A地帯

創作小説、ブロント語、その他雑記等。

アンジャスト・ナイツ2/Black Embrace #18 「Fallen Angel④ (Angostura bitters mix)」

「そこです」

 市街のホテルを出てから小一時間後、オリガの言う通りに進んだアルドロは、とある脇道の傍でバイクを停めた。

 バイクを降りた二人が暫く道なりに進むと、川を臨む小さな空き地に出た。
 ベンチはあるが、特に遊具と言ったものは無い、何の変哲も無い小さな空き地だ。黒い小型ヘリコプターがそのど真ん中に堂々と停まっている以外は、だが。

「あ……」

 小型ヘリの前に、見慣れた風貌の男が立っているのを発見したオリガは、思わず言葉を漏らした。
 オリガと同じ金色の髪で、白いコートを羽織っている。傍に三人程の兵士を引き連れて、その男は待っていた。
 アルドロは用心して剣の柄に手をかけたが、オリガはそれすら構わずに足早に男に近づいた。

「あっ、おい!」

 慌ててアルドロが後を追う。オリガは男の目の前で足を止め、その顔を見つめながら呟いた。

「叔父さま……」

「『おじさん』でいいって、いつも言ってるだろう」

 ダニイルはそう言って、にこやかな表情を見せた。












「ヘイタクシー! ヘイ! ヘイ! ハーリー! ハーリー! カモン! カモーン!」

「子供か」

 喚きながらタクシー乗り場の看板をガシガシ蹴り、タクシーの催促をするエーカー。流しのタクシーが殆ど無いので停留所で待つしかないのだが、これではまるで駄々をこねる子供か、酔っぱらいだ。警官に見られようものなら職務質問されるのは間違いない。余りの言動の悪さにイクスが鋭いツッコミを入れた。

 どうもこの中年は決める時とそうでない時の差が激しすぎる、とイクスは思った。エーカーを白い目で見ながら通り過ぎる通行人は、この中年が傭兵で、数日前に同業他社の社員を皆殺しにしたとは夢にも思うまい。
 どっちが素なのだろう。いや、案外どっちも素ではないのかもしれない。
 エーカーを諫めるのにも飽きて、イクスがそんなことを考えている間にも、エーカーの不機嫌は加速する一方なのか、相変わらず看板を蹴り飛ばしながら愚痴り始める。

「チクショー、こんなことなら予備の車両でも用意しとくべきだったぜ。あのアホがバイク乗れるなんて初耳だぞ。三輪車にも乗れるか怪しいと思ってたのによ」

「ああ、意外だったな」

 地下駐車場にのびていたテレビクルーと警備員を見つけ、叩き起こしたところ、黒髪の少年にやられた上にバイクを奪われたと言う。乱暴なやり方に容姿の特徴からして、アルドロの仕業にまず間違いないが、アルドロがバイクを運転できるというのは想像の埒外だった。
 念のために監視カメラをハッキングした結果、数十分前にバイクに跨がった二人が出て行ったのが確認できた。
 無論、王女の行方が分からなくなったという事実を広げるわけにもいかないので、叩き起こした彼らには申し訳ないが、再度気を失ってもらうことになった。一日に二度のされるなんてつくづく不幸な連中だと思わざるを得ないが、ここで混乱を広げる訳にはいかないのだ。

「……そうこう言っているうちに来たぞ」

 ホテルのロータリーに進入した一台の白いタクシーが、エーカー達の前で勢いよく停まった。
 すっかり曲がってしまった看板に運転手が首を傾げている間に、二人は素早く後部座席に乗り込む。同時にイクスは小型の通信端末を懐から取り出した。

「数分前に二人がバイクでブランクフォールを北上しているところを衛星が捉えた。そのまま進んでいるとすれば、今頃はパロンピュイル周辺を抜けているところだろう……とりあえず、道なりにブランクフォールに北上してくれ」

