A地帯

創作小説、ブロント語、その他雑記等。

The twain Swords #1-10

 暗い海底から引き上げられる沈没船のように、アルフォンソはゆっくりと目を覚ました。

 全身はほんのりと熱を持ち、餅のように柔らかいベッドが背中を包み込んでいる。天井から放たれる暖色の光は、再びアルフォンソを眠りの世界へ落そうとする。

 ここがどこなのか、今何時なのか、一体何があったのか。思い出そうとするアルフォンソだったが、頭がぼんやりしていてうまく働かない。

「目が覚めたみたいね」

 もやのかかった感覚神経に、女性の声が突き刺さる。その声を聞いて初めて、アルフォンソは隣に人が座っていることに気がついた。

 赤い髪と赤いロングコート、紅い眼をした女性。体の大部分が赤色で覆われている彼女は、さながら童話の中に出てくる赤ずきんのようだ。対してベッドに伏しているアルフォンソには外見も性格も、オオカミに相似したようなところはほとんどない。強いて挙げるならば整っているとは言い難い、ボサボサの茶髪がオオカミの体毛を連想させなくもなかった。

 そんな童話の世界に引き込まれるくらいに特徴的な外見の女性を見て、アルフォンソは何か既視感のようなものを感じながらも、未だ先ほど起こったことをうまく思い出せないでいた。

 ひとまず、アルフォンソは当たり障りのないようなことを尋ねる。

「……ここは、どこだ?」

「WDO本部の仮眠室よ。今は夜の9時。かなり長い間眠ってたわね」

 そこまで聞いても、寝起きのせいなのかうまく状況を判断できない。とりあえずベッドから出ようとして……そこで思い出した。

 僕は撃たれた筈だ。

 慌てて体を起こし、インナーを脱ぎ捨てる。女性の目の前だが、そんなことを気にしている余裕はアルフォンソにはなかった。

 果たして傷は見当たらなかった。目の前にはちゃんと血の通った身体がある。さっきまで大きく抉られていたはずの胸に欠損している部分などどこにもなく、触れても痛みや違和感のあるようなところはない。
 そこでアルフォンソは、はたと自分の顔に手を触れる。眼鏡をかけていないのに、自分の足先まではっきり見える。眼鏡がないと何も見えないようなド近眼だったのに、だ。

 わけが分からない。負傷しているどころか前より健康的な身体になっている気がする。

「これは……どういう……」

 アルフォンソが説明を求めようと顔を上げると、座ってたはずの赤毛の女性の顔がすぐそばまで近づいていた。驚くアルフォンソをよそに女性はアルフォンソの身体を、男の裸をまじまじと見つめ——彼のむき出しの胸に触れた。次に腹を両手でぺたぺたと触りだす。心臓の鼓動を手で感じ、ふむと何か納得したような声を漏らしたりもした。

 彼女が胸に顔を近づけてきたところで、アルフォンソはようやく我に返る。途端に羞恥心が込み上げてきた。

「な、何ですか急に!」

 アルフォンソは彼女の両肩を掴み、引きはがそうと試みた。が、相手の力が思ったより強く、なかなか離れようとしない。

 そのままの状況が数秒間続いた後、ドアが開く音と共に、奥から誰かが入ってきた。

 その男がテンヌィスだと、近眼が解消していたアルフォンソはすぐに分かった。黒髪の黒いスーツ姿は記者会見の時と変わっていない。

「起きたか……何をしてる?」

 目の前の珍妙な光景に対して、テンヌィスは冷静に問うた。少なくとも変な誤解はしなかったようだ。

「テンヌィスさん、この人が急に……!」

「心音を聴こうとしてるのよ……手をどけなさい」

 その言葉に、アルフォンソは始めからそう言えばいいのにと思いながらも、渋々手を離した。彼女はぴったりと耳を胸に当て、心音を確かめているようだ。続いてアルフォンソの腕をとって脈を測る。衛生兵なのだろうか。しかし、この女性がテロリストを一掃していたのを確かに目にしていた。

「……間違いないわね」

「……やはり、か」

 女性の呟きに、テンヌィスが反応する。一体何のことか、アルフォンソは身に覚えがない。彼の疑問そっちのけで二人は何かを把握したようだった。

「で、どうするつもりだ」

「法力がごく弱いなら帰しても構わないと思ったけど、これは……」

 勝手に話をし始めた二人に、そろそろ耐えきれなくなってアルフォンソは口を開く。

「……誰か説明してくれないか?ここで何があった? どうして僕は撃たれたのに死んでない? 」

 アルフォンソの言葉に二人は一瞬だけ目をそらした。明らかに戸惑っている様子だ。アルフォンソが今まで見てきた官僚や軍人がするような、全て話すべきか、という戸惑い方。何かしらの伏せ事があるようなのは確実だった。

 やがてテンヌィスが口火を切った。

「……分かった、質問に答えよう。まずはここで起きたことについてだ。君も知っての通りだと思うが、今から約8時間前、所属不明の兵士21名がWDO本部——この建物を襲撃した。後に分かったことは、その兵士はそれぞれフリーランスの傭兵で何者かに金で雇われたという。彼らの目的はWDOの制圧、及び総司令官の暗殺だった」

「それで——敵は?」

「襲撃から25分後に全員無力化した。依頼主の名を聞き出したが恐らく偽名だろう。これといった手がかりはなかった」

「そうですか……彼らはここを制圧して、総司令官を殺害してどうするつもりだったんですか?」

「我々の目的は世界から争いを根絶することだ。傭兵である彼らは、それで仕事を奪われるとでも思ったのだろう。だがそれはあくまで傭兵側の動機だ。おそらく、目的はもう一つある。依頼主の目的、それは君が今生きているということと深い関係がある」

