A地帯

創作小説、ブロント語、その他雑記等。

アンジャスト・ナイツ #13 「Greyhound」

---------------------------
 完全に光が遮断された暗黒の空間。そこにイクスはいた。
 普段の研究所の廊下なら、蛍光灯の光をコンクリ製の白い壁と床が反射して一点の暗闇も無い白銀の視界が広がっているはずだが、現在イクスのいる廊下の蛍光灯は全て破壊されており、普通の人間の目にはまるで黒い布が眼球に張り付いたような感覚だ。
 その暗がりの中をイクスが、躊躇することも恐怖することも無くただ進んでいくことができるのは、何も右目の眼帯に仕組まれた暗視装置のおかげだけではない。 
 イクスが傭兵として評価を受けているのは、その優れた身体能力や判断力以前に、彼が任務に感情を一切持ち込まない類いの人間だからだ。ただ、それをただ淡々とこなすだけ。例えるならば何の感情も抱かず人の命を刈り取る死神。イクスの漆黒のコートも相まって、彼が暗闇を闊歩する姿はまさしく死神のそれだった。

 しばらくゆっくりと歩を進めていたイクスだったが、はたとその歩みを停止する。コンマ何秒か遅れて、イクスが踏み出すはずだった地面にナイフが3本勢いよく突き刺さった。右目の暗視装置からでは敵の姿は確認できない。しかし、イクスは隠しきれない微かな殺気を感じ取っていた。突き当たりのT字路の左手。B-00が再び顔を出しナイフを投擲するより早く、イクスは銃を引き抜く。
 放たれた銃弾はB-00の頭の左側を抉った。並の人間なら即死だが、相手は何せ戦闘の為に作られた殺人兵器。少し怯んだだけで、すぐに通路の奥に身を隠してしまった。イクスも慎重に後を追う。T字路を左に曲がると、黒い影が奥の部屋に飛び込んでいったのが確認できた。

(あの部屋は……ラボか)

 トラップを警戒しながらゆっくりと部屋に侵入する。この部屋の蛍光灯は点滅こそしているものの光を発するという機能は失われてはおらず、中の様子が肉眼でも視認できた。
 部屋の中はまさしく、多くの人がイメージするであろう実験室そのものだった。部屋の面積自体はかなり広く、少なく見積もっても200平方メートルはある。しかし書類が山積みのデスク、研究成果を並べた天井ギリギリまで高い棚、コードだらけの馬鹿でかいコンピュータ、得体の知れない液体の入ったカプセル。その他雑多な研究道具や資料のせいで、まるで部屋全体が圧縮されているような錯覚を起こす。
 そんなラボを一瞥したイクスを頭上からの殺気が襲った。天井に張り付いて待ち伏せていたB-00の奇襲を、イクスは上半身を投げ出すように前方に飛び退き、難なく回避。B-00が叩きつけた拳はコンクリート製の床を砂糖菓子の如く砕いた。

(……? こいつ……)

 攻撃を躱し、敵の姿を見たイクスはその不自然な体躯に目を細めた。腕が異様にデカい。他の体のパーツはさっきまで戦っていたB-00と全く同じだが、目の前にいるそいつは、腕だけが大木のように大きいのだ。
 その腕から急激に蒸気が放出されるのを見たイクスは、瞬時に次の回避行動に移っていた。
 右ストレート……いや、ジェット機が通り抜けたようなそれは強すぎてもはや別の技にしか見えない。イクスが立っていた直線上のデスクやら実験器具やらは跡形も無く消し飛び、床にはくっきりとB-00が通り抜けた跡が残っていた。
 イクスはすぐに体勢を立て直し、背中を見せた敵に銃撃を見舞う。だが相手は左腕を盾にその銃弾を弾いてみせた。
 一般の兵士なら同じ装備をしても、その重量では全く動けないだろう。人並み外れた能力をもつB-00だからこそ、攻撃力と防御力を強化しつつ、敏捷性も確保できる。この研究所で行われていたのはB-00オリジナルの単なる模倣ではない。改造、改変、開発、再製、そして改革。こんなものが実際の国家間の戦闘で使われたら間違いなくこれまでの戦争基盤は崩壊する。
 さらにB-00の恐ろしい所は単体での運用も連携も可能だということ——左右から突如放たれた数十本のナイフを、イクスは身を反らせて躱す。腕のデカいB-00の両側から別の個体が二体、姿を現した。うち一体は先ほどのイクスの銃撃を受けた相手らしく、顔の左半分が抉れたままだった。
 オリジナルのB-00と異なる点はそこだ。量産型だけあって個々の能力はオリジナルには劣るが、連携することによってカバーしている。いや、単に数が多いだけでもオリジナルより厄介かもしれない。

(3対1か……)

 イクスは銃をしまい、徒手空拳で構えをとる。遠距離での戦闘ならともかく、この狭い空間で多人数の人造人間相手に、弾を込める、狙う、撃つのプロシージャを踏まなければならない銃火器を使うのはあまり得策ではない。そういう判断だ。

