」
「貴方に教える必要はない、といえばそれまでですが……まぁせっかく任務を成功させてくれたのですから、そのついでにお話ししましょうか」
まるで、子供におもちゃを買い与えるような口調で、レッドリガは了承した。
「ただし、くれぐれもこの話は内密に。他言無用です」
そんなつまらないことをする人間は、自殺願望者でもない限りこの傭兵団にはいない。いたとしても、そいつは既に墓の下で蛆の餌となっているだろう。
レッドリガの釘刺しにレイドは心の中で頷いた。
「我々が任務をする上で障害の一つとなりうるのが、国の公的機関です。警察や軍隊は言わずもがな、CIAやMi6を始めとした諜報組織、国の垣根を超えたWDO世界防衛機関。どこまでいっても対立や摩擦は発生する。我々は所詮人殺しなわけですからね」
まるで事前に準備しておいたかのような流暢さで、レッドリガは言葉を紡ぐ。
「そういった組織と我々が無闇にかち合うことのないよう、私も色々と策を講じているのです。例えば——密偵とか」
レッドリガが発したその単語に、レイドは目を見開いた。
「彼はいい仕事をしてくれていますよ。Mi6の活動を事前に把握するだけではありません。Mi6の人員、開発された武装・兵器、あらゆる情報を頂いています。彼が持ち込んだ設計図から開発された武器は、団員達からも非常に評判がいい」
「彼……というのは」
レイドは思わず頭の中に湧いた疑問を呟き、すぐに恥じた。
レッドリガから気に入られているとはいえ、あくまでレイドは一般団員に過ぎない。少しばかり仕事ができるだけの、ただの平団員に、そんなことまで話す義理は団長にはないのだ。
しかし、レッドリガはさも言うのが当然かのように、即答する。
「イリガル・エーカー団員です」
レイドの表情が今度こそ驚愕で歪んだ。
人を嘲り、命を侮辱する。彼の表情とその肩書きとが、レイドの頭の中ですぐに合致した。
「彼にはこれからも働いてもらいますよ。ナイツロードの団員として……Mi6への密偵として。だから、彼へのちょっかいもほどほどにしておいて下さいね」
団長室を後にしたレイドは、下階の居住区に向かう階段で、ふと足を止める。
イリガル・エーカー。
自分が彼に対して感じていた不信感の原因は、彼がMi6へのスパイであったから−−?
何か、違う気がする。
レイドは、胸の奥の苛立ちの原因を、未だに掴めずにいた。
自分が進めてきたTMMI社の同盟交渉を無下にされたから?
彼の正体を暴こうとして、彼に咎められたから?
どれも、違う気がする。
あの男の闇は、さらに深い気がする。
もしあの男がレッドリガが思うよりも"頭の切れる男"だったら?
もしあの男がナイツロードとMi6の狭間に立って、"何かを企てている"としたら?
