A地帯

創作小説、ブロント語、その他雑記等。

アンジャスト・ナイツ2/Black Embrace #20 「Fallen Angel⑥」

 意識を取り戻したアルドロを襲ったのは、エーカーの容赦ない拳だった。

 顔面を殴られ再度意識を失いかけるアルドロを、エーカーは喉元を踏みつけることによって無理矢理叩き起こす。

「ゲっ……ガハッ……!」

 エーカーの足を掴んで、満足に呼吸ができないことを表すアルドロ。しかしエーカーはその足を緩めるどころか、さらにキツく踏みつけ、状況を端的に説明した。

「オリガがユーリに連れ去られた。恐らく、目的地はセントフィナス王国だ。王女を民衆の前で殺害し、復讐を果たす算段だろう」

 王女の身柄を敵に奪われる——今作戦において、考えうる中でも最悪の状況だ。あらかじめ計画した護衛ルートも完全に御破算。もはや彼らにできることと言えば、セントフィナスに到着するまで、ユーリがオリガを殺さないことを祈りつつ、彼らを追跡することだけである。
 不意にアルドロを踏んづけていた足を離して、エーカーは無表情を崩さぬまま、冷厳に告げた。

「現刻をもってお前をチームから外す」

「っな……」

 エーカーの突然の言葉にアルドロは驚愕し、傷ついたその身を無理矢理起こす。
 確かにアルドロの行動は命令違反もいいとこだが、それはオリガの願いを叶えるためだ。無論、そのせいでこの最悪の状況を生み出してしまったことも分かっている。だが、その雪辱を晴らすためにも、是が非でもアルドロはオリガを取り戻しに行きたかった。

「なんで——」

 アルドロが疑問の言葉を口にした瞬間、エーカーの無表情が般若に変わったかと思うと、アルドロの顔面を思いっきり蹴飛ばした。
 まるで手加減の見られないそれに、デルタやレジーはおろか、仏頂面のイクスさえ渋面を晒している。だが周りの状況など眼中に無いという様子で、エーカーはアルドロの襟首を鷲掴むと、大声でがなり立てた。

「何故か理由を言わなきゃア分からん程にテメェの脳味噌は腐ってやがンのかァ!? 耳クソかっぽじってよく聞きやがれこのクソガキ! 貴様が王女を外に連れ出さなきゃアこんなことにはならなかった! 傭兵は心理カウンセラーでもねぇし、ましてや王女の従者でもねェ! テメェが従うべきなのは王女の言葉じゃねェ! 任務だ!」

 すっかり冷静さを失ったエーカーは、自身の顔を覆っていたいくつかの仮面をぶち破り、ありったけの罵詈雑言をアルドロの鼻先に浴びせかけた。見かねたイクスが、エーカーの肩を叩いてなだめる。

「エーカー、教育の為にはこういうことも必要なのは分かる、が……多分聞こえてないぞ、気を失ってる」

 イクスの指摘通り、アルドロはピクリとも抵抗せず、ぐったりとのびていた。ユーリとの戦いで体力を使い果たした上に、エーカーの手加減の無い暴力に、いくら丈夫なアルドロといえど気を保っていられるわけがなかった。

「……チッ」

 エーカーは盛大に舌打ちして、ボロボロになった手元の少年を乱暴に地面に投げ捨てる。応援に来た団員が慌ててアルドロを回収し、セダンに乗せて走り去った。

 しばらく眉間を抑え押し黙っていたエーカーだったが、落ち着きを取り戻したのか、不意に顔を上げて傍に控えていた仲間に訊く。

「……レジー、デルタ。怪我は大丈夫か?」

「デルタは問題ない。だが俺は——」

 そこまで言ったレジーは、包帯にグルグル巻きにされた自身の右手を掲げて見せた。

「——悪いがこのザマでな。スナイパーライフルは扱えない」

 どうやらユーリの能力で変化した動物は身体能力が強化されているらしく、ネズミ達の襲撃はレジーの右手に全治1ヶ月の怪我を負わせ、カラスに襲われた兵士3人は顔面を滅茶苦茶に啄まれており、誰が誰だったか判別できない程だった。
 それを見たエーカーは、しかし特に残念がるわけでもなく、レジーの言葉に付け足す。

