アンジャスト・ナイツ2/Black Embrace #6「Czarine」
「オリガ・アレクセヴナです」
エーカー達を迎えたのは一人の少女……セントフィナス国王、アレクセイ・ヴァシリヴィチ・パヴロフの一人娘、オリガ・アレクセヴナ。国王が崩御した今、王女として、後継者候補の一人だ。
しかし余りにも王女とは思えない格好に、アルドロは思わず疑問を口にした。
「……姫さまってドレスじゃないのか?」
「年がら年中ドレス着てるわけじゃねーだろ」
すかさずレジーが鋭いツッコミを入れる。
ゆったりとしたドルマンスリーブと、足の細さを強調するデニムレギンスを纏ったその姿は、どこぞのファッション雑誌のモデルのようだ。が、おおよそ王族の召し物ではない。
顔を見合わせている仲間達をよそに、エーカーは一人王女の目の前に立つと、おもむろに腰を落とし、恭しく頭を下げた。まるで数世紀前の騎士が主人に向かってするような儀式的動作。彼に取ってあまりにも似つかわしくない行動に、アルドロは目をぱちくりさせる。
「あなたの護衛をさせていただきます、イリガル・エーカーと申します」
言葉こそ丁寧だが、独特のしわがれ声のせいで慇懃無礼な態度にしか見えない。特にナイツロードの面々は彼の日頃の行いを知っているからか、ますますそう思えてしまう。
オリガは特に表情を変化させず、憂いを含む眼で、頭を下げたエーカーを見つめている。
「……どうかお気になさらずに。今の私は王族としてではなく、護衛対象者として扱って下さい」
オリガの言葉を聞いたエーカーは、ニヤリと口角を上げると、すぐに立ち上がった。そして、それまでの丁重な態度など無かったかのように、普段通りの口調で話し始める。
「……この地下に極秘で通っている要人用の地下車両を使ってボルドーの港に出る。王女ほどの有名人が、誰にもバレずにこの国を出るにはそのルートしか無い」
「地下車両……地下鉄か?」
レジーが訊く。護衛ルートに関しては、ナイツロードの仲間ですら、未だエーカーから説明されていない。
「ああ。大体の先進国にはテロや災害などの緊急時、要人用に地下路線が極秘で通っていることが多い。今回はそれを使わせてもらう」
「……その先のルートはどうなっているのです?」
「確かに、俺達にもまだ何も説明がない。一体どういうつもりだ、エーカー?」
セントフィナス兵士の一人が尋ねると、イクスも前から疑問に思っていたのか、兵士の言葉に合わせて問い質す。
「内部に敵方のスパイがいた場合に備えて、だ」
エーカーは一瞬の間をおいて、ためらいなく切り出す。
「レジー、お前がさっきエレベーター内で言っていたように、今回の案件は敵の規模や身元が全く把握できていない。今、別の部隊が調査中だが、今の情報の少なさじゃあ、出るもんも出てこないだろうな。それほどまでに敵方の闇は深いってワケだ。当然、何かしらの形でこちらの情報を知る手段も持っていると考えた方がいい。この作戦の全てのルートを知っているのは俺と作戦立案者である団長だけだ。その先ルートは到着してから伝える」
「そんな、我々を信用してないと……!?」
ざわめくセントフィナス兵士達をオリガが制した。
「もちろん私は皆さんを信頼しています。しかし、彼の言葉が正しいのも事実です。ここは彼に任せましょう」
そんなオリガを見て、エーカーは再びニヤリと口角を上げる。
「懸命な判断だぜ、お嬢ちゃん。まぁ任務自体はそこらのガキでも理解できる。つまるところ、あんたの可愛い尻が変態野郎共の手で黒コゲになる前におウチに帰せばいいってワケだ」
エーカーの軽口に、セントフィナスの兵士達は敵意を表情に浮かべる。執事のユーリですらこれまでの笑みを忘れ、眉間に皺を寄せているほどだ。執事どころか、一王国のお姫様の前ですら悪口は衰えないんだな、とアルドロは呆れを通り越して賞賛してやりたい気分だった。
「ええ、そうですね。無事に帰られることを祈っています」
だが、言われた本人であるオリガは、表情一つ変えずあくまで冷静に返答する。セクハラじみた言葉に対して何の反応もないことに、エーカーはまたもや興を削がれたらしく、つまらなそうに肩を竦めた。なるほど、アイツの言葉には反応しなければいいのか、とアルドロは感心した。もちろん、短気な彼には到底、実践などできないが。