 両者が睨み合い、今まさに激突しようとするというその刹那、敵の頭上から何かが勢い良く降ってきた。降ってきたソレは、B-00達の背後にふわりと着地する。イクスがソレを人間だと認識した時、すでに三体のB-00は首筋に注射針を刺され、倒れていた。
 
「イクスさん! 無事ですか?」

 人影はさぞかし心配そうな声で尋ねる。声音からして女の子だ。だがイクスはこの人物が誰なのか全く思い当たりが無い。

「……何者だ。 研究員の生き残りがいたのか?」

「えっ? ……あ、そうでした! まだイクスさんには話して……わわっ!?」

 人影がこちらに近づこうとした時、倒された筈のB-00の一体——腕の大きい個体だ——が不意に立ち上がり、少女に向けて拳を振り下ろした。攻撃をすんでの所で躱した少女だったが、体勢を崩し床に転倒してしまった。
 
「そんなッ……確かに注射を打ち込んだのに!」

 立ち上がったB-00の首にはまだ注射器が刺さったままだ。それにも関わらずB-00は動きを止めようとしない。続く第二撃が容赦なく少女の頭を狙う。イクスは舌打ちしながら猛然と駆け出すと、B-00の拳を横から蹴りで弾き飛ばした。拳の軌道が逸れ、攻撃は少女の頬をかすめるだけに終わった。同時にイクスは注射の刺さっている敵の首元を確認する。防刃装甲。この個体だけ表皮の上に装甲が施されている。ケブラーかセラミックか、足先から首元まですっぽりとだ。
 B-00は一旦後方に飛び退くと、体勢を低く構えた。同時に大量の蒸気が放出される。イクスにとっては見覚えのある光景だ。恐らく内部で空気を圧縮して破壊力に変換しているのだろう。轟音と共に再びB-00の拳が打ち出される。
 だが、今度はイクスは回避しようとはしなかった。

「イクスさん!」

 B-00の一撃がイクスの体を打つ。コンクリートすら粉々にする拳はそのままイクスを背後に吹っ飛ばし——いや、イクスの体は全く動く気配はない。両腕でしっかりとB-00の攻撃を受け止めている。

「……見た目よりかは、ずいぶんと貧弱なパンチだな? 鍛え直しておけ」

 最大出力の一撃を受け止めたイクスを見て、B-00の不変である筈の表情が驚愕に満ちたように見えた。反撃にイクスは注射針を逆手に持ち、敵の目玉に勢いよく突き刺す。程なくウイルスが敵のAIを停止させ、B-00は物言わぬ人形に成り果てた。
 B-00の機能停止を確認したイクスはその目を少女に向けた。茶色の長髪、丸味を帯びた体つきはまさしく女性のそれだが、ファーのついた黒い上着にはどこかで見覚えがある。

「……デルタなのか?」

「あ、分かりましたか? すみません、紛らわしいことしちゃいまして」

 少女の体が淡い光に包まれ……光が消える頃には、青髪の少年がそこに立っていた。

「自らの性別を転換させる能力か……珍しい能力だな、なぜ女になっていた?」

「ええ、ダクトから潜入して様子を伺っていたんですけどね、男のままじゃちょっと肩がつっかえちゃって」

 デルタは天井を指差した。天井に備え付けられた通風管はかなり狭く、イクスのような大男が入れるような隙間ではない。

「……なるほどな」

 イクスが頷くと、不意に二人の通信端末が音を鳴らした。発信元は、イリガル・エーカーだ。

『聞こえてるか? こっちは二体……いや、ボウズが殺ったのも含めて三体倒した。残念ながらボウズも無事だ』

「アルドロさん無事なんですね! よかった……」

「こちらイクス。今デルタと合流した所だ。こっちも三体倒した。残り二体……」

 そう言いながらイクスは懐から銃を取り出し窓に向けて放つ。窓の反対側、屋外から不意打ちを狙っていたB-00二体は、その身を銃弾から守る為に身を引くしかなかった。

「屋外で偵察をしていた奴等だな。これでラストだ……いけるか?」

「ええ、構いませんよ」

 デルタはそう言うと、自身の持つ粒子圧縮剣「パーティクルセイバー」を展開した。青く輝く刀身がその場の空間をほのかに照らす。

『頼んだぜ、俺は怪我人の面倒を見なきゃならねえからよ』

「案外、世話焼きなんだな? あんた」

『……うるせぇ』

 エーカーは本当に面白くないといった声音で答えると、通信をブチ切りした。

「エーカーさんも、素直じゃないですね」

「ああいう人間ほど、実際中身はプラトニックなものさ」

 冗談を交えつつ、交戦に備える。ふと自分にもそのことが当てはまるのではないか、と思ったイクスだったが、ひとまずその考えは頭の隅に置き、目の前の相手を屠ることに集中した。