「……近距離なら法術と拳銃で何とかなるってワケだな」

「まぁね」

 ユーリを追うにしても、まさかナイツロード中の傭兵をセントフィナス王国に送り込むワケにはいかない。そうである以上、頼りは先行しているレイド達と、駆けつけたごく少数の応援、そして今まで行動を共にしてきた護衛メンバーだけだ。アルドロが抜け、レジーも抜けるとなれば、ユーリを探す人員が減る。つまり、オリガが殺される前にユーリを見つけられる確率が減ってしまう。そして、ユーリを見つけた後に起こりうるであろう戦闘でも、戦力は十分確保しておかなければならない。
 怪我人を戦場へ駆り出さねばならない程に、状況は切迫しているというわけだ。

 エーカーは気分を改める為に、両目を瞑り、ガシガシと頭を掻いた。
 こうなってしまった以上は仕方がない。いくら悔いようと状況が改善されるわけでもない。
 当面の目的は、オリガを無事に救出すること。だが、もしオリガが殺されていた場合は、ユーリの首を獲って晒す。最悪なのは、オリガを殺され、ユーリに逃げられることだ。それは何としてでも避けなければならない事態である。

 意識を入れ替え、両目を開いたエーカーは、団員達に向かって号令を放った。

「急ぐぞお前ら。仕事は護衛から、ゴキゲンな狩りに変更だ」

 その言葉の直後、ローター音が上空から近づいてきたかと思うと、一機のヘリコプターが現れた。エーカーが要請したナイツロードの移動用ヘリだ。
 ヘリが搭乗できる高さに降りてくるまで他の団員達が待っている間、エーカーは団員達の背後に立ち、何気ない動作でジャンパーのポケットから携帯を取り出した。
 ナイツロード汎用の小型端末ではなく、自前の携帯電話。頭の中に記憶してある番号を打ち込み、通話ボタンをプッシュし、携帯を耳にあてがう。

 1コールで相手が電話に出た。

「ああ、俺だ。……手筈は整ってるな?」

 エーカーが電話をかけていたことに、ほとんどの団員は気づかず、また気づいた者はあれど、ヘリのローター音が鳴り響いていた為にその会話内容を聞いた者はいなかった。




















 大西洋上を飛行する一機の黒いヘリコプター。その周りを共に飛行する鴉は、これから起こる不吉な兆しを告げているようでもある。

 ヘリの操縦桿を握っているのはユーリ。その隣で、オリガが普段より数段沈鬱した表情で座っていた。

 ユーリに撃たれた右足は、ヘリに乗った後、ユーリ自身が止血した。それは優しさや情けなどでは断じて無く、ユーリがセントフィナスの国民の前でオリガを殺害する前に、オリガに失血死で死なれてしまっては困るからという理由だ。

 オリガが横目で自らの執事——自身を誘拐した男を見やると、ユーリはセントフィナス王国の方角を真っ直ぐ見つめていた。


 ……今なら、ユーリの目を盗んでヘリから飛び降りれるかもしれない。

 一瞬そう頭に思い浮かんだオリガだったが、すぐにその考えを否定する。
 まず、少女と元軍人の男では力の差は歴然であり、すぐに取り押さえられてしまう。
 例え隙をついて上手く逃れ、ヘリのドアを開けたとしても、周りに飛んでいる鴉—ユーリの能力によって生み出された鴉—がオリガを機内に押し返すだろう。
 もし、幸運にも鴉から逃れられたとしても——その後は?