「……ところで、そっちの装備を確認しておきたい。武器を見せてくれ」
気を取り直してエーカーは兵士に要望を出す。兵士は肩に掛けてあった小銃と腰のホルスターの拳銃を抜き、それぞれ手に取ると、イクスに手渡した。
「我が国の兵士の標準装備です。武器はこの銃以外に種類はありません」
兵士から銃を受け取るなり、イクスは不可解な表情を浮かべる。
「……なんだこれは?」
「どうしたんですか? イクスさん」
イクスは武器を見回す。その様子を見て、ナイツロードの傭兵達はその理由に気がついた。無論、口をぽかんと開けているアルドロを除いて、だが。
「……ワイヤー針タイプのスタンガンだ。対象に針を射出し、高圧電流で気絶させる。射程はせいぜい4~5メートルかそこらだな」
一通り確認が終わったのか、イクスは兵士に銃を投げ返す。
「なんだなんだ、お宅の兵士は皆相手を痺れさせながらファックするのが好みってか? いい趣味してんな」
レジーの批難も、もっともだった。この剣呑なご時世において、射程数メートルの貧弱な非殺傷武器だけで国のトップを護衛するなど考えられないことである。命を狙われている真っ只中なら尚更だ。
傭兵達の疑問に、ユーリが口を開いた。
「我々を含む、セントフィナスの国民の93%はセントフィナス教の信者です。そして、セントフィナス教の戒律においては、どんな理由があろうと人を殺すことは最も唾棄すべき大罪。故に軍隊の装備は非殺傷武器で固めてありますし、死刑もわが国にはありません」
「……まー、ご立派な宗教だこと。でも、そんなご立派な考えを持つ君らが、俺たちのような人殺しを雇っていいわけ?」
レジーの質問に、オリガが下を向いて答える。
「もちろん、たとえ自衛であっても我々は人殺しの加担をする気はありません。ですから、あなた方も殺傷は控えてくれるようーー」
「そういうわけにはいかないんだよ、お嬢ちゃん」
エーカーがオリガの言葉を遮った。普段の軽い口調だったが、その双眸はしっかりとオリガに注がれている。
「敵の命を捨てずに自分の命を拾えるワケはねぇんだ。万一敵が襲って来た場合、俺たちは全力でそいつらを排除することになる。大体、そのチンケな武器で護身できなくなったから、俺たちを雇ったんだろうが」
「しかし―—」
オリガは思わず椅子から立ち上がった。それに対して、エーカーは何を言っても無駄だ、というように背中を向ける。
「これだけは覚えときな、お嬢ちゃん。従僕が誰をどう殺そうが、その責任は常にその主にある。手を汚さずに自分や誰かを守れると思うなよ」
隣の部屋の扉に向かって歩き出すエーカー。人差し指を立てて招集をかける。
「イクス、レジー、デルタ、それから兵士クン達は隣の部屋で作戦会議だ。13時にはここを出て状況を開始する」
名前を呼ばれ、扉に向かう面々。一方、これまで噴出した情報を頭の中で必死に整理していたアルドロは、ふと自分の名前が呼ばれてないことに気付いた。
「……おい、エーカー、オレは?」
アルドロの言葉に、エーカーが嫌そうな表情で振り返る。
「どーせ、お前に話したところで、さっきみたくバカ面晒してんだろ? お前には必要最低限の命令しかしないわ。そこで執事とお嬢ちゃんの見張りでもしてな」
「はぁー!? テメェふざけんな! オレにも会議させろよ! オジェブクション! オジェブクション!」
「オブジェクション、だ。バーカ」
抗議の声もむなしく、さっさと扉を閉めてしまうエーカー。アルドロは扉に向かって中指を立てた。
「クソジジイ! 死ね!」
扉が閉まり、部屋に静寂が訪れる。
三人。
アルドロはひとまずエーカーへの殺意を隅に置き、オリガの方を振り返った。
しばらく立ち上がったまま虚空を見つめていたオリガだったが、ゆっくりと椅子に座る。その様子はどこかの絵画のような優美さを持ちつつ、陰鬱な雰囲気も兼ね備えていた。ユーリが見かねたのか、オリガの傍に寄る。
「……紅茶でもお持ちしましょうか?」
「いえ、大丈夫よ。ありがとう」
どう見ても大丈夫ではない様子だったが、ユーリは主人の意を汲み取り、アルドロの方を向く。
「……アルドロさんは紅茶飲みます?」
「え? じゃあ、タダなら」
「かしこまりました」
