A地帯

創作小説、ブロント語、その他雑記等。

アンジャスト・ナイツ2/Black Embrace #19 「Fallen Angel⑤」

「ありがとう、アルドロ君」

 ユーリが口にしたのは、先ほどのダニイルが口にしたのと同じ、感謝の言葉。
 しかしそれはアルドロの心を強制的に撫で付けるような、気味悪さと恐ろしさを帯びていた。

「君たちナイツロードのおかげで危機は去った。いくら"ジェロイ"と称された私と言えど、あの元憲兵達を相手取るのは骨が折れる。後は私が片付けをするだけだ」

「……ジェロイ、だと」

 ユーリの言葉に、ダニイルが反応する。

「そうだ。君たち王族が私に与えた称号だ。忘れたのかい? ダニイル・ヴァシリヴィチ・パヴロフ」

 名を呼ばれたダニイルの顔に驚愕の色が滲む。

「ずっと……裏切っていたのか? 7年前に王室に入ったあの日から!?」

「そういうことだ」

「何故今になって……!」

 混乱と怒りがダニイルの頭を滅茶苦茶に引っ掻き回す。対するユーリは表情を変えぬまま、西の方向——セントフィナスの方角を見据えて、話し始めた。

「国王が死に、次いでその後継者が死ぬ——民衆を絶望の淵に突き落とすのは、今がちょうどよかったからだ。国王一人を暗殺しても、捕まって代わりの王を立てられたら意味が無いからな」

「何……!?」

「国王を始末するのは簡単だった。執事になってから6年の間、奴の食事という食事に薬を含ませていった。体内に証拠が残らないように一回の分量はほんの微量だったが、それは確実に奴の体を蝕んでいった。元々体が弱かったのもあって、オリガが留学に外に出る頃には、手の施しようもなかった……」

 ダニイルはユーリの言葉を、死刑宣告を受けた囚人の如く、愕然とした面持ちで聞いていた。
 国王が倒れたと聞いた時、だれよりも真っ先に彼の元に駆けつけたのは彼の弟であるダニイルだった。彼が到着した時、既に国王の意識は無く、遺言も聞けぬまま、数時間後に国王はこの世を去った。
 それが、自分のしたことだと、目の前の男はそう言い放つ。
 ダニイルはその身を震わせ、掠れた声でユーリに問うた。

「貴様——何故こんなことを……!!」

「セントフィナス憲兵部隊。90年から99年に渡る9年間、我々は君らを守ってきた。建国当初の動乱、ウォーターフロント非対称戦争、そして法力事変。だが17年前、君らは私たちを捨てたね。それこそキャンディの包み紙のように」

 据わった目をこちらに向け、事実をつらつらと並べるユーリの語り口は、エーカー達の前で見せたものとは全くの別人のようだった。
 そして、その言葉の裏には紛れも無い、憎しみの念が感じられた。
 対するダニイルはユーリの本性に動揺しながらも、反発する。

「あれは他国からの圧力もあった、なにより世論が……」

「そうだ。それは仕方のないことだ。国は地球に一つではないし、人は一人で生きている訳ではない。それに、時代の流れと言うものもある」

「だったらなぜ——」

 ダニイルの問いに、ユーリはその瞳に憎悪を滾らせて答えた。

「解体の際に我々が国王に……君の兄に何と言われたか、君は知っているか?」

「なんだと?」

 ユーリの瞳の中で燃え盛る憎悪の炎は、まるで地獄の業火をそのままその瞳に移したかのように思えた。

「解体理由は、"セントフィナス教の戒律に背き、殺人を犯した"……だからだそうだ。おかげで民衆からは非国民扱いされ、我々は国を出ることを余儀なくされた。"英雄"と称された私でさえな」

「——ッ!!」

「滑稽な話だと思わないか? 王と民衆を守る為に殺し殺されてきた、それは必要な殺人であり、犠牲であった! だというのに君の兄は我々を犯罪者に仕立て上げたんだよ!!!」










「違い、ます」

 呻くような声で、オリガは言葉を吐き出した。ユーリを含めたその場全員が、驚いて彼女を見る。

「きっと、違います、父上は、そういう意味で、言ったんじゃない」

 失血しているためか、青ざめた顔で、しかし金色の双眸から光を失わずに、オリガは燕尾服の男に対して訴える。

「何が違うと言うのだ」

「どんな、理由であれ、一度人を殺してしまったら、もう、まともには生きていけない……あなた方があのままセントフィナスで生きていっても、そのことは影のように一生あなた方を追いつづけ、苦しめる……」

