A地帯

創作小説、ブロント語、その他雑記等。

アンジャスト・ナイツ2/Black Embrace #12 「Sex on the beach①」

「やあーっと着いたぁ……」

 部屋に入った瞬間、疲れを口から吐き出しつつ、ソファーにごろりと横たわるレジー。

 夜9時を回り、目的地であるボルドーに到着したエーカー一行は、地下列車を降車し、そのまま線路の真上にある宿『シャトー・アンジュ』に泊まることとなった。昼に集合場所として使った『グランパレ・ロイヤルホテル』には劣るものの、そこらの木賃宿に比べれば遥かに快適な空間であることは確かであり、王女という身分の者が泊まる場所としては、申し分のない宿だ。

 ホテルに泊まる為に受付を通過する必要があったが、受付係は大勢の男達に囲まれた金髪の少女が、一国の王の娘、オリガ・アレクセヴナであることには気がつかなかったようだ。これまで国王の娘としての公務が少なく、セントフィナス国外ではあまり顔が知られていないのが幸いした。されど、もしセントフィナス出身の旅行者とばったり会えば、一発でバレてしまう。必要最低限の注意はするべきだろう。

 部屋はキッチン付きのラグジュアリーなスイートルーム。ソファーやテーブルといった調度品に至るまで、贅が尽くされている。

 そんなソファーに寝っ転がったまま奢侈にふけるレジーの頭を、エーカーが引っ叩いた。

「寝てる暇はないぞ。これから作戦を練り直す。兵士諸君は隣の部屋に集合してくれ」

 いつものおちゃらけた態度を表に出すことなく、周囲に命令するエーカー。それだけ余裕が無いということだろう。
 無理もない、安全だと思われていた護衛ルートが漏洩していたどころか、敵が待ち伏せしていたのだ。作戦をもう一度立て直す必要があるのは自明の理であった。

 大きな溜め息を吐いたレジーを筆頭に、次々と扉へ向かうナイツロードとセントフィナス兵士の面々。

 それに交じろうしたアルドロは、不意に肩を強く掴まれた。エーカーの手だ。

「ボウズは、いつも通りお嬢ちゃんの見張りな」

 そう言って、ニヤリと、いつものゲス笑いを見せるエーカー。先ほどの余裕の無い雰囲気はどこへやら。人をイジる時と作戦中と、まるで人格が違うような対応だ。

「はぁ!? またかよ! ふざけんじゃねーぞテメェ!」

 例の如く、アルドロはエーカーに殴り掛かる。しかし必死の抵抗もむなしく、アルドロは襟を掴まれて扉の外につまみ出された。

「チクショー覚えてろ!」

 片手をヒラヒラさせながら扉を閉め、鍵を掛けるエーカーに対し、アルドロは先ほどと同じように扉に向かって中指を突き立てた。

 ……実は「影移動」の能力を使えば簡単に向こう側の部屋に侵入することができるのだが、元々控えめに言って馬鹿であることと、エーカーの怒りで頭が一杯のアルドロはそこまで思い至らないのであった。








 仕方なく、オリガのいる部屋に戻ったアルドロ。オリガは椅子に座り窓から外の景色を眺めていた。

 フランスの港町であり、ワインの名産地として有名なボルドー。中世にタイムスリップしたような美しい街並みは、18世紀のヨーロッパ海洋貿易による黄金期に都市計画によって生まれたものだ。ガロンヌ川によって三日月型に形作られたその街並みから、「月の港」と呼ばれている。

 その幻想的な夜の眺めは、しかしアルドロにとっては少しも興味をそそるものでなかったらしく、眺めを楽しんでいるオリガに厚かましくも質問を飛ばす。

「……執事はどうした?」

「ユーリなら、私の食事を作りにキッチンにいると思いますよ。皆さんは外に食べに行けると思いますが、私はあまり外を出歩くわけにはいかないので……」

 窓の外を見つつ、オリガが答える。

「ふーん。あんたの執事、料理もできるのか」

「ええ。執事というよりも、私にとっては家族同然です。とても頼りになりますよ」

 笑顔でアルドロの方を向いたオリガは、途端に伏し目になる。アルドロが不思議がっていると、オリガは恐る恐るといった感じで口を開いた。

「……ところでアルドロさん、怪我はありませんでしたか?」

「あ? 当たり前だぜ。オレはどこぞのクソジジイとは違うからな」

「……そう、ですね」

 渾身のドヤ顔をキメるアルドロに対し、オリガは沈鬱な面持ちをしている。
 普通の人ならそこで察して、あまり相手の思考に踏み入るまいとするのだが、そういった失礼とか無礼とかいう概念がすっかり抜け落ちているアルドロは、容赦なくオリガを問い質した。


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「……浮かねえ顔してんな。昼に会った時よりも。何か心配でもあんのか?」

