アンジャスト・ナイツ2/Black Embrace #4「Tom and Jerry①」
傭兵団ナイツロード所属の義肢技術士、ロッテ・ブランケンハイムの工房は、お世辞にも綺麗だとは言い難い。
あらゆる機器が無造作に置かれた室内、ただでさえ狭い上に床に散乱した設計図やら図面やらの書類や工学系の雑誌は見事に足の踏み場を無くし、テーブルにはゲーム機やら、食べかけのスナック菓子やら、タバコの吸い殻が山のように積もった灰皿やらが乱雑に置かれている。
初めてこの光景を目にした人間は、否応なくこの工房の主が女性であることを疑問に思ってしまうだろう。俗に言う「汚部屋」である。
しかし、今その工房の主、ロッテとその知り合いの少年は、最早慣れてしまったのであろう。午後の昼下がり、カウンターを挟んで、二人は思い思いの暇つぶしをしていた。
ロッテはソファーに寝転がって携帯ゲームに没頭している。彼女がロクに頭と手を動かしているのは、ゲームをしている時か、義肢の修理をしている時くらいのものだろう。作業着に、帽子からはみ出たボサボサの髪の毛といった、女性としての魅力を全部投げ捨てたような姿に違わず、仲間内では非常にものぐさな人間として知られている。
対して少年……ナイツロード団員アルドロ・バイムラートは眉間に皺を寄せて、目の前の新聞を読んでは自分の黒い癖っ毛を掻きむしっていた。新聞の日付は今日のものだ。
「大西…セントフィナス王、アレクセイ……、次…国王……せず。…力……は、…父のダニイル、……の」
急に口を開いたアルドロは、何やら呪文のような言葉を呟き始めた。もちろん魔法の類いが発動するわけでもない、ただ単に難しい漢字を読み飛ばしているだけだ。
「……漢字読めないなら新聞読むの止めた方がいいっスよ、アホ丸出しっス」
気だるそうな声でロッテが指摘する。アルドロはその言葉にむっとした様子で言い返した。
「うるせー!オレだって読むときゃ読むんだよ!」
「隅っこの四コマ漫画と天気予報以外理解できそうにないっスけどね」
「フン! ところどころ読めなくったって内容くらい分かんだよ!」
そう言ってアルドロはテーブルに新聞を置くと、見出しの文字を勢いよく指さした。
「……で、これ何て読むんだ?」
「やっぱり理解できてないじゃないスか」
呆れながらも、ロッテはゲームをポーズにし、新聞に目をやる。
「“崩御”……“ホウギョ”っス。どうやらそのセントフィナスって国の王様が亡くなったっぽいっすね。それで、後継ぎが誰になるかって話っス」
一面を大きく飾っているのは、しかしロッテにとっては少しも興味の湧かない話だった。
国際的に活動している傭兵団の一員であれば、少しは注視すべき出来事であるはずなのだが、技術士であるロッテはこの基地から出かけることすら稀で、外の世界にはほとんど興味がない。第一、セントフィナスという国の名前すら、ロッテにとっては初耳だった。
「へぇー王様……ま、大体そんなところだと思ってたけどな」
自慢げに腕を組んで知ったかぶりをする少年にツッコミをする気も起きず、ロッテはタバコを取り出し火をつけた。
そんなロッテの様子を見ていたアルドロは、不意に口を開く。
「……なぁ、ロッテはお姫様になりたいとか思ったことあるか?」
「は?」
突飛なアルドロの質問に、ロッテは手にしたタバコを取り落としそうになる。目の前の少年の予想外の言動にはたびたび驚き、呆れてきたが、今日のは特にひどかった。
「――何で急にそんなこと」
「いや、女の子なら子供の頃そんなこと思ってたりしてそうじゃん。でっかなお城で暮らしたいとかさぁ」
「はぁ」
バカバカしいっスね……と思いながらも、ロッテは過去の自分を思い返して……数秒で結論を出した。
「忘れたっス。思っていたかもしれないし、思ってなかったかもしれないっス」
「えぇ、なんだよソレ。もう少し考えて見ろよ」
「面倒くさいっス」
「おーおー、よろしくやってるじゃねえか」
突然の第三者の言葉に、アルドロとロッテは声のした方を振り向いた。会話に夢中で気付かなかったのだろうか、工房の入り口に男が立っている。
「……クソジジイ!?」
アルドロは、ソファーから身を乗り出し、男の姿をまじまじと見る。不健康そうな顔にチョビヒゲ、ヨレヨレの白いジャンパーを着た男は、意図せずもこの部屋の雰囲気とマッチしていた。
前の任務以来会ってなかったが……間違いない、あのクソジジイ――もとい、イリガル・エーカーだ。
「よぉ〜ボウズ、久しぶりだなぁ、何話してた? 痴話喧嘩か?」
「違うっス」
「チワゲンカ……チワワの仲間かなんかか?」
エーカーの言葉にロッテは否定し、アルドロは理解すらできなかった。あまりの頭の貧弱さに、皮肉屋のエーカーですら難色を示す。
「相変わらずアホ面晒してんなぁお前は」
「ルセェー!テメェは相変わらずイヤな奴だ! ……で、こんなとこに何の用だよ!」
「義肢が必要そうには見えないっスね」
エーカーはフフンとニヤける。いやに明るい顔に、アルドロは不吉な予感がした。知識は乏しいアルドロだが、勘はいい。こうやって笑顔で話してくる時は、何かしら相手を貶める算段をしているのがイリガル・エーカーという男だ。