 オリガはそこで顔を上げ、ユーリを見つめた。
 怯えの一切無い、穏やかな、だが確固たる決意を秘めた表情だった。
 撃たれた右足から命の源をどくどくと流しながら、それをまるで自分のものとは全くもって関係ないと言ったふうに、ユーリの方を見つめ続けている。

 ほんの一瞬、ユーリの表情に動揺が生まれたように見えた。

「だけど、世界にはその力を必要としている人達がいる……! 法力事変では多くの国で内乱が起き、中には現在までその状態が続いている国もある……父上は彼らの為にあなた方の力を貸してあげたかった! だからわざと、国外へ出させるような理由をつけたんです」

「それは……詭弁だ」

 動揺を仮面で隠しつつ、ユーリは翳りをその顔に帯びさせ、突き放す。だが、オリガはなおも引き留まる。

「……私は、この短い期間で自らの無力を痛感しました……私の身は私一人の力ではとても守ることができなかった……でも、ここまで来れたのはアルドロさん達が、ナイツロードという力があったからです!」

 その言葉を聞いたユーリは、堪えかねたかのように叫んだ。

「じゃあ何だ! 他人の言うがまま他人を守り続けろとでもいうのか!」

「違う! 彼らは自らの意思で私を守った! 強制的なものじゃない! 誰かを守ろうとする意思! 貴方にもその意思がある筈です!」

 オリガの凄まじい剣幕に、生殺与奪権を握っている筈のユーリが、恐懼に身を震わせた。
 理由がどうあれ、彼女と執事として過ごしてきた7年間は事実であり、本物だ。その上、留学するまでオリガの教育の面倒を見てきたのもユーリだ。だから、彼女のことは性格から嗜好、思考に至るまで理解している自信が、ユーリにはあった。
 そう、あったはずなのだ。

 ……だが、今目の前にいる女は。
 
 誰だ、この女は。
 
 爛々と輝き、ユーリの身を焦がす金色の瞳も、真一文字に結ばれた口も、体が傷つこうと揺るがない鋼鉄の意思も、ユーリが未だかつて見たことのないものだ。
 どこで覚えた? 誰に教わった? どうやって身につけた?
 そんな疑問の数々も、実際に目の前で起こっている光景によって、意味を失った。

 何の銃器も持っていない彼女の、ただ一つの武器。それはユーリとってはまるで、核ミサイルのサイロが開いて標準が自分に向けられているように感じられた。

 大の男をそこまで恫喝する、その剣幕から一転。オリガは悲しそうな表情を見せ、目を伏せる。

「ですが……父上の言葉があなた方を追い込み、傷つけたのは紛れも無い事実……」

 オリガは上半身を上げると、怪我した右足を右手で引っ張りながら、両足を畳み、両手を地面についた。

「ッ!!!!」

「オリ——」

 アルドロが制止しようとしたが、彼女の尋常ではない気迫に言葉を失う。ユーリが感じていた力の余波をアルドロやダニイルもまた感じ、動くことが出来なかった。

 地面に這いつくばる格好になったオリガは、ユーリに向き合い、そのまま平伏した。

「どうか、父上をお許し、下さい」

 懺悔の言葉を投げ、土下座する王女。
 そこに保身の意など一切無い。ただ、父親の許しを乞うためだけの行為。
 ユーリの目が今度こそ驚愕と狼狽の色に支配され、混沌とした視界の中、一瞬だけオリガに国王アレクセイの姿が重なった。