「! いえ、別に……」

 慌てて取り繕うオリガに、アルドロは冷静な面持ちで続ける。

「隠したってムダだぜ。オレ、難しいことはよく分かんないけど勘はいいらしいからな」

 その言葉を聞いて、ため息をつくオリガ。多分、話さない限りどこまで行っても訊いてくるだろう。
 アルドロも決して悪気は無く、オリガのことが心配で訊いているのだが、もう少し丁寧に訊いてもいいのではないだろうか。馬鹿正直に他人の内輪にずけずけと分け入ってくるのはアルドロらしいが。
 そんな馬鹿正直さにオリガは慣れなかったが、同時に嫌いにもなれなかった。

「……ユーリはああ言ってたけど、私はどうしても叔父様が犯人だとは思えないんです」

 意を決し、オリガは自身の思いを目の前に曝け出す。

「えーと。ダニイル……だっけ? 何でそう言い切れるんだよ」

「確かに彼は、テレビや雑誌ではあまり良くない噂をされてますし、王室内での評価もよくありません。ですが、彼は本当はものすごく家族思いの人なんです。私が子供の頃、父が公務で忙しいときは彼に面倒を見てもらってました。だから、彼が黒幕なんて思えない」

 オリガの言葉に、アルドロはしばらく腕を組んで考えていた。一字一句全て理解したようではなさそうだが、それでもオリガの主張は理解したらしい。

「……オリガは勘はいいほうなのか?」

「いえ、そんなに……」

「だったらダニイルが味方かどうかなんて、今ここで考えてても分からないんじゃないか?」

 アルドロの反論に思わずムッとするオリガ。

「でも、叔父様は人殺しに加担するような人では決してありません! 家族である私が言うんですよ!」

「執事も『家族』なんじゃねえのか?」

「!!」

 アルドロの鋭い指摘に、オリガはまるで矢で心臓を射られたような衝撃と共に硬直した。 

 叔父であるダニイルは物心ついたころからの付き合い。対してユーリが王家に入り、オリガに仕えるようになったのは7年前、オリガが11歳の時のことだ。しかし、自由気ままに国内や世界中を転々としていたダニイルより、ユーリの方がオリガの傍にいた時間は長い。

 ……どちらを信じればいい? 

 ダニイルは常識的に見れば酒と女にうつつを抜かす、典型的なダメな大人だが、オリガは彼が家族に対して並ならぬ愛情を持っていることを知っている。母親が自分を生んで間もなく亡くなってから、ダニイルはまるでその代わりを務めるかのように愛情を注いだ。
 ユーリは非常に厳格で規律に厳しく、子供の頃に何度泣かされたか分からないが、それは彼がオリガを大切に思い、一国の主として立派に育てるために尽くしていることを知っている。ユーリが来て身の回りのことをこなしてくれたおかげで、オリガはより勉学に集中することができた。

 ダニイルは、家族を愛することの大切さを教えてくれた。
 ユーリは、国を愛することの大切さを教えてくれた。

 ダニイルは。
 ユーリは。

 考えれば考えるほど、頭の中が無限に回転していくような錯覚を覚える。

「家族だから、なんて、理由にならないと思うけどなぁ」

 混乱を抑えようと額に手をやるオリガに、アルドロの言葉が突き刺さった。
 瞬間、それまで表面上は平静を保っていたオリガだったが、アルドロの言葉に目を見開き、思わず立ち上がる。そのままアルドロに飛びかかってきそうな剣幕だ。
 ささやかだが、明確な怒りだった。

「……分かりました、いいです。お風呂入ってきます」

 その怒りを静かに胸の奥に仕舞い込みながら、オリガはずかずかとアルドロの目の前を横切り、部屋を後にした。

 アルドロは彼女の背を見送りながら、ため息をつき、頭を掻く。

 孤児としてこの世に生を受けたアルドロは、家族というものが実際にどんなものなのか理解できない。
 しかし、彼女が家族について訊かれると妙に熱くなる理由が、アルドロには何となく理解できる気がした。きっと家族とは、アルドロにとってナイツロードの仲間——いや、それ以上の存在であるのだろう。

「家族か……」

 そう呟いてふと、窓の外を見やる。ボルドーの夜景に目をやりながら、アルドロは姿形も想像できない自身の家族に思いを馳せた。


















 水が床を打つ音が響く。


 リラクゼーションバスを隣に、しかし湯船に入ってのんびりという気分のしないオリガは、もうかれこれ15分はシャワーの水を浴びっぱなしだった。

 限界までシャワーの温度を下げてみるが、体の、特に頭の熱は一向におさまる気配は無い。勢い良くシャワーから流れ出る水も、心の奥底の悩みまでは流してくれないようだ。

 仕方なく頬に貼り付いた金色の長髪をこそぎながら、オリガはアルドロの言葉を思い出す。

「そんなこと分かってます……だったら、何を信じればいいんですか……」

 一国の主の後継者として育てられてきたオリガは、人前で決して弱みを見せたりしないよう心がけている。そう父や執事であるユーリに教えられてきたからだ。だが一人になって弱音を吐き出すオリガは、今にも掻き消えそうな危うさと同時に、彼女が一人の少女であることを感じさせた。

