A地帯

創作小説、ブロント語、その他雑記等。

アンジャスト・ナイツ2/Black Embrace #プロローグ

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「君に頼みたいことがある」

 彼がそう切り出したのは今から何年前の話だっただろうか。 「私」には遠い昔の事にも思えるし、つい昨日の事にも思える。

 それは私と彼——正確に言うなら「生きていた頃の」彼——が最後に顔を合わせた時のことだ。

「何でしょう?」

 そう言って私は彼を見下ろす。

 腕に点滴を刺し、寝台に横たわっている彼は、頬は痩せこけ、その表情はどこか虚ろだ。

 かつて鬼教官として恐れられ、私自身もその厳しい鞭に叩かれながら、同時に師として仰いだその彼が、今目の前にいる顔色の悪い病人と同一人物だとは、どうしても信じられなかった。

 そんな彼の虚ろな表情が、さらに曇ったように見えた。

「できることなら、君にこんなことをさせたくはないんだが……」

 そう言って目を逸らす彼は、まるで大部分が溶解したロウソクの火のように、ちょっとしたことで消えてしまいそうな危うさを帯びていた。

 そんな彼の姿に絶えきれなくなった私は、思わず腰を落とし、彼の手を両手で優しく掴む。

「あんたの命令なら何でも聞ける」

 痩せこけて骨と皮しか残ってないような彼の手を、私は力強く握りしめた。

 それに反応してか、彼も表情を幾分か柔らかくして、私の手を握り返す。一瞬彼の手が、昔のごつごつして温もりのある感触に戻ったように感じられた。

「……心して聞いてくれ。恐らく、これが最後の命令になるだろう」

 縁起でもない前振りーー結局現実となってしまったのだが——をしつつ、彼は言葉を紡ぎ始め、私はそれに聞き入った。

 そして——










「エーカー、起きろエーカー。着くぞ」

 思いやりの欠片もない、無機質で鋭い声が「俺」を夢から覚まさせた。

 意識が完全に戻った途端、首の周辺に違和感が走る。座りながら眠ったせいで少し痛めてしまったようだ。俺も年をくったということか。

 肩をほぐしながら、俺は向かい側に座っている人間に向かって質問を飛ばす。

「——どのくらい寝てた?」

「出発して10分も持たなかったな。死んだかと思った」

「えぇマジで……」

 男の辛辣な答えに、俺は思わず引いてしまう。

 多少の皮肉なら言い返せる自信はある俺だが、目の前の金髪眼帯の大男ーーイクス・イグナイト——から放たれる皮肉には、弾丸のごとき殺傷能力が備わっているのは確実であり、毒気を抜かれるに留まったのは不幸中の幸いというものだ。

 そんなおっかない男から目を背け、俺は飛行中のヘリのガラス窓から、愛しのお月様を拝もうと試みた。

 まるで窓に暗幕でも張ってるんじゃないかと疑いたくなるくらいの暗黒。また曇りか。どうして俺の任務の時はこう曇りが多いんだ? こないだの任務からずっとそうだ。きっとあのボウズのせいに違いない。

 しょうがなく俺は視線を下に向けた。相変わらず真っ暗もいいところだが、かすかに視認できる揺れ動く波は、俺たちが海の上を飛んでいることを意識させる。

 しばらくそんな景観を眺めていると、暗い海面の上で煌々と光を放っている、憎たらしいほど人工的な建造物が目に入った。

 ——洋上プラント。

 だだっ広い海面にそびえ立つ四角形の鉄の要塞。黄とオレンジの光。プラットホームから植物のように伸びたクレーンや煙突の類い。見慣れない一般人からすれば、思わずカメラに収めたくなるような光景かもしれない。工場マニアなら尚更だろう。

 しかし、俺たちにとってはこの光景も、それほど珍しいものではない。そもそもこのヘリも、俺もイクスも、同じく海上要塞——傭兵団「ナイツロード」本部、「レヴィアタン」からやって来たのだ。

 居住区はもちろん、商業施設や娯楽施設まで完備した、ある種の"島国"と認識しても差し支えないようなソレに比べれば、目の前のプラントなど、ウミガメが甲羅を海面に出しているのかと見間違えるくらいだ。

 だから目的地の洋上プラントを目にしても、特に何の感情も抱く事はなかった。代わりに俺は、事実を頭の中で反芻する。

 目の前のプラントに腰を下ろしているのはTMMI社の連中だ。ナイツロードと同じく、この世界に数多存在するPMCのうちの一社。人数は少ないがれっきとした民間軍事企業であり、

 ——今回の「交渉相手」だ。

 ヘリは高度を落とし、ゆっくりと洋上プラントのプラットホームに近づく。海上なので風が強く、普通なら結構揺れるものだが、そういった揺れをほとんど感じさせないあたり、ウチの会社のパイロットは中々イイ腕をしている。帰りにジュースでもおごってやろうか。

 それに比べて……と、俺はプラントの上でヘリの到着を待っている人影を見やった。プラットホームにはトライバルタトゥーを肩に入れたガラの悪そうなTMMI社の兵士達が、黒光りする銃をぶら下げて立っている。ヤレヤレ、おっかないったらありゃしない。痛い目に遭いませんよーに、と、雲の後ろのお月様にそう願っておく。

 降りる準備をするために、立ち上がった俺に向かって、イクスは唐突に口を開いた。

「……エーカー、ずっと気になっていたんだが」

「どうした?」

 イクスは眼帯をしてない方の目で俺の姿を一瞥する。後ろで結わえた黒髪とダンディズム溢れる髭はいつもの通りだ。だからイクスが心に引っ掛かったとすれば、首から下の姿。

 今、俺の服装は普段のイカしたジャンパーではなく、ラングレーのエージェントと見間違えるようなスーツ姿だった。

「お前が並外れて他人をイラつかせたり不快にさせる才能を持っていることは、俺もよく知っている。だが、お前が相手に気分を良くさせるような言葉を並べてるのは見たことがない。……交渉は得意なのか?」

 ……おいおい、そんなこと言うまでもないだろ?
 イクスの質問、否、愚問に、俺はわざとらしくため息をついて彼の無粋を批難し、それから自信を持って答えてやった。

「いや全然。」

 扉が開き、プラットホームに冷たい海風が吹き抜けた。