——やはり、あの男を自由にさせておくわけにはいかない。
レイドは再び、階段を一段一段降り始める。
悪魔のような男に対する、無数の策を心の中で企てながら。
その後ろ姿を、給士の格好をした女が見ていたことはレイドの預かり知らぬ事項である。
ロンドンの郊外、人通りの少ないスラム街の入り口にそのバーはあった。
外観こそ、スラムの寂れた街並みに溶け込むくらいには古ぼけたものだが、内装はいかにもバーらしく、落ち着いた照度の照明と暗い赤色の壁紙で装飾されていた。
その壁を覆い隠すように、ワインボトルやグラスが棚に綺麗に並べられている。いずれも年代物で、スラムに暮らす人間にはとても手の出せない代物だ。
しかし、その店主といえば、その店の雰囲気には少しも似合わない、白い長髪をした子供のように背の低い女性だった。
丁寧にワイングラスを磨いている女店主の前で、エーカーは一人座席に腰掛け、葉巻をふかす。
その様子を、女店主は嫌悪感を隠さない表情で見てはいるが、咎める様子はない。
実はこの店、元々禁煙だったのだが、エーカーと女店主の度重なる協議の結果、夜の間だけは喫煙が許されたのだった。
子供のような店主と柄の悪いヤクザのような客。
アンバランスな二人きりの、どう見てもはやっていない店の入り口が、不意に開く。
ドアに取り付けられた、古めかしいベルの音と共に入ってきたのは、白髪の黒いコートを着た長身の男だった。
コートの男はエーカーの隣の席に座るなり煙草を取り出す。
それを察していたかのように、エーカーは懐からライターを取り出して、男の咥えた煙草に火をつけた。その様子を、女店主は先ほどの嫌悪感のある表情とは違う、複雑な面持ちで見つめていた。
紫煙を吐き出す男。ペルメルの落ち着いた香りが店内に充満した。
一息置いて、コートの男はようやく口を開く。
「なぜ、あの餓鬼を助けさせた」
鋭く冷たい声。対するエーカーも、葉巻を吸ってから言葉を返す。
「あいつは伸びそうですからね。成長する機会はできるだけ与えてやらんと」
「確かに、猪突猛進だが伸びしろのある餓鬼だ。だが、危険でもあるな」
「ええ。誰かが制御しなければ暴走するでしょう」
そう言ってエーカーは葉巻を灰皿に押し付ける。
「ですから、俺が制御装置になります。経験も浅く単純ですし、手懐けるのは難しいことではないでしょう。そして、いずれは我々の駒に」
エーカーの邪悪な笑みに、男は特に表情を変化させるわけでもなく、再び紫煙を吐き出す。
「ところで中佐、なぜ今回の件に介入を?」
一転、まるで明日の天気を聞くような声音で、エーカーは尋ねる。
「海を隔てているとはいえ、近隣国に政変が起これば本国にも影響が出るだろう。未だに王族というシステムに不満を持っている者は多い」
「それで、本音は」
「……あそこのワインは女王陛下のお気に入りだ。国が転覆すれば、ワインの質も量も落ちる」
「はは、それは大ごとだ」
さも面白そうにエーカーは笑う。しかし、その目は少しも笑っていない。
数年前に独立したとはいえ、英国とセントフィナスの国交はどちらかが潰えるまで永久に続く。
表面上は友好的外交だろうが、言ってみれば切っても切れぬ腐れ縁みたいなものだ。
もし英国が戦争に参加すれば、セントフィナスはその支援を強いられるだろう。そのことについて、セントフィナスの国民は賛否両論だ。
その中であのお嬢ちゃんがこの先どうしていくか。中々いい見ものになりそうだ。
「それで、エーカー。例の作戦はどうなっている」
エーカーの思案などいざ知らず、コートの男は紫煙を吐きつつ尋ねる。
「順調といっていいでしょうが、一つ問題なのは……今回の任務であなたが接触したナイツロード団員の一人、レイド・アーヴァント」
そう言ってエーカーは書類を机の上に置く。書類には、レイドの顔写真がクリップで留められていた。
「彼は領分というものを知らない。外見は綺麗に着飾ってはいますが、知りたいことはなんでも知りたがる。傭兵向きとは思えない人間ですが……少なくとも戦闘員としての腕は超一流です」
「それで、この作戦の障害の一つというわけか」
「ええ。もしこの先、彼が貴方の前でしゃばるようなら、処理は任せます。その後の情報操作はこちらで行いますんで」
そんな剣呑な会話を目の前で聞いていた女店主は、しかしそれが当然だとでも言うように、何食わぬ顔で自分の仕事に精を出していた。
煙草を吸い終え、酒の一杯も頼まぬまま立ち上がるコートの男。
「では、イリガル・エーカー軍曹。"ナイツロードへの諜報任務"、引き続き続けてくれ」
コートの男——リクヤに呼ばれ、エーカーは不敵な笑みを浮かべた。
To be continued…?