A地帯

創作小説、ブロント語、その他雑記等。

アンジャスト・ナイツ2/Black Embrace #15 「Fallen Angel①」

「交代だぜ」

 そう言って、オリガの眠る寝室に入って来たエーカー。
 部屋の中には、ベッドに横たわっているオリガと、傍の椅子に座って見張りをしているレジーの姿があった。

 むこうを向いて、スヤスヤと眠るオリガの様子を横目で見つつ、エーカーが尋ねる。

「お嬢ちゃんの様子は?」

「ああ、すっかり眠ってるよ。まぁ色々あって疲れているんだろうが、あんな目に遭ってよく眠れるぜ。全く肝の据わった嬢ちゃんだ……メディアは?」

「そこはユーリが話を付けている。王女の容態を理由に今は大人しいが、スクープに飢えたハイエナの様な連中だ。不用意に身動きはとれないな」

 先の爆発は、犠牲者こそ出さなかったものの、王女の位置を全世界に知らしめてしまう最悪の結果となってしまった。
 同時に重要参考人であるアリーサも、意識不明の重体で病院に運び込まれた。彼女の意識が戻るまで尋問は不可能だ。本部から持って来させた技術部の尋問用兵器も無駄になってしまった。
 代わりに緊急でナイツロード本部に待機していた団員が応援に駆けつけ、現在、現場の混乱は収束しつつある。爆発の原因も調査中とのことだ。

 ともかくオリガの位置が知られた以上、これまでよりも危険度は倍以上に跳ね上がった。

「そんじゃ、後は頼むぜ」

 普段はいかなる状況でも軽口を絶やさないレジーも、さすがに今は疲れきった様子で、口数少なくそう言うと部屋から去った。

 扉が完全に閉まったのを確認したエーカーは、オリガの寝ているベットに近づくと、おもむろにそのベッドに腰を落とす。

「……随分、狸寝入りのうまい王女サマだな」

 エーカーの言葉に反応して、傀儡師を得た人形のようにオリガはゆっくりとその身を起こした。
 ぱっちり開いた金色の双眸は、エーカーに注がれている。
 髪を乱し、こちらを見つめてくる様は、少女とはいえなかなかの色香があるが、エーカーは気にも留めない。

「眠れないなら子守唄でも歌ってやろうか? それとも、絵本を読むほうがいいか?」

 からかうような言葉を吐きながら、ニヤリと笑って相手の反応を窺うエーカー。
 もしアルドロなら「子供扱いすんじゃねー!」と殴りかかりそうなものだが、オリガは真顔を崩さず、静かに目の前の男の名を呼んだ。

「エーカーさん」

「……な、何だよ」

 表情を少しも変える事なく、自分をじっと見つめてくる少女に、からかいを仕掛けたエーカーの方が、逆に当惑してしまう。
 オリガはゆっくりと口を開く。
 
「本来、私に王位を継ぐ権利はありませんでした」

 突然の言葉に、しかしエーカーは彼女の言葉の奥に、並々ならぬ凄みを感じて、黙ってオリガの話に耳を傾ける。

「セントフィナス教の戒律において、最も厳しく罰せられるとされる罪が二つあります。一つは殺人を犯す事、もう一つは……女性を組織の長にすること。後者の戒律は元々セントフィナス王国にはありませんでしたが……」

「……1999年のコソボ、それに続く『法力事変』……世界各国で軍縮が起こったのもアレの所為だった」

 エーカーが思わず口走った言葉に、オリガは頷く。

「ええ。あの一連の事件で、女性が長になった組織には災いが起こるという迷信が、国内で信じられるようになりました……無理もありません。"セントフィナスを創った者"があの事件を引き起こしたのですから」

 そう言ってベットから降りたオリガは、言葉を紡ぎつつ窓の外を見やった。
 大西洋の方向。ちょうどセントフィナスがある方角だ。

「ですが、父は違いました。彼は私を、最終決定権を持つ国の長となるべく育てようとしました。いつまでも迷信に囚われ、凝り固まったセントフィナス中のあらゆる組織の規範となるために。その過程で、私はこの目で真実を見抜くことの大切さについて教わりました。知識や経験にも勝る、私が持つ唯一の武器です」

 そうして振り返ったオリガの目は、窓の外に浮かぶ月の如く、爛々とした金色に輝いていた。

「その目にかけて言いたいことがあります」

「お、おう」
 
 話の流れがあまり好ましくない方向に向かっていることにエーカーは気づいていたが、気迫の籠った彼女の視線が、彼を逃がすことを赦さなかった。
 一瞬とも永遠とも思われた間をおいて、オリガはゆっくりと口を開く。