 イクスが行き先を運転手に伝えると、運転手は了解して車を発進させた。荒い運転だが、一刻を争う事態だ。気にしている暇はない。

 一方のエーカーは、イクスの言葉に疑問を投げかける。

「衛星だって? ナイツロードはそんなもの持ってないハズだぜ。どこの衛星をハッキングした?」

「さぁな。俺がやってるわけじゃない」

「んじゃ誰が」

 通信端末をエーカーに見せるイクス。そこには通信文書が表示させられていた。送り主の名を見たエーカーは、自分の通信端末を取り出して確認する。案の定、同じ文書が送られていた。

「数時間前、セントフィナス王国ロイヤルハウス内にいたダニイル・ヴァシリヴィチ・パヴロフの行方が途絶えた。どうやらオリガに会いにこっちに向かっているらしい。セントフィナスで作戦中だったレイドからの連絡だ。衛星を借りてるのも多分彼だろう」

「なぁるほど、あの色男が」

 エーカーは納得した。どうやらレイドの方でも問題が起こったようだ。とは言え、すぐさま某国の衛星をハックしてアルドロ達の位置を確認するあたり、全く恐ろしいやつだとエーカーは肩を竦めた。
 
「アルドロ達は恐らくダニイルに会いに行ったのではないか? ……しかし、マズいな。ダニイルはまだ黒か白か判別しがたい。ユーリはダニイルが王位後継者の座を我が者とするために、元憲兵を焚きつけていると言っていたが、ダニイルだって王族関係者、元憲兵の標的のハズだ。どっちだと思う?」

「さぁな。奴を直接取っ捕まえて聞き出さなきゃ分からねえ。全く、骨が折れるぜ」

 そう言って竦めた肩を揉みながら、不機嫌そうに窓の外を見るエーカー。

 微妙な曇り空の中、荒い運転そのままにタクシーは郊外へ出ようとしていた。その上を、数十羽のカラスが群れをなして飛んで行くのが見えた。
 この状況に不吉なもの見せやがって、とエーカーは顔をしかめる。その反動か、昨晩の出来事が頭をよぎった。

「……オマケに王女サマはキーラー・ポリグラフの擬人化ときた。もうやってらんねぇよ」

「何の話だ?」

 エーカーの呟きにイクスが問い質そうとしたその時、エーカーの通信端末が鳴った。発信元を確認すると、ボルドーのホテルにいるデルタからだった。


















「オリガ、無事でよかった……ホテルで爆発があったと聞いてから気が気じゃなくてな。怪我は無いか?」

 ダニイルはオリガが本当にそこにいるか確かめるように、優しく肩に手を置く。

 アルドロは警戒を解かずにそれをじっと見つめている。もし少しでも動きがあれば、すぐさまダニイルの首を刎ねる算段だが、今のところ特にダニイルから殺気は感じられない。

「ええ、大丈夫です。彼が守ってくれましたから」

「彼?」

 オリガが視線をアルドロに向け、ダニイルがそれを追った。二人に見つめられて、渋々アルドロは自己紹介する。

「……傭兵団ナイツロードのアルドロ・バイムラートだ」

「そうか、君がオリガが護衛してくれたのか! ありがとう」

「……お、おう」

 ダニイルが深々とお辞儀するのを見て、アルドロは狼狽する。
 首を刎ねようと不埒なことを考えていたせいもあるが、それにも増して普段あまり感謝されることが無く慣れていないせいもあった。

「ところで叔父さま、こちらを向いてくれるかしら」

「何だい」

 ダニイルの方を振り返ったオリガは無言のまま、ダニイルの表情を金色の双眸でじっと見つめた。

『どんな嘘も、偽の仮面も、じっくり見ていれば必ず“ぼろ”が出る。知識や経験では知り得ないことが、目の前の事項を直視することによって知り得ることもあるのだ』

 父親の言葉が、頭の中で反響していく。
 エーカーに対して使った、真実を見抜く瞳。エーカーの本性に近づいたことから、この瞳は有用なものであると共に、自らの命を危険に晒すものでもあると理解した。

 昨晩のことを思い出した為か、緊張で鼓動が早くなり、指先が震え出した。もしかしたら自分の望む答えは得られないかもしれない。危機を招いてしまうかもしれない。
 だが、今これを使わずしていつ使うというのだ。意を決して、ダニイルの表情を見つめ続ける。