 浮き輪や掴まる物も無しに海上に漂って、生きて救出される確率は限りなく低い。

 生きること。

 それがオリガの、このゲームにおける勝利条件だ。
 オリガの死は国民の絶望であるとユーリが話していたように、オリガが今生きていることは、国王が崩御したばかりのセントフィナスの国民にとって僅かな希望である。ユーリに殺されなければいいという問題ではない。何としても生きて帰らなければならない。しかし、その為には誰かの手助けが必要だ。

 具体的には——ユーリを追って来ているであろう、ナイツロードの面々が。

 彼らを待つしかない。

 少女は無力だった。

 ダニイルに向けて使った自身の真実を見通す目。少女の持つ唯一の武器。
 しかし、今までユーリを何度目にしても、その本性を暴くことはできなかった。ユーリがオリガに初めて本性を現した時、オリガはその理由を理解した。
 この男の本性は、まるでマントルを包む地殻と海のように、厚いもので覆われていたのだ。

 ユーリ達憲兵部隊が国を追われたのが17年前。
 ユーリがオリガの執事として王室入りしたのが7年前。

 10年。

 10年という歳月を経て、男はマントルを包み隠す広大な海を形成した。いずれ、海を突き破ってマグマを爆発させる為に。
 そんな男の本性をオリガが見極める為には、爆発前の兆候を、マントルが曝け出される直前まで、オリガが男を警戒する必要があった。
 だがその兆候を、オリガはダニイルに会いにアルドロと抜け出したことで、ふいにしてしまった。本性をあらわす前に男の暴走を防ぐ唯一のチャンスを、オリガは自身の手で投げ捨てたのだ。

 自分のせいだった。

 自分がボルドーを抜け出し、ダニイルに会いに行かなければ、こんなことにはならなかった。
 アルドロに、兵士達に、そして、ダニイルを危険な目に遭わせた。

 その自分の愚かさを、泣き叫びたくなる程に糾弾したい念に駆られるオリガだったが、ユーリに気取られてはなるまいと必死で堪える。

 しかし、傷を負ったことと、身内を失ったことにより精神的な限界をとっくに通り過ぎていたオリガに、その感情を御することができるわけもなく。
 少女の絶望は、小さな嗚咽と数滴の涙となって体外に表れた。

 ユーリはその様子に目を向けること無く、能面のような表情で、ただひたすらにセントフィナス王国を見つめ続けている。
 かつて少女が涙する度に、ハンカチを持ってその涙を拭ってきた男の手は、今は操縦桿を離さず、男は復讐の為に少女の故郷へ向かって行った。

















「……っ」

 車の揺れに反応し、アルドロは目を覚ました。意識を取り戻した瞬間、顔面に殴られたような痛みが走り、アルドロは顔をしかめる。

「……車?」

「お目覚めになりましたか、アルドロさん」

 隣からの声に左右を見回すと、ナイツロードの標準制服を身に纏った団員が二人、アルドロを挟むように後部座席に座っていた。
 知り合いではない。廊下ですれ違ったことがあるかもしれないが、覚えていない。
 何故知り合いでもない団員と一緒に車に乗り合わせているのか、訳が分からない。
 視線を中央に戻し、ガンガン痛む頭を手で押さえる。どうしてこんなに頭痛がするのか、よく思い出せない。

「——おい、何でオレはこんなとこに、エーカーはどこに……」

 そこまで言って、アルドロの頭に電流が走る。

 撃たれるオリガ。ニヤリと歯を剥くユーリ。崩れ落ちるダニイル。記憶がアルドロの頭の中で鮮明に再生された。

 全てを思い出したアルドロは、狭い車内に気を留めず、やにわに立ち上がった。

「オイッ! 待て! オレも行く! アイツを助けなくちゃならねぇ!」

 アルドロの突然の行動に驚いて、慌てて左右に座っていた二人は、アルドロを座席に座らせて窘める。

「駄目です! エーカーさんの要望で! それに、その怪我ではどの道無理です!」

「うるせぇー!」

 外に出ようとするアルドロを抑え込む二人。実戦経験のない警備員ならまだしも、傭兵として鍛えられた男二人に抑えられては、さすがのアルドロも太刀打ちのしようがない。
 それでもアルドロは、なんとか脱出してくれようと、まるで背中を摘まれた昆虫のように手足をバタバタと動かした。