「何故あなたは……笑わないのです?」

「……は?」


 まるで頭に黒板消しでも落ちてきたかのような、くだらない不意打ちに見えた。
 言わずもがな、エーカーはホテルでオリガ達と会ってから、幾度となく『笑っている』。アルドロにちょっかいを出した時も、ユーリに皮肉を飛ばした時も、オリガにセクハラまがいの言葉を投げかけた時も。
 オリガの質問の意図が、エーカーには理解できなかった。

「何を訊くかと思ったら……一体全体どういうつもりだ? 王女サマは今まで俺の顔見てこなかったワケ?」

 ふてくされたように、両手のひらを上に向けて、『笑顔』を見せるエーカーに対し、オリガはその無表情を崩さず、言葉を続ける。

「これからの旅路はより危険なものになると、私も承知しています。だからこそ、少しでも貴方を信用したいんです」

「なんだい、今の俺は信用できないってか? 俺達を疑ってた兵士に対してあんなに怒ってたのに」

「いえ、一定の信頼があったからこそ、ここまで来れたし、信用しようと努力はしているつもりです。ただ、私が見る限り——貴方の心には闇がある」

 エーカーの顔から一瞬にして笑みが消えた。
 静かだが、劇的な変化だった。

「確かに、エーカーさんは『ユーモアが豊富な』ご様子で、私や同僚に対して何度も冗談を飛ばしていますね。私は貴方のような人、嫌いではありません。むしろ、何にでも真に受けてしまう人にとって、貴方のように何事にも囚われることなく、飄々と生きていける人は憧れなんです。叔父様もそういう方々の一人でした」

 オリガは笑みの消えたエーカーの表情から、目を逸らすことなく、話を続けた。少なくとも彼女の言葉に嘘はない。

「……なのにどうして、貴方は心の底から笑わないのです? 私はともかく、同僚に対してまで、貴方は本当の笑顔を見せたことがない。そうでしょう?」

 エーカーはそれを黙って聞き入る。いつものように反論したり、軽口を叩いて受け流そうともしない。

「何故です? 私にはあなたが……」

 オリガが問い質そうとした瞬間、彼女の背は壁に押し付けられていた。
 突然の出来事に一瞬動揺したオリガだが、すぐに気を確かにし、目の前に迫った男と目を合わせる。




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「……『私』は優しい」


 耳に入ってきたその言葉がエーカーのものだと判断するのに、3秒くらいのタイムラグがあった。

 一体いつ入れ替わったのだろう。

 壁に手をつき、オリガを壁際に追いやった男は、それまで話をしていた男とは全くの別人だった。
 瞳にいつもの濁りはなく、純粋なまでに冷ややかな視線。
 常に他人を嘲笑しているかのようにつり上がっていた口角は、真一文字に結ばれている。
 そこから漏れる言葉は、言葉以上の何物でもなかった。感情が少しも込められていないのだ。

「だから強制はしない。『私を信用しろ』とも、『するな』とも言わない。これから言うことは、あくまで、忠告だ」

 冷たい。寒い。まるで目の前に巨大な氷があるかのようだ。
 なのに……何故?
 オリガは、背中から、額から、身体という身体中から汗が噴き出しているのを感じていた。

 自らの目が伝えている。
 目の前の男は危険だ、と。

「真実を見通す目……君は素晴らしいものをお持ちだ。歴史の教科書に晒されている支配者達の名前。その半分は、ソレを渇望しても得られなかった連中ばかりだ。では、もう半分は何だと思う?」

 そう質問を飛ばしつつ、男は横一文字だった口端を上げる。
「ニヤリ」と……いや、そんな簡素な擬音ではなかった。ニヒルとか邪悪とかそういった言葉では形容できない。
「ヌ」だ。
 粘性のある液体が突然持ち上がったかのような、頭を下げたらそのまま脳髄がずり落ちてきたような、そんな擬音だ。そんな笑みだ。

 当然、心の底からの笑みではない。

 だんまりを決めるオリガに対し、男は表情そのままに、答えを口にする。

「そういう力を持ったが故に、いらぬ領域に踏み込み、災厄を被った者の名前だよ。オリガ・アレクセヴナ。君は自分の名をその名簿に連ねたいワケじゃあないだろう?」

 自分の手が震えていることにオリガは気づいた。
 拳を握りしめ、震えを止めようと必死になるオリガ。動揺を悟られようなら何をされるか分からない。
 足はすっかり竦んでいて、もしここで襲われようものなら何一つ抵抗できない状態だ。
 