 まるで強風にあおられる傘のように吹き飛んでしまいそうだった。見えない力に必死に抗い、目の前の光景に畏怖の念を覚えながら、ユーリは拳を握りしめる。

「…………………駄目、なんだ、オリガ」

 永遠にも思えた長い沈黙を打ち破り、ユーリは告げた。その瞳に、黒い炎を滾らせつつ。

「もはや、遅い。遅いのだ」

 瞬間、ユーリの右足が閃き、伏していたオリガの顔を蹴り飛ばした。

 オリガが口から血を吐き、倒れる。

 同時にオリガの口から白いものが吐き出され、アルドロの目の前に転がってきた。



 歯だった。



 瞬間、アルドロの中で、何かが切れる音がした。



「てめぇえええええええええええええ!!!」

 叫ぶが早いか、アルドロは抜刀して駆け出し、一気にユーリに詰め寄る。対するユーリは完全に瞳に地獄の業火を再燃し、元の無表情に戻っていた。

 必殺の想いで振り下ろした剣は、しかしユーリが繰り出した左手の手刀で簡単に砕け散ってしまった。

 対するアルドロは驚きながらも勢いを緩めること無く、折れた剣をそのまま突き刺してくれようと突進する。

 だが、折れた剣の鋭利な先端がユーリの喉元に届くより早く、手刀そのままの勢いで左手から突き出された拳が、アルドロの腹部に突き刺さった。

「ゴハッ!!」

 堪らず血を吐き、後ろに吹き飛ぶ。それを見ていたオリガが、自分の怪我をも意に介さず、小さく悲鳴を上げた。

「……王女をあの国の真ん中で、民衆の目の前で始末する。王国と国王に復讐し、私の心を解放する方法は、それだけなんだ」

 そう独りごちて、ユーリはすぐさま後ろを振り向く。既にダニイルの護衛が、スタンガンを構えていた。一斉にワイヤーが射出され、ユーリに向かって飛んでいく。

 しかし、ユーリに届く直前で、ユーリの肉体がひとりでに分解した。

「何!?」

 バラバラになり、地面に散乱した肉片のひとつひとつが、まるで粘土のようにうねりながら形を変えていく。

 慌てふためく兵士達をよそに、それを見ていたダニイルは一人、何が起こっているのか理解していた。

「間違いねぇ、"ジェロイ"の能力!!」

 ユーリだった肉片から大きく羽が伸びたかと思うと、


 何十羽という黒いカラスに形を変えた。


「その武器じゃ勝てねぇぞ! 退けッ!」

 ダニイルの必死の叫びもむなしく、カラスが猛然と兵士達に襲いかかる。兵士達の悲鳴を合図に、カラス達は目玉をついばみ、頭に穴を開け、腹を裂き腸を引きずり出した。数十秒で悲鳴は途絶え、凄惨な死体が三つ地面に転がった。

「クソがッ!!」

 悪態をつきながらダニイルは懐から護身用の銃を取り出す。兵士の扱っていたスタンガンではない。
 スチェッキン・ピストル。セントフィナス教で禁忌とされている、殺人を可能とする銃。

 ダニイルはカラスの群れめがけて発砲する。だがそれは素人のするような闇雲な射撃ではなく、まるで熟練の猟師のような銃さばきで、一羽一羽とカラスの命を摘み取っていく。

 ダニイルが射撃を学んだのは決して護衛の為ではなく、完全に趣味だった。無論、それは褒められたものでは決してない。おまけに以前、この銃を所持していたことが発覚したり、ハワイでマシンガンの射撃訓練を受けたことをマスコミに取り上げられ、兄にこっぴどく怒られた。ダニイルが数多く持っている、"過激な趣味"の一つである。
 だが今この状況では自らが学んだ技術を、趣味ではなく実戦で通用するものだと信じる他なかった。自分と、オリガの命が懸かっているのだ。後でスキャンダルになってもいい。王家から追放されたって構わない。だが、王女の命は何としてでも守らねばならない。
 ここで使わずに、いつ使うというのだ。

 目の前のカラスを一匹残らず撃ち倒し、嘆息したのもつかの間、背後から聞こえた地面を踏みしめる音に、ダニイルは驚いて飛び退った。
 ユーリが放った銃弾はダニイルの右肩を掠めるに留まる。

「……覚えていたんですね。私の能力を」

 いつの間にか背後に立っていたユーリに、しかしダニイルは臆すること無くスチェッキンを構え直す。

「『プリローダ』……自らの肉体を、あらゆる動物に変化させることができる異能……そして複数の動物に分裂した場合……一匹でも残れば元の人間の姿に戻ることができる……化け物め」

「その化け物を"化け物にしつくした"のは、あなた方だ」

「手前が勝手に化け物になったんだろうが!」

 ダニイルが引き金を引こうとした瞬間、ユーリの放った銃弾がダニイルの左肩を穿ち、ダニイルは手元のスチェッキンを取り落とす。

「叔父さまッ!」

 オリガはダニイルに駆け寄ろうとしたが、右足を撃たれたせいで立つことができない。おまけに失血がひどく、視界も霞んできている。だがオリガは自分の命の危機など顧みず、叫び続ける。

「やめてッ! やめてユーリ!!」

 オリガの声など耳に入らないという様子で、ユーリは引き金を引き続ける。両腕と両脚に数発の銃弾を受け、ダニイルは崩れるように膝をついた。
 朦朧とした意識の中、取り落としたスチェッキンを見つめ、呟く。