 ダニイルの顔に、動揺や嘘は無い。エーカーのような仮面も見られない。


「……良かった。やっぱり、叔父さまは味方だわ」

「おいおい、当たり前だろ。何を言っとんの」

 緊張から解放されたオリガは胸を撫で下ろし、もう一度アルドロを振り返った。

「私は、叔父さまが犯人でないことを確かめる為にここに来ました。この眼で叔父さまを見て、真実を見届ける為に」

「……それで、敵じゃないって分かったか」

 アルドロの質問に、オリガはゆっくりと頷いた。

「ええ。家族だからという理由ではありません。彼の顔に、彼の言葉に嘘は無い」

「……そうか」

 その言葉を聞いたアルドロは剣の柄から手を離し、警戒を解く。

 確たる証拠はどこにも無かった。彼女が提示した証拠は、あくまで彼女個人の感想でしかない。仮にもし、ここにエーカー達が居合わせたら、異を唱える者もいたに違いない。
 しかし、アルドロにはそれが何よりも信用できるものだと感じた。オリガの自信に満ちた表情と、自らの勘を拠り所として。

「いやぁ、ハハハ。どうも普段の品行が悪いと有事の際に疑われて敵わん。君が最初に襲われてからすぐ、英国のエージェントがボディーガードに来たけど、あれ絶対監視のためだろうなぁ」

「自覚あったんですか……でしたら直してくださいよ」

「努力はしてるんだけどね」

 頭を掻き、大声で笑うダニイル。つられてオリガも笑う。

 アルドロはその様子を静かに眺めていた。無意識に、その表情は朗らかになっていた。

 家族。オレにないもの。
 他人のもののハズなのに、なんて温かいんだ。

 今までに感じたことの無い気持ちに、しかしアルドロはそれを欲しいとは思わなかった。
 何故なら、今目の前にあるものはオリガのものだ。彼らの間に入り、それを共有する権利を、アルドロは持ち合わせていない。

 いつかオレも、自分のものを手に入れることができるのだろうか。

 そこまで考え至って、アルドロはかぶりを振った。こんな考え、あのクソジジイに知られたら笑われるに決まっている。アルドロは初めて味わったその感情を心の奥底に仕舞い込んだ。

 ……まぁ、知られたところでアイツにこんな感情があるとは思えないから、別にどうってことないか。

「あ、そういえば叔父さま、どうやって私の元へ手紙を? ユーリに頼んだんですか?」

「手紙?」

「ええ。私の無事を確認したいから、ここに来て、と。私はその手紙を見てここに来たんです」

 オリガの質問に、ダニイルはひとしきり考え込んで、聞き返す。

「そんなもの出した覚えないぞ。それより私はオリガから電話があったから来たんだが」

「え? 電話……?」

 ダニイルの言葉に、今度はオリガが考え込んだ。電話なんてかけるどころか、ここ数日触ってもいない。王室へ電話したいのは山々だったが、もし盗聴されていたら、居場所が敵に特定される恐れがあったからだ。じゃあ、ダニイルに電話をかけたのは一体誰だ?


 ……


 大いなる違和感に、オリガは立ち竦んで、改めて自問した。
 

 ダニイルが手紙を出したのでないなら、あの手紙は誰が?
 オリガは電話などした覚えが無い。では、誰がダニイルに電話を?


