A地帯

創作小説、ブロント語、その他雑記等。

アンジャスト・ナイツ2/Black Embrace #13 「Sex on the beach②」

 オリガが部屋を飛び出してから30分後、何やら壁を殴ったり蹴飛ばす音が、扉の向こう側から聞こえ始めた。

 なんとなくオリガの真似をして外の景色をボーッと見ていたアルドロは、だるそうに頭を掻きながら、物音のした方向に向かう。

 音の発生源、風呂場の前のドアに着くと、音はさらに大きくなり、激しさを増していった。そこでようやく、オリガが風呂に入ると言っていたのを思い出したアルドロは、途端にその顔を青ざめさせた。

「わ……わーったよ! さっきは悪かったから! 謝るから当たり散らすなって!」

 オリガが怒りのあまり暴れていると思ったアルドロは、扉を挟んでオリガに謝罪した。
 普段は他人に促される形でしか謝ろうとしないアルドロだが、自分の言葉でオリガの機嫌を損ねていたということは、何となく分かっていたようだ。

 ところが、風呂場の物音が止む気配は一切無い。アルドロが怪訝に思っていると、扉の隙間から粘性のある液体が流れだしてきた。明らかにただの水ではない。

「……」

 異変を察知したアルドロは、扉を勢いよく開けた。

 果たして、扉の先にいたのは全裸のオリガ一人だけだったが、そのオリガはぐったりと、風呂場の床に倒れ伏している。さらに奇妙なことに、スライムのように粘性を帯びた液体の塊が、彼女の体を包み込んでいた。オリガは最後の抵抗で必死にもがき、壁や床に体を打ちつけている。どうやらそれで助けを呼ぼうとしていたのだ。

「オリガっ!?」

 アルドロは慌てて風呂場に飛び込むと、逡巡することなくオリガに向かって手を伸ばす。意識の途切れたオリガを両手で抱いたアルドロは、彼女を液体の塊から引っ張り出そうとした。


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 しかし、風呂場の床全体に謎の液体が広がっているせいで滑りやすくなっており、足の踏ん張りが効かず中々オリガを引き抜けない。さらに、悪戦苦闘しているアルドロの体を、液体がゆっくりと這い上って来た。

「な、なんだあああ!?」

 液体はアルドロの服に染み込むことなく、アルドロの足から腰、肩までみるみる登ってくる。まるで迫り来る大津波を高台から見ているような気分だ。液体の重みに、堪らずアルドロは膝をついた。

 液体が遂にアルドロの顔に到達し、その鼻と口を塞ごうとした瞬間、アルドロが開けっ放しにしていた風呂場の扉から、フライパンが勢いよく飛んで来てアルドロ達の真横に落下した。

 ジュッという何かが焼けるような音と同時に、女の悲鳴が上がった。

 姿も見えない女の声に驚いていたアルドロだったが、液体が粘性を失って自分とオリガの体から離れていることに気付くと、オリガを抱えて一目散に風呂場から脱出する。

「……執事!」

 風呂場から出たアルドロ達を迎えたのは、いつもの燕尾服にエプロンを着込んだユーリの姿だった。
 恐らくキッチンで料理を作ってる最中に、風呂場から異音を聞きつけたのだろう。その時偶然持ったままだったフライパンを液体に投げ込んだのだ。

 ユーリは普段の落ち着いた雰囲気とは一変、顔を真っ青にさせ、完全に平静を失い取り乱しているようで、アルドロに早口で尋ねる。

「大丈夫ですか! お怪我は!」

「ああ、なんともねぇよ」

 冷静に振る舞おうとするアルドロを他所に、ユーリは彼の腕からオリガを奪い取ると、どこからともなく出したバスタオルで彼女を包み、ハンカチで彼女の顔を拭く。

「お嬢様、しっかりして下さい! お嬢様!」

「……俺は?」

 地位と間柄の差はあれど、待遇の違いにアルドロが青筋を立てていると、風呂場で響いていた女の悲鳴がピタリと失せ、液体が一カ所に集まり始めた。

 集まった液体は粘土のようにその形を変化させ——人の形に変形した後、液体がそのヒトガタから流れ落ちると、中から白い服と肌が現れた。

 人間の女……しかも、先ほど電車内で襲って来た男と同じ軍服を身に纏っている。華奢な体つきだが、軍帽の下から茶髪と共に覗かせているその眼は、明らかに一般人のそれとは別物だ。