 テンヌィスの目つきが変わった。記者会見で見た彼とは明らかに違う、まさに軍人といった雰囲気だ。

「君が会見で話していた超能力や魔法……あれは確かにこの世に存在する」

「……」

 あっさりと告白したテンヌィスに、アルフォンソの方が絶句してしまった。
 アルフォンソに問いただされ、テロリストの襲撃で危険な状況に陥ってまで言わなかったのに。ここで明かすということは何かしらの事情があるのだろう。

「ただ、君たち一般の人間が認知しているような魔法や超能力とは少し違う。正確に言えば『法術』というものだ」

「ほうじゅつ……?」

第二次世界大戦中、ナチスドイツはあらゆる分野の研究を進めていた。科学や医術だけではなく、魔術や錬金術の分野まで研究の手は及んだ。その一つが法術だ。大気中に含まれる多数の微量成分をエネルギー、『法力』に変換する技術。敗戦で研究は頓挫したが、終戦後に連合国軍が残された資料を元に研究を引き継ぎ、法術学として体系化させた」

「魔法が、40年も前に科学的に開発されたと……!?」

「これは一般には広められていない特秘事項、君たちは知らなくて当然だ。もちろん、大戦以前からそれに類するものはあった。西洋の黒魔術や錬金術、日本の陰陽道がそれにあたる。そしてそれを目にした者が魔法や超能力だと書物に残し、あるいは口頭で伝わってきたのだろう。だがナチスが、連合国軍が生み出したのは、より効率的でシステマチックなものだ。なにせ戦争のために研究された技術だからな」

 テンヌィスの言葉に、アルフォンソは愕然とした。
 記事にマニアックなオカルト話題を盛り込むくらいだ。その分野に関してはあらゆる事象をあらゆる手を使って調べてきた彼だが、幼い頃憧れ、大人になった今でも焦がれてきた魔法が自分の生まれる前から存在していたことに深いショックを受けた。

「その魔法……いや、『法術』を使って僕の怪我を治したってわけか……」

 アルフォンソの呟きにテンヌィスは静かに首を振る。

「いや……確かに君をここまで回復できたのはまぎれも無く法術のおかげだ。だが治したのは——君自身だ」

「え——?」

 テンヌィスの言葉に理解が追いつかない。すると、今まで沈黙を保っていた赤毛の女性が口を開いた。

「私があの時、怪我したあなたを目にした時点で確信していたわ——これは助からない、って。胸の8割方は抉られてて文字通り骨も残っていなかったから」

 そこまで言葉を続けると、赤毛の女性は懐から何かを取り出した。彼女の小さい掌に収まるくらい、小さなものだ。

「あなた、私が近づいた時に私が掛けていたネックレスを掴んだわよね? 覚えてる?」

 彼女が手を開き、アルフォンソに見せたのは赤い宝石のはまったネックレスだった。

「いや——」

 そう答えたものの、全く覚えが無かったわけではない。意識を失う直前に何かが手に触れたような覚えがアルフォンソにはあった。

「じゃあ無意識に掴んだのかしら。これ、このネックレスにはめられている宝石、ただの宝石じゃないの。『法術石』って言って、宝石に法力を蓄積させたもの。WDOで使われている武器にはこれがはめ込んであってね、法力で威力や性能を倍加してあるわ。魔道具と言った方がいいかしら」

 魔道具ーー
 自分の知らない間に、魔法どころか魔道具まで設計されているなんて。記者会見で魔法の証明をしようと躍起になっていた自分が、だんだん馬鹿らしくなってきた。

「ただすっごい稀に、これに触れただけで体内に法力を蓄積させて、魔道具無しでも法術を使えるようになる人間がいるわ。1000人に1人いるかいないかの割合だけどね」

「じゃあ……」

 アルフォンソは自分の手をまじまじと見つめる。全く実感が湧かない、が、確かに、自分の身体の奥底に、ベッドの温もりとは違う『温かみ』のようなものを感じる。これが法力——?

「あなたはその人間の一人だったっていうことよ。ま、ラッキーだったわね」

 魔法使いデビューの祝いの言葉は、そんなあっさりしたものだった。もう少しで実感を得ることができそうだったのに、彼女の言葉で台無しにされたアルフォンソは不満そうな顔で嘆息した。テンヌィスも困ったように頭をかく。

「法術石を剥き出しにしたまま持ち歩くなとあれほど言っただろう、戦闘に関係ない人間を法力使いに変えてしまうなんて……」

「いいじゃない、彼、助かったんだし。ね?」

 テンヌィスの困惑の混じった諌めにも、嬉々とした表情で返答し、アルフォンソの顔を見る。こんな表情をされたら、巻き込まれたことを怒ろうにも怒りにくい。そもそもアルフォンソには巻き込まれたことに対する怒りよりも、自分を助けてくれたことに対する感謝の念の方が大きかったのだが。

「ああ、そうそう。あなた、名前を聞いてなかったわよね?」

「……アルフォンソだ。アルフォンソ・エトワーレ」

 アルフォンソはそう名乗って右手を差し出す。

 それに答えるように、白くて華奢な手をこちらに差し伸べた赤毛の女性は、


「私はラブ。ラブ=ファイナスよ。ここの総司令官。よろしくね」


 ……さっきまでテロリスト達に命を狙われてた人物は、満面の笑みでアルフォンソの手を握り返すのだった。