アンジャスト・ナイツ2/Black Embrace #17 「Fallen Angel③」
「クソッ! 一体どうなってやがる!?」
普段のおちゃらけた雰囲気を一切投げ捨て、怒りに口を任せてレジーは言葉を吐き出した。
「部屋には争った形跡もありませんでした。敵の襲撃ではないとするなら……オリガさんとアルドロさんは自分からここを出て行った可能性があります」
レジーの言葉に、デルタは動揺を見せながらも、冷静に答える。
「あのボウズ! 一体何考えてんだ……! 執事! 何か思い当たる場所はねぇのか!?」
乱暴に尋ねるレジーに、悲嘆に暮れた表情のユーリはかぶりを振る。
「そ、そのようなことを言われましても、私も何が何だか……」
「そこまでにしておけ、レジー」
激昂しているレジーを見かねて、いつも通り壁に寄りかかって腕組みをしていたイクスが口を開いた。
「でもよぉ……!」
「よせ、と言ってるんだ」
イクスの冷たくしたたかな視線と、レジーの真っ直ぐで熱い視線が交錯する。デルタが2人をなだめようと、間に割って入る。
一触即発とも呼べる状況に、ユーリはエーカーに助けを求めようと振り返り、言葉を無くした。
部隊のリーダーである筈のエーカーは、その様子をぼんやりと眺めているではないか。まさしく上の空とも呼ぶべき表情で、団員を制止する素振りも見せない。
状況の悪化に放心状態なのか。あっけにとられていた気を取り戻しつつ、ユーリはエーカーを呼ぼうとする。
だがそれを遮るように、表情そのままに、唐突に、エーカーは口を開いた。
「ジェロイ」
エーカーが口にした単語に、その場にいた全員がエーカーの方を振り向く。
とりわけ、ユーリの動揺は端から見ても分かるほどだった。
単語の意味も、エーカーの意図も分からず、レジーはそれまでの憤りの感情を投げ捨てて、思わず聞き返す。
「……なんだって?」
「まぁ聞けや。あの単細胞ネーチャン……もといアリーサが口走ってた言葉なんだけどよ、"ジェロイ"ってのがヒーロー、つまり英雄を指す単語だってのは知ってたんだ。だが、セントフィナスの国民にとっては、ジェロイって言葉にはもう一つ意味があってだな……」
話を続けようとするエーカー。何だか分からないが、エーカーのいつになく真剣な表情を目の当たりにしたレジー達は、とりあえずエーカーの話を聞くことにした。
「1996年の夏のことだ。太平洋に米軍が極秘裏に建設していた海上要塞が占拠され、世界各国に無差別攻撃を始めた。国連は平和維持軍を派兵。世界中の軍隊・傭兵・実動部隊、虎の子のWDO世界防衛機関まで引っ張り出してこれを鎮圧した」
「……ウォーターフロント非対称戦争か」
イクスの呟きに、エーカーが反応する。
「あぁ。犯人は軍縮に反感を抱いていた戦争屋共。だが、裏に軍拡を目論む各国官僚や軍人、企業の思惑があったとか無かったとか。結局、9年前のコソボでの大戦争と『法力事変』でその思惑は完全に頓挫した。先進国は急激な軍縮を迫られ、その代わりに台頭したのが俺たち傭兵なワケだが……」
「おいおいオヤジさん、昔話はいいけどよ、それがジョウロだかジャグチだかと関係あんのか?」
我慢して話を聞いてはいたが、一向に先が見えないのに痺れを切らしたのか、レジーが尋ねた。そんな彼を一瞥しつつ、エーカーは再び口を開く。
「その一連の事件、セントフィナスからも、鎮圧の為に憲兵軍のエリート部隊が派兵されてる。そこで弱冠20歳の一人の兵士が事件の収拾に大きく貢献し、WDOの司令官から表彰もされた。その男は国に戻ってからもその功績を讃えられ、民衆から"英雄"、"ジェロイ"と呼ばれるようになった……」
そこでエーカーは顔を上げた。
「そうだろう? "ジェロイ"さんよ」
エーカーの視線はユーリに注がれている。レジー達は驚いてユーリの方を振り向いた。