「ヘッ、戒律破ったから、バチが当たったな……」

 ユーリはゆっくりとダニイルの心臓に標準を合わせた。

「まずは、一人だ」

「叔父さまッ!!」

 オリガの叫びに、ダニイルはオリガを一瞥して、不意に口元を緩ませた。

「だからさ、『おじさん』でいい、って」

 ダニイルがそういい終えた直後、ユーリの放った弾丸がダニイルの胸を貫いた。

 地面に倒れ伏したダニイルは微動だにせず、ただ、口元に笑みを浮かべたまま、その目を閉じた。


「いやああああああああああああああああああッ!!」


 オリガの悲痛な叫びが辺りにこだまし、地面に頭を打って気を失っていたアルドロを叩き起こした。

「ちっ……くしょう」

 ガンガン鳴り響く頭を持ち前の根性で無視しつつ、アルドロは再び、猛然と駆け出す。

 ユーリに向かって繰り出した渾身の右ストレートがユーリの腹部に直撃した。

 だが、攻撃が当たった瞬間、アルドロは顔をしかめる。
 まるで大木を殴ったかの感触だった。アルドロが見上げると、ユーリは微動だにせずこちらを見下ろしていた。
 彼の目に宿る漆黒の炎に、アルドロは一瞬怖じ気づいたが、すぐに気を取り直す。

「諦めろ、少年」

「いやだ!」

 ユーリの忠告を無視して、アルドロは『影移動』の能力を行使し、足下のユーリの影に潜伏した。

「!」

 アルドロの姿を完全に見失ったユーリは、しかし動揺するわけでもなく、相手の次の一手を思案する。

 (いくら能力を使おうと、私を倒す道筋は奴には無い筈。ならば——)

 ユーリは倒れ伏したオリガの方を振り返ると、オリガの背後の空間に手を伸ばした。

「お前が望むのは、王女を救出する道筋だ」

 ちょうどその瞬間、アルドロがオリガの影から姿を現す。そのまま怪我したオリガを抱え、撤退する腹積もりだ。
 だが、待ち構えていたユーリの手に首根っこを掴まれる。

「あがっ——!?」

 そのままユーリに体を持ち上げられるアルドロ。
 息苦しそうにもがき、ユーリの腕を殴り、腹を蹴りとばす。しかし最初に殴られた時のダメージが大きかったのか、パンチやキックに全く力が入らない。

「アルドロさん!」

 徐々にアルドロを絞める手に力を入れるユーリ。視界が朦朧とし、オリガの叫び声がだんだん遠くなっていく。少年の首はそれに抵抗するには余りに細すぎる。

 完全に呼吸ができなくなり、意識を失ったアルドロは、だらんとその腕を垂らした。オリガの表情が絶望に歪む。

「これがお前を守ろうとした者の末路だ」

 ユーリが止めを刺そうと手を捻り、少年の首を折ろうとした瞬間。


 
 どこからともなく放たれた銃弾がユーリの頬を掠めた。

「!」

 振り返ると、タクシーから降りたエーカーとイクスが銃を発砲しながらこちらに向かっている。

 ユーリは舌打ちすると、アルドロを地面に投げ捨て、代わりにオリガの襟首を掴んで、停めてあった小型ヘリに乗り込んだ。

「逃がすか!」

 エーカー達が空き地に着くと同時に、ユーリとオリガを載せたヘリはプロペラを回し、空中へ浮かび上がる。

 エーカーは逃がすまいと、銃口をヘリのローターへ向け、銃弾にありったけの法力を込めた。着弾と同時に法力を炸裂させ、爆破する算段だ。しかし、トリガーを引く直前でイクスの手に阻まれる。

「止めろ! 王女も死ぬぞ!」

「……クソッ」

 渋々銃を降ろし、空を呆然と見つめるエーカー。既にヘリは、エーカー達の持つ武装の射程距離外へ上昇している。アレを撃ち落とすには地対空ミサイルでも持ってくるしかないが、それではヘリと共に王女の体も爆散することになる。

 立ちつくすエーカーとイクス。
 その周りには、気を失ったアルドロや、腐敗しているのかと見違うくらいの兵士の無惨な遺体、白いコートに紅い花を咲かせた金髪の男。
 
 その光景を眼下に見ながら、空高く舞い上がった黒いヘリコプターは西へ、

 
 セントフィナス王国に向けて、飛行していった。