「やっぱり敵か!」

 アルドロは両手を前に出して構えを取った。あいにく剣は置いてきたままだが、いざとなったらステゴロでなんとかするつもりだ。

 一方の女性は、熱したフライパンに焼かれた右肩をしばらく気にしている様子だったが、突然アルドロの方を指差すと、腹から絞り出すような声で訴えた。

「やってくれたな貴様ら……! 部隊に属していた時でさえ一つの傷も無かった私に、醜い傷痕をよくも……」

「ごちゃごちゃうっせーんだよ!」

 女の言葉を聞こうともせず、容赦なく殴り掛かるアルドロ。女はアルドロの拳を受け止めると、その腕を軽く捻る。

「うお!?」

 その力で体を回転させられたアルドロは、哀れにも床に叩き付けられ、女に羽交い締めにされた。

「ずいぶんと勇ましいことだ、少年。その勇気だけは褒めてやろう。だが、我らがセントフィナス憲兵部隊に素手で挑もうとは、愚かにも程があるな!」

 女はそう高揚気味に叫ぶと、さらに体重をかけてアルドロを組み伏せる。首を押さえられ、息苦しそうにもがくアルドロ。

「ありませんよ」

 突然のその言葉に、女の押さえる力が突然弱まった。女はゆっくりと顔を上げ、言葉の主——エプロン姿の執事に目を向ける。

 ユーリはいつもの物腰柔らかな雰囲気とも、先ほどまでの焦燥した雰囲気とも打って変わり、ただ事実を述べる機械のような口調で言い放つ。

「その部隊は、もう17年も前に無くなりましたよ」

「……貴様、その声」

 ユーリの言葉に、女の表情がみるみる困惑に変わっていく。

「いつまで過去の産物に囚われているおつもりですか? ……“アリーサ・ミローノヴナ・シュリャフチナ”」

 ユーリに名前を呼ばれた瞬間、狼狽していた女——アリーサの表情が、一気に驚愕に変換された。

 そして徐々に——驚愕は憎悪へと変化していく。

「貴様が……! 貴様がそれをほざくのかッ! “ジェロイ”!」

 アリーサは先ほどよりも一層声音を低くして呟く。心底目の前の相手を憎んでいるといった声だ。

「何故だ! 何故貴様が憎むべき場所にいる! 何故貴様が憎むべき者を守る! 何故……!」

 声を上擦らせながら訴えるアリーサだったが、突然、腹部に鋭い衝撃を感じ言葉を途切れさせる。

 アリーサが驚いて自らの腹を見ると、少年が拘束を抜けて、女の腹に足をめり込ませていた。

「ジョウロだか、ジャグチだか、知んねーけどよ」

 アルドロはそう言って女の腹を思いっきり蹴り上げた。堪らずアリーサは吹っ飛び、浴槽に突っ込む。

「お前の敵はオレだ! よそ見してんじゃねー!」

 立ち上がり、吹き飛んだ女に向かって指差しながら、高らかにアルドロは叫んだ。だが、浴槽の中で頭を打ったのか、泡を吹きながら風呂に浮いている女にその言葉は恐らく届いていないだろう。

 その時、大勢の足音がしたかと思うと、駆けつけたエーカー達が姿を現す。
 会議が行われていた部屋は風呂場と距離があったため、オリガの出していた物音には気付かなかったようだが、アリーサが浴槽に飛び込んだ時の音は聞こえたようだ。

「おい、あの軍服!!」

「拘束しろ!」

 セントフィナスの兵士達が、気を失っているアリーサを風呂から引き上げる。

「……どうやら、ボウズにいいとこ取られちゃったみたいだぜ、エーカーさんよ」

 敵を倒したことに気を良くしたのか、風呂場で悪役の如く高らかに笑うアルドロ。レジーは、白けた目つきでその様子を見ていたエーカーの肩を叩きながら言った。













「まさかシャワーから侵入するとはな……」

 会議をしていた部屋に、拘束したアリーサを運び込んだエーカーは、溜め息をつきながら呟いた。

 部屋にはエーカーとアルドロとイクス。そして捕らえられたアリーサがいる。ユーリは寝室にてオリガの介抱。レジーとデルタ、セントフィナスの兵士達はその護衛だ。またあらぬ所から侵入されたらたまったものではない。

 意識を取り戻したアリーサは、ナイツロード特装課製の反法力拘束用装置で縛られ、法力の遣えない状態。
 ……にも関わらず、エーカーのボヤきを聞いて、誇らしげにドヤ顔を決めた。

「フフン、驚いただろう、法力の応用だ。体を液体にし、あらゆる所に侵入する……部隊の中でこの術を遣えたのは私だけだぞ」

 急に自分の自慢をし出す女性に、エーカーはスゲー残念な子だなと思いつつ、過去の出来事を思い出していた。

「……俺はちょっと前に、自身の体を液体状にする——丁度お前と同じような敵と戦ったことがある。そいつの方が能力の扱いは上手かったぞ。ま、お前のは完全に体を変化させる生物学的変化じゃなくて法術学の延長線上だから、大したことできないのは仕方ないかもなぁ」

 事実、以前戦った敵は液状化の能力を攻撃にも転用できていた。彼女がアルドロと戦っている時に液体にならなかったのは、単純に“できなかった”からである。事前に準備が必要なようで、完全に潜入と暗殺用の能力だと割り切っているのだろう。
 エーカーの指摘を受けて、アリーサの頬は風船のように、みるみる怒りで膨らんでいく。

「貴様、私を愚弄するか! その汚い顔に靴底を擦り付けてやる!こっち来い!」

 駄々をこねる子供のように足をジタバタしだすアリーサ。

「大体、王女の護衛にお前達みたいなのがついてるなんて聞いてないぞ!……まさか憲兵部隊が再建されたのか!? チクショー! だったら私もさっさと入れろ!」

「——お前といい、クソラッパー兄弟といい、その憲兵部隊ってのはどうしてこうイロモノばっかいるんだ?」

 敵意を剥き出しにしながら、拘束を解こうともがき、唸り出す女を見て、エーカーは呆れた表情をする。傍でその様子を見ていた二人も——イクスはともかくアルドロまでもが、部屋の真ん中で喚いている女に辟易しているようだった。