 ……こんな姿を周りに見せるわけにはいかない。

 気分を紛らわす為に顔を洗おうと、オリガは目の前の鏡に目をやる。

 鏡に映る自身の双眸を見たオリガは、雷に打たれたような衝撃と共に何かを思い出した。

「あ……」

 鏡に近づき、じっくりと自分自身の目を見つめる。するとシャワーが肌に当たる感覚が徐々に薄れていき、記憶の世界に引きずりこまれていくのが分かった。


 あれはまだオリガが10歳にも満たない幼い頃、ユーリが王家に入る前の話。







 夜中に寝付けなくなったオリガが、父親のアレクセイの部屋に来たときのことだ。母親のいないオリガは眠れない時、よく父親の部屋に行っては寝かしつけられていた。
 あの時は確か、書庫から勝手に持ってきたポーの『黒猫』を読んだせいで眠れなかったのだと思う。

「オリガ、この地球上に生きている人間は、みんながいい人だとは限らない。黒猫の主人のように、オリガのことを騙そうと噓をついたり、傷つけようとする人間もいるかもしれない。ではそういう人間と、そうでない人間を見分けるにはどうすればいいと思う?」

 アレクセイは唐突に、本当に唐突に、部屋にやって来たオリガに問うてきた。もしかしたら難しい問題で頭を使わせて、疲れさせて早く寝てもらいたかったのかもしれない。
 もちろん、そんな父の考えなど知る由もないオリガは、うーんと小さい頭を捻って必死に考える。

「……叔父様に訊く?」

「そうだな、色んな場所を旅してきたダニイルなら、ある程度のところまでは分かるかもしれないな。だが、いつもダニイルが隣にいるわけじゃないだろう?」

「……証拠を探す?」

「確かに、証拠や知識があれば、相手がどんな人間かすぐに分かる。だが、証拠や知識を得ることだけに躍起になってしまえば、簡単に騙されてしまうぞ」

 不正解のコールを連発するアレクセイに、オリガは両頬を風船のように膨らませて不満をアピールした。その様子を見たアレクセイは微笑みながら口を開く。

「それは、この二つの目で、相手のことをじっくりと観察することだ」

 そう言ってアレクセイはオリガの爛々と金色に光る双眸を指差した。

「どんな嘘も、偽の仮面も、じっくり見ていれば必ず“ぼろ”が出る。知識や経験では知り得ないことが、目の前の事項を直視することによって知り得ることもあるのだ」

「……パパの話、難しい」

 そう吐き捨ててベットにゴロンと転がる娘を見て、父親は朗らかに笑い出す。

「そうだな、今はまだ早いかもしれないが、じきに分かるようになるさ」






 記憶の世界から、現実の世界に戻ったオリガは、再び鏡を通して自身の金色の目を見つめる。

 今がその時なのだ。家族だからという証拠ではない。誰が敵で誰が味方なのかを、自分自身の目で確かめる時なのだ。

 途端に、アルドロに反論していた自分を、責めたい気持ちに駆られた。
 彼は正しかった。彼は家族を信じるなと言っていたわけではない。ただ、家族という経験のフィルターを通していては、見抜ける真実も見抜けなくなると言っていたのだ。大切なのは、その場にある現実であり、それが真実。

「……謝らないといけませんね」

 無意識にそう呟きながら、オリガはシャワーの蛇口を閉める。

「……あれ?」

 その直後起きた不可解な出来事に、オリガは思わず声を漏らした。

 シャワーの水が止まらない。故障かと再度蛇口を確認したが、ぴったりと閉まっている。それでも水流が弱まる気配が無い。

「すいません、どなたか……」

 誰か人を呼ぼうと、扉に向かって声を上げたオリガだったが、不意にその言葉を途切らせた。


 なんだか、体が重い。
 
 何事かと自身の体を見たオリガは、その重さの正体に気がついた。

 シャワーから出ている水が、まるでスライムのように粘性を帯びて、自分の体にまとわりついている。
 それだけではない。床にこぼれ落ち、流れた水ですら、まるで意志を持つかのようにオリガの方に集まってきている。

「……」

 危機を感じたオリガは、助けを呼ぼうと口を開く。だが次の瞬間、体に貼り付いていた水が跳ね、オリガの口を塞いだ。

 液体の重みに、オリガは堪らず床に転倒する。液体が床一面に広がっていたおかげで頭をぶつけるようなことはなかったが、その液体が自分を殺しにきているのは間違いなかった。

 必死に呼吸しようとするが、鼻も口も完全に塞がれている。

(しまった……!)

 酸素切れを起こし、朦朧としていく意識の中。

 ——しかしオリガの双眸から光が失われることは無い。