「アリーサがお前に何かしらの恨みを持っていることは、奴の言動から分かったことだ。だが俺は、てっきり王女を守る執事の立場に対して恨みを持ってるのだろうと勘違いしてたぜ。奴もお前も元セントフィナス憲兵、つまり元同僚で、奴からしてみればお前は裏切り者だというワケだ。それだけじゃねぇ。これまで襲ってきた憲兵は皆、手前の元同僚だった」
そこまで言って、エーカーは視線をぎらつかせた。
「……なぁ執事。どうしてお前がそのことを黙っていたか、何かバレちゃマズい秘密でもあったのか……ってことは一先ず置いといて、だ。真っ先に俺が訊きてぇのはお前が敵かどうか。ただそれだけだ」
エーカーの言葉に、ユーリはうつむいた。
その顔はこれまでに見せたことの無い、暗く虚ろな表情だった。
しばらくの間の後、ユーリはゆっくりと話し始めた。
「……9年前のコソボの事件の後、世界各国の軍縮のあおりを受けて部隊が解散させられた時、確かに私は裏切られた気分を味わったし、仲間達の心境も私と大差なかった。本当に突然だったんだ。世界を救い、王国を守り続けてきた英雄達が、一夜にして無職のデクの棒さ。戦うことしか能のない連中だ、新たな仕事も無ければ、面倒を見る者もいない。その頃世界中には、俺と同じような連中がわんさかいたよ。俺達は飼い主に捨てられた犬同然だった。そして私は、『犬にも噛み付く権利はある』と思っていた」
ユーリの話に、室内の全員が聞き入る。
「しかしいざ国を離れてみると、そんな考えは消えて、どうしようもない虚無感が襲ってきたんだ。10代で兵士になってから私の生きがいは国や王室に尽くすことだった。復讐なんてできるわけがない。何とかもう一度国に殉ずることはできないか。あらゆる方法を模索した後……」
そこでユーリは、顔を上げ、微笑んだ。
「……人間やればできるもんだよ。名を変え顔を変え、執事となり、王室に入り、今の私がいる。国に殉ずるつもりは、当時も今も変わらない。それだけは言っておくよ」
そう言って話を終えたユーリの表情は、普段の優しいものに戻っていた。
一方のエーカーは特に感心した様子も見せず、変わらぬ無表情のまま、ユーリに告げる。
「フン、そうかい。まぁどっちにしろ、重要参考人ってことで身柄は拘束させてもらうぜ。後で訊きたいことが山ほどあるんだからな」
ユーリは拒否する素振りも無く、無言で頷く。
それを見届けたエーカーは振り返って、団員に指示を飛ばし始めた。
「デルタ、レジー。コイツと兵士を見張っていろ。イクスは俺とボウズ達を追う。俺達が会議をしていた時間は10分も無かった。敵に襲われたにしろ、自分達から出て行ったにしろ、まだそう遠くには行っていない筈だ」
「了解」
足早に部屋から出るエーカーとイクス。廊下を駆けながら、イクスはエーカーに尋ねた。
「……ヤツが軍人だといつ気づいた?」
「最初っから……っていうのも語弊があるが、少なくとも堅気じゃあないと思ってたぜ。執事にしちゃあデカすぎるしな。まぁ、まさか"英雄"だとは思わなかったケドな」
素っ気なく返したエーカーは、ふと先ほどの会話を思い出して、イクスに聞き返す。
「それよりお前、ウォーターフロント事件なんてよく知ってたなぁ。20年も前の話だろ。お前が赤ん坊のときじゃないか?」
コイツの子供時代なんて想像もできないけどな、とイクスの仏頂面を拝みながらエーカーは思った。
「馬鹿を言うな。新入りのレジーや見識のなさそうなアルドロはともかく、ナイツロードの団員なら誰でも知ってることだ。『あの海上要塞がその後どうなったか』くらいはな」
イクスの言葉に、エーカーは鼻を鳴らして頷いた。
「辺鄙な『水辺』が『リヴァイアサン』に……ホント、恐ろしいお人だよ、団長サンは」
セントフィナス王国皇居内にて、セントフィナス兵士とMI6・ナイツロード団員の戦闘が開始してから約1時間が経過していた。
50人をゆうに超えるセントフィナスの兵士達は、僅か3人の男によって無力化された。
人数では明らかに勝っていたのにもかかわらず、セントフィナス兵がレイド達に損害の一つも与えられなかったのはただ一つ、練度の違いだ。