「あぁそうだよクソジジイ! 全部オレのせいだ! だからなぁ! 助けるのもオレだァー!!」

「ワケの分からないことを! おい、黙らせるぞ!」

 さすがに手に負えなくなったのか、片方の男がもう片方の男に合図し、一斉に拳を振り上げる。アルドロを殴って気絶させるつもりだ。

「!」

 二つの拳がアルドロに振り下ろされようとしたその時、


「うわァーーーーーーーッ!!?」


 突然、前の座席で運転していた男が叫び声を上げた。驚いて三人が前方を見ると、轟音と共に戦闘ヘリが頭上から現れた。

「リンクスだ! ギンピー積んでるぞ!」

 それはイギリス陸軍が使用しているものだが、アルドロにとっては「ナイツロードのヘリじゃない」ということしか分からない。だが、この状況においてはその判断だけで十分だった。
 抵抗する間も、Uターンして逃げる暇も無く、戦闘ヘリに搭載された機関銃の掃射が前輪を打ち抜いた。
 バランスを失ったセダンは数回転スピンした後、横転してしばらく道路を滑走し、それから動きを止めた。

「クソっ! 相手は一体——」

 横転した車の中から這い出した兵士達は、すぐさま銃を構え、臨戦態勢をとった。
 下っ端とは言え、名の知れた企業の傭兵である。予想外の出来事に対して瞬時に、冷静に対応する能力は極めて高い。

 だが、既に戦闘ヘリから飛び降りていた一つの黒い影が背後から近づいてくるのに、ギリギリまで気づけなかったのが運の尽きだった。

 運転手の男が気配を感じ振り返った瞬間、黒い影の繰り出した拳が、鼻面を打った。
 それに気づいた残りの2人が慌てて銃を向けるが、黒い影が両手を振るうと、あっという間に投げ飛ばされ、まとめて地面に叩き付けられて気を失った。

「何だ……」

 最後に横転した車から出てきたアルドロは、団員が気絶しているのと、その中に立っている白髪で黒コートの男を見咎めた。

「クソ、敵か!?」

 武器を持っていないアルドロは、徒手空拳の構えをとり、黒コートの男に背後からジリジリと近づく。
 190はあろうかという長身。後ろ姿からでも分かる尋常ではない雰囲気はアルドロに、似た雰囲気を持つイクスを連想させた。

 相手はまだこちらに気づいていないのか、背を向けたままだ。

 やれる。

 不意打ちはアルドロの嫌いなものの一つだったが、何せ状況が状況だ。オリガを助けに行く為に、どうにかこの男を倒して先に進む必要があった。

 だが、もう少しで手が届くというところで黒コートの男は振り返った。攻撃が来ると思い、咄嗟に頭を腕で守る。

 しかし、予期していた痛みはいくら待っても来ない。おそるおそる顔を上げると、黒コートの男は、鞘に納めた片手剣を持ってアルドロの前に立っていた。

「何なんだ……てめぇ」

 アルドロはコートの男に問う。対するコートの男は無言でアルドロの姿を一瞥すると、手元の剣を投げつける——いや、投げ渡す。

「おっ、おい!?」

 両手で受け取りながらも、訳が分からず大声で喚くアルドロ。その声が止まぬうちに、先ほど車を攻撃した攻撃ヘリが降りてきた。
 アルドロは身構えたが、攻撃ヘリがこちらに向けているのは、銃口ではなく側面の搭乗用のドアだ。勢いよく開かれる扉。

 その様子はまるでアルドロを招いているようだった。

 男はヘリを背後に黒いコートをはためかせ、アルドロの顔を紅い瞳で見つめながら言い放った。

「セントフィナス行きの最終便だ。王女を助けたいなら、乗れ」