「飛び込みの依頼で人員を集めてる。人数は5人。期日は明後日だ。どーだボウズ? やってみるか?」
ほら見ろ。
「はぁー? どうせロクな任務じゃないんだろ? 第一テメェがリーダーの任務なんか二度とやるかよ!」
依頼を即答で否定するアルドロだが、エーカーはアルドロに近寄り、馴れ馴れしく肩に手を置く。ニコニコ顔のエーカーと、苦虫を噛み潰したような表情のアルドロ。アルドロは目配せでロッテに助けを求めたが、期待はできそうにない。ここの工房の主は我関せずといった様子で、ゲームに夢中だった。
「じゃー聞くけどさぁボウズ、この前任務の人員が足りなくて俺に泣きついたのは誰だったかなぁ? その借り、この任務を受ければチャラにしてやってもいいぜ?」
実際には、前の任務はアルドロが依頼した代理を、エーカーは——再三の拒否がありながらも最終的には——快く承諾したため、借りといった話は出てこなかったのだが、エーカーはまるで前から根に持っていたというカンジで続ける。
「それに、俺はこの作戦に直接参加しないし、任務も敵をぶっ倒すお前好みのお仕事だ。報酬もイイしな。そんな任務で借りを返せるのはおトクだと思うけどな〜」
「アンタのやり口は分かってんだよバーカ! 面倒ゴト持ち込むんじゃねぇ! さっさと帰りやがれ!」
なおも引き留まるアルドロ。携帯ゲームをしながらも、そのやり取りを聞いていたロッテは不意に口を開いた。
「……アルドロ君はそのオジサンに借りがあるんスか? だったら早めに返済した方がいいっスよ。そこのオジサン、後々利息とか言い出して厄介なことになりそうっス」
ロッテの言葉に驚くアルドロ。無理もない。いつも他人事には首を突っ込まず、静観を決め込む主義のロッテなら、例え言葉を発したとしても「好きにやってて下さい」ぐらいしか言わないハズなのだ。その彼女が、半分面倒臭げとはいえ他人の心配をしたのである。確かニホンにこういう時のことを簡単に言いかえた言葉があったはずだ、とアルドロは思い出す。
そうだ、クーゼンゼツゴ。アニメで見た。もちろん、漢字は書けない。
……もしかしたらこの任務を受けた方がいいのかもしれない、とアルドロは思った。確かに、このまま借りを溜め込んだ場合、隣のクソ野郎はどんな鬼畜なことをしでかしてもおかしくない。
ロッテの言っていた「ヘンサイ」やら「リソク」といった言葉の意味はほとんど理解できていなかったアルドロだが、直感的にアルドロはロッテの忠告に従うことを決めた。
にやけてるエーカーを無視し、アルドロは依頼を受注しに、工房から出て掲示板に向かう。
アルドロの背中を見送ると、エーカーは意地悪い顔でロッテの方を振り向いた。計画通り、といった表情で。
「口添えドーモ。しっかしあのボウズが素直に言うこと聞くとはなぁ。やっぱお前らできてんの?」
エーカーの軽口に、ロッテは心底どうでもいいような口調で答える。
「エーカーさんが信用されてなさすぎなんスよ……で、何でなんスか?」
「ん?」
「もっと優秀な兵士ならそこらにいるじゃないスか。何で、アルドロ君なんスか?」
傭兵団ナイツロードでは兵士の強さに応じてランク付けがなされており、アルドロのランクはCだ。一般的な兵士としてならまぁまぁの実力だが、いかんせん、精鋭揃いのナイツロードである。そんなエリート達に比べれば、アルドロは——能力こそ特殊であれ——誰もが欲しがるような優秀な人材というわけではない。
もっともなロッテの質問に、エーカーはニヤリと口端を上げる。ロッテはその表情に何か嫌な雰囲気を覚えた。それまでの、笑みを口元に張り付けたようなニヤニヤした笑顔ではなく、まるで仮面の口元がヒビ割れているかのような笑顔だ。
「フフン、俺は周りの人間とは目の付け所が違うんだよ。俺は、アルドロをただのバカだとは思っちゃいねぇ。まぁ、敵をブッ倒すことしか考えてない戦闘馬鹿、ではあるが」
さっきまで散々バカにしてたのに、とロッテは思いながらも、黙ってエーカーの話の続きを待つ。
「奴は自らの力を高めるためにこの世界に入ったと聞いた。最初は詭弁だと思っていたが、一回任務を共にしてそれが本気だと分かった。単純な力の渇望は単純故に強力な意志だ。分かるか? ちょっと奴のスイッチをイジってやれば、虎なり龍なり……大いに化けるぜ。今はまだ、自覚が足りてないみたいだけどな」
「……人をイジるのはいいですけど、イジくりまわして別の人間にするのは止めてくださいよ」
「ハハ、さぁて、どうだか」
ロッテの忠告を、エーカーは小馬鹿にしたような口調で笑い飛ばす。そこでアルドロが工房に戻ってきた。何やら紙切れを持っている。
「エーカー、一応受注はできたんだが……ニンムナイヨウってのが読んでてもイマイチ分かんねぇんだ。敵をブッ倒すって具体的に誰なんだ?」
アルドロの質問に、エーカーは再びニヤニヤした表情に戻って答える。
「あー、アレ嘘。任務は要人のボディーガードだし、リーダーはこの俺だ」
ニヤついていたエーカーの顔面に渾身の右ストレートが炸裂したのは言うまでもない。