アンジャスト・ナイツ2/Black Embrace #26 「Spritzer⑤」
「ユーリ」
聞き覚えのある、少女の声。
王宮でこの声を耳にするたび、ユーリは彼女に寵愛と憎悪の入り混じった心象を抱いた。
何度となく耳にしたそれに、ゆっくりと目を覚ますと、そこにはオリガの顔があった。
自身は仰向けに倒れており、オリガが神妙な面持ちで彼の顔を覗いている。
オリガより少し離れたところで、エーカーとアルドロが二人の様子を見つめていた。
「オリガ……」
ユーリが口を開くと、そこから赤黒い血が流れ出た。
「ユーリ!」
思わず、オリガはユーリの右手を握る。
エーカーの放った渾身の一撃はユーリの背を二つに裂き、ユーリの体は腹の皮一枚で繋がっていた。
彼の寿命が尽きるのが時間の問題であることは、最早誰の目から見ても明白であった。
オリガが差し出してきた手を握り返しつつ、ユーリは青ざめた顔でオリガを見やる。
「おいおい……私を舐めてもらっては困るな……こんな状態でも、お前の右腕を掻き取るのは容易だぞ」
ユーリの言葉は、しかし虚言に過ぎないものであった。能力を遣うどころか、もはや意識を保つことが精一杯の彼には、指一本動かすことすら至難だった。
ユーリのか弱い脅迫に、オリガは彼の手を両手で優しく包みながら答える。
「……どうぞ、持って行って下さい」
「……なんだと?」
オリガの予想外の返答に、ユーリは思わず聞き返す。
「私は国の長として、これからのセントフィナスを導いていかなくてはならない。だから、貴方に命を奪われることはできない。だけど、この右腕なら、貴方に捧げてもいい。国に殉じ、戦ってきた貴方が心安らかに眠るなら、この右腕はその供物にしましょう」
そうのたまうオリガの双眸は一寸も揺らぐことなくユーリを捉えている。
王宮で常に見てきたオリガ・アレクセヴナと、今目の前で自分の手を固く握っている少女は、全くの別人だった。
この数日の間の出来事が、彼女を王に相応しい器へ変えたのだ。
「……どうやら、お前は私が思っていた以上に……成長していたようだ……」
ユーリはそう言って最後の力を振り絞り、オリガの右腕から手を離した。
「ユーリ」
「その腕はそのままにしてやろう……そしてその腕を見るたび思い出すがいい……私という存在がいたことを。この先、私のような存在を二度と生み出すことのないように……な」
その言葉を最後に、ユーリは目と口をつぐみ、二度と開くことはなかった。
自分の命を脅かした男の、安らかなその死に、オリガの頬には自然と涙が伝った。