ユーリはにこやかに微笑むと、一礼し、奥のキッチンに向かう。
二人。
さすがに気まずくなってアルドロはオリガの顔を見やる。相変わらずの憂いの表情だ。アルドロは気恥ずかしそうに頭を掻きつつ、恐る恐る彼女に話しかけた。
「あー、アイツ嫌なヤツだろ……でしょう? 気にすん……気にしないでいいじょ、アイツいつもあんなんだから……でうから。俺はアルドロ・バイムラート……と申すモノデス。よろしくな!……じゃなくて、ドーゾヨロシくお願いしやがれください」
何語かも判別できない呪文——もとい、敬語に慣れないアルドロは四苦八苦しながら口を動かす。敬語なんて何年ぶりに使ったか思い出せないほどだ。そんな様子を、オリガが見かねて口を開いた。
「畏まらなくて結構ですよ、アルドロさん。先ほども申し上げた通り、今の私は王族ではなく、護衛対象者ですから」
「……アンタだって十分かしこまってるじゃんかよ、変によそよそしいっていうかさ。もっとフツーにしたらどうだ?」
アルドロの指摘に、オリガは急に険しい表情になる。アルドロの言葉が気に障った、というよりも、何かを疑問に思っているような雰囲気だった。
「申しわけありません、アルドロさん。……ところで先ほどから気になっていたのですけど、あなたはおいくつですか? 私は18です」
「負けたー!……じゃなくて、 16だけどそれが?」
アルドロの回答にオリガは目を丸くした。心の底からびっくりしたような顔だ。
「いえ、驚きました……まさか同い年くらいの子が私の護衛につくなんて思ってなかったですから……」
なるほど、確かに。
世間一般ではアルドロの様な少年よりも、イクスの様なデカくてゴツい大男や、エーカーのような熟練さを見せる壮年の男のほうが、傭兵のイメージに近いかもしれない。
しかし、ナイツロードはその点に関しては少し特殊で、才能と活気のある少年兵達が大勢所属している。エーカーのような古参兵の方が少ないくらいだ。それが偶然か、それとも団長の意向なのかは謎ではあるが。
そこまで考えて、アルドロはある違和感に気付いた。
「……そんなこと言ったらデルタは、あの青いヤツは確か俺より下だぞ」
「えっ? あの青髪の彼が? 随分大人びてたから、てっきり年上かと……」
「オレは子供っぽいってか」
アルドロの鋭いツッコミに謝りつつ、オリガは再び憂いを帯びた表情に戻る。
「……あの方の言う通りです。敵を殺さなくては自分の命も守れない。分かりきっていることです。それなのに私は……」
オリガの陰鬱な雰囲気に、今度はアルドロが見かねて口を開いた。
「あんま気にすんなよ、オレたちは戦いたくて好き勝手に戦ってんだ。別に、あんたらがいてもいなくても、オレらが敵をブッ倒すのに変わりはねぇ」
「……その、アルドロさんは怖くないんですか? 戦いから逃げたいと思わないんですか?」
アルドロの回答に、オリガの純粋な質問は口を衝いて出た。そこまで追求するつもりはなかったのだろう、思わずオリガは手で口を押さえる。それを見て、アルドロは不敵に笑った。
「怖くないワケじゃあないけど……オレは、戦うことしかできないからな。仕事だからとかじゃなくてさ」
この前、食堂でエーカーに話したことと同じような話をしているな、とアルドロは思った。
「そうですか……強い人なんですね、アルドロさんは」
「あったりめぇよ、何を隠そうオレはナイツロードで最強の戦士!」
賞賛の言葉に気を良くしたのか、アルドロは自信満々に胸を張り、ドンと叩く。
「えっ!?」
「……になる予定!」
アルドロの胸が急激にしぼむ。それを見てオリガはクスクスと笑った。
初めて見せた笑顔。まるでそれまでの陰鬱な雰囲気が噓のような明るさだ。
「仲よくなられたようですね、良かった」
突然後ろから話しかけられて、アルドロは驚きのあまり前につんのめった。いや、ユーリのような巨体の男が突然真後ろに現れれば、それは誰だって驚くだろう。
「っ、い、いきなり話しかけんじゃねぇよ! 何だよ!」
「これはこれは失礼、紅茶をお持ちしました」
「そうかよ! サンキュー!」
アルドロは強引にカップを奪い取ると、一口でそれを飲み干した。
「苦い! 」
思わずカップを取り落としそうになるアルドロ。
そのやり取りを、オリガは楽しそうに眺めていた。