「…………叔父さま、アルドロさん、一先ずここを離れましょう。ボルドーに戻ってエーカーさん達に」


 オリガの言葉は何かが破裂するような音に遮られた。

 銃声だ。

 突然の出来事に驚いて、アルドロやダニイル、兵士達は銃声の主を探そうと辺りを見回す。



「あ」



 そんな彼らの耳に飛び込んできたのは、オリガの短く、か細い声だった。
 彼女の方を見やると、彼女の足下に小さな水たまりができていた。


 いや、血だ。


 オリガの右足に穴が空いて、そこから赤い血が流れ出している。

 周りの者達がそう理解した直後、オリガは糸の切れた操り人形のように、崩れるように倒れた。

「オリガっ!!」

 悲痛な叫びを上げて、アルドロとダニイルは同時に駆け寄る。

 だがオリガに手が届くという直前で、人影がどこからともなく現れ、彼らの間に割って入った。



 白髪交じりの頭に、黒い燕尾服の男。



「……執事!?」

「ユーリか!?」


 ユーリ・マルケロフ。オリガ・アレクセヴナの執事。
 彼は悠々とした足取りで、倒れたオリガに近づく。

 突然の出来事に混乱していたアルドロは、とにかく傷ついたオリガを何とかしようと、ユーリに助けを求めた。

「ちょうど良かった執事! オリガが撃たれたんだ! 早く救急車を——」

 そこまで言ってアルドロは、ユーリが手に持っているものを見て言葉を失った。
 

 拳銃だ。
 
 
 正確にはマカロフPMだが、アルドロにとってそれはどうでもいいことだ。オリガを撃たれて動揺していたアルドロの思考に、冷却棒が突っ込まれる。


 オリガを撃ったのは、ユーリだ。


「てめぇ……まさか……」

 怒りを飛び越えた驚愕に身を震わせるアルドロに向けて、ユーリは伏していた面を上げ、自らの表情を見せた。






















f:id:a--kun:20160223183757p:plain




 笑顔だった。



 しかし、それは初めてアルドロ達に会った時に見せた穏やかな笑顔とは程遠かった。口元は引きつり、目は決して笑顔の形を作っていない。
 ユーリはその表情のまま、ゆっくりと口を開いた。


「ありがとう、アルドロ君」
















「おう、どうし……」

「エーカーさんッ!!!」

 エーカーがデルタとの回線を開いた瞬間、デルタの叫び声が大音量でスピーカーから鳴り響いた。

「うおわぁーっ!?」

『あっごめんなさい、つい熱くなっちゃって!』

 思わず耳を塞ぐエーカー。続いてデルタの謝る声。ひどく焦っているように聞こえる。

『そんなことよりエーカーさん! 大変なんですよ!!』

「俺だ。どうした。何があった」

 耳鳴りを抑えてるエーカーの代わりに、イクスが返答する。デルタは早口でまくしたてた。

『ユーリさんの体が突然バラバラになったと思ったら! それがネズミになって襲ってきたんです! その次にネズミがカラスになって、窓を突き破って外に……』

「……何を言ってやがる? 火星人に洗脳されたか?」

 気を取り直したエーカーが、お返しと言わんばかりにいつものジョークで答える。

 一方、イクスの表情は普段よりも険しくなっていた。

「いや待て。ネズミ、と言ったな? ユーリの体がネズミに化けたのか?」

『えぇ、そんなところです。僕もレジーも兵士さん達も、噛まれて怪我した上に通信機器を悉く壊されてしまって。今ロビーの公衆電話から掛けてるんです』

 イクスは顎に手をあて、しばし考え込む。

「昨日の爆発……爆破の直前、天井裏を何か"小さいものたち"が駆け回っている音がした。死体を焼いた異臭がした。もしアレがネズミのものだとしたら、どうだ」

「…………」

 ネズミ。

 大量のネズミが天井裏に忍び込み、電線を一度に噛み切ってショートさせ、発火させた。きっと死体の異臭はそれに巻き込まれたものだ。

 そして、デルタが言うにはユーリの肉体が大量のネズミに変化し、その場にいた者を襲いつつ、カラスに変化して飛び去ったと。

 カラス。

「……さっきカラスの群れが頭上を飛んで行った。ボウズ共の向かった方向と全く同じだ」

「……」

 エーカーの言葉に、イクスは眉間の皺をさらに増やす。

 偶然である筈が無い。

 オリガ達がダニイルに会いに行っているのなら。ダニイルがオリガ達に会いに行っているのなら。

 それはつまり、二人の王族関係者が一カ所に集まるということだ。

 ……王族への意趣返しをしたがっている者にとっては、格好の餌食ではないか。

「……クソッ、なんてこった。そういやあのデブもキチネーチャンもそうだったじゃねぇか」

 見落としていた事実に、エーカーは喚く余裕もなく、愕然とした様子で眉間を抑える。


「あの執事は……俺達と同じ能力者だ!!」