片や、訓練ばかりで戦闘を全く経験したことのない兵士。片や、死線をくぐり死神を騙しつづけてきた熟練の兵士。
当然といえば当然の結果だった。
庭一面に倒れ臥した兵士達を眺めながら、武装を収納しつつ、レイドは嘆息する。
死者は出てない筈だ。敵の気を失わせるのに、エレクが大いに役立った。なにせ電気をその身に内包し、自在に操るエレクにとって、敵の扱う麻痺弾での銃撃は意味を為さない。それどころか、敵の弾が全てパワーアップアイテムみたいなものだ。
……結果、エレクを盾にしながら敵の集団に突進し、片っ端から近距離格闘で無力化していくという、戦略と呼称すべきなのか甚だ疑問な作戦は成功したわけである。
ただ一つ、スタンガンによって増え続ける自分の電力を抑えきれず、最終的に真っ黒焦げにオーバーヒートしたエレクを除いて。
口から黒い煙を吐きながら、レイドへの悪態をつき続けるエレクを他所に、リクヤは無力化した兵士の一人へと近づく。
懐から銃を抜き去り、兵士の右足に標準を定めるリクヤ。まだ意識のあったその兵士は、自らに向けられた鈍く光る銃口を見て狼狽した。
「ダニイルはどこだ?」
リクヤの質問に、兵士はただ横に首を振るだけだ。リクヤが引き金に指を掛けたのを見咎めたレイドは、慌てて彼の傍に駆け寄る。
「おい……」
「安心しろ。『喋らないと撃つ』などとは言わんよ」
リクヤの言に安心したレイドだったが、直後目の前で起きた銃声に、レイドは元々色白な顔を更に青ざめさせた。
兵士の苦悶の声を他所に、リクヤは涼しい顔で言葉を続ける。
「どうせ言葉で脅しても無意味だろう。『喋るまで撃つ』。次は左足か、それとも腕か」
「なっ、外交問題になりますよ!」
レイド達傭兵ならともかく、公務員であるリクヤが、ましてや戦時中でもなしに他国の兵士に対して拷問することなど言語道断だ。おまけに兵士は無抵抗で、正当防衛とも言い訳できない。発覚すれば只では済まない。
しかし、リクヤはそんなことお構い無しといった様子で、兵士の左足に標準を合わせ、再び引き金に力を込める。
もう見てられないと、レイドが止めに入ろうとした瞬間、
「ひゃはははははははは!! ぐっぐふふふふふふはははは!!」
右足を撃たれた兵士が、突然笑い出した。
何事かと兵士の方を振り返ったレイドは、兵士の右足に針のようなものが刺さっているのに気づいた。
「……笑い薬?」
レイドの言葉に、リクヤはその手の銃を舐めるように眺めながら返答する。
「あのイカレた開発班が作ったにしてはかなりマトモな部類の武器だ。打ち込まれた箇所をひたすらくすぐられている錯覚に陥るらしい。テスト用に無理矢理持たされたが、まさかここで使うとはな」
——いや、でも結局これ拷問ですよね?
足下で苦しそうに笑う兵士を不憫に思い、思わず口にしそうだった言葉をレイドはすんでのところで飲み込む。
そんな折、レイドはリクヤの手元にある銃を見て、ふと何かを思い出した。
——技術部が似たような兵器を作っていたような。
レイドが思考にふける一方、リクヤは屈んで、兵士の眼前に銃口をちらつかせながら問う。
「さて、ダニイルはどこに行った。言えば解毒剤をやろう。だが要求に答えないのなら、お前をこのまま市街に放り出すことになる。民衆に白い目で見られながら笑い死んだお前の名前が明日の朝刊に載ることになるが、どうする」
全知全能が相手を虐めることに特化しなければ考えつかないような脅しを吐く目の前の悪魔に、兵士は観念したのか、笑いを抑えて喋り始めた。
「ボルドーのヒッ、宿に、オリガさまに会いにッ…グヒュ」
「やはり……直接オリガ王女を消しに行ったのか?」
レイドの呟きに、兵士が猛反発した。
「違います……イヒッ! ダニイル様はそんな人ではありません! それに——エフエフッ」
兵士が自らを落ち着かせる為に、間をおいてから口を開く。
「オリガ様から、アフッ、自分を迎えにくるように、電話があったと……」
「……なんだと?」
予想外の言葉に、リクヤは思わず訊き返していた。