 だが、引き下がるわけにもいかない。
 決死の覚悟でオリガは乾いた口を開く。

「……私は貴方を暴こうとは思ってません。ただ、貴方を少しでも信用するために訊いたんです」

 オリガの決死の言葉に、しかし男は無意味だと言うようにかぶりを振る。

「信用とは、相手の全てを知ることではない。相手の負の部分を知らず、気に留めないからこそ成り立つものだ。長い時を過ごした家族であれ、誰よりも親しくしてきた同僚であれ、必ず踏み入ってはならない領域は存在する」

 そう言って、エーカーはオリガの顎に手を添えた。

「目を閉ざせ。耳を塞げ。君の仕事は長生きして、国民を笑顔にすることだろう? 死に急ぐことはない」

 甘く、優しい言葉。普段の彼からは想像もできない言葉。
 その言葉を耳にした瞬間、オリガは全身の神経という神経が痺れていくのを感じた。

 相手のペースに完全に飲まれる直前で、オリガは何とか踏みとどまった。

 男は、強制はしないと言った。
 つまり、ここでオリガが首を縦に振ろうが横に振ろうが、これからこの男やナイツロードとの関係が悪化するわけでもないし、良好になるわけでもない。一種の戯れのようなものだ。
 だが、戯れだろうが、オリガは自分の意志を曲げるつもりは無かった。

「——それでも」

 最後の抵抗になる、とオリガは思った。

「私は、真実を追います」

 一点の曇りもない、凛とした覚悟。
 それを受けた目の前の男の表情が、ゆっくりと驚愕と憎悪に歪むのが分かった。


 そして——



「……あぁ〜そう。じゃあ好きにすればぁ?」

 何事も無かったかのように、エーカーはいつもの気の抜けた返事で、あっさりと引き下がる。

 エーカーが壁から離れたことで自由になったオリガだったが、全身の筋肉が強張っていて、しばらくその場所を動くことができなかった。
 寒気、震え、痺れ。それらを一気に体感した自分の体は、ただ立って人の話を聞いていただけだというのに、ひどく疲れていた。

 これなら寝たふりを続けておけばよかった、とオリガは皮肉っぽく思った。
 
「あァ、そうだ、一つ王女サマに聞きてぇことがあったんだ」

 そんなオリガの考えなどいざ知らず、エーカーは完全にいつもの調子でオリガに尋ねてくる。

「……何です?」

「あの執事のことだけどよ、あいつはいつから、どうやってあんたの執事になったんだ」

「何故そのことを?」

「気になったからに決まってる」

 ベッドに腰を下ろしつつ、オリガはしばらく考えてから口を開いた。

「……彼が私の執事になったのは7年前ですね。色んな国から執事を集めてその中から一人を採用したようです。それが、ユーリです」

「そうか、じゃあもう一つ。"ジェロイ"って何か、知ってるか?」

 "ジェロイ"。

 エーカーがその言葉を耳にしたのは、全くの偶然だった。
 数時間前の爆発直後。イクスとアルドロに被害状況を確認するよう指示してから、爆風をモロに受けて横たわっているアリーサに近づいたときだ。
 彼女が生きているか確認しようと顔を覗き込んだ時、唇が微かに動いているのに気がついた。

 同じ単語を、うわ言のように何度も口走っていたのだ。
 それが先の、"ジェロイ"だった。

 それを聞いたオリガは、別段驚くふうでもなく、淡々と返す。

「セントフィナスの者なら、その言葉を知らない者はいません。"ジェロイ"と言うのはですね——」










 スヤスヤとむこうを向いて眠るオリガに、エーカーは『俺みたいな奴の近くでよく眠れるな』とレジーと同じようなことを思っていた。

 どうやらナイツロードに対して信頼しているというのは本当のことのようだ。でなければ追い剥ぎのような身なりの男を隣にして寝られるワケがない。
 もちろんこちらとしても『王女を無事に国に帰す』という仕事を無下にするわけにはいかない。失敗すればナイツロードの信用はガタ落ちだ。

 しかし、さっきは本当に驚いたな。

 電車内でのオリガとの会話で感じた、全身が凍り付くような、どこかで受けたことのある感覚。
 エーカーはその感覚をどこで感じたのか思い出し、ゾッとしていた。

 そう遠い昔の話ではない。かなり最近。ナイツロード本部。その最上階で、普段通り命の懸かった会話をしているとき。

(なんでこんなトコで団長を思い出さなきゃいけねぇんだよ……)

 口に出すのも恐ろしい自分の雇い主に悪態をつきつつ、エーカーは未だに命があることにホッとしていた。