A地帯

創作小説、ブロント語、その他雑記等。

The twain Swords #1-epilogue

----


《1989/9/3 PM2:57 アメリカ合衆国ワシントンD.C.郊外 住宅地》


 僕がSASを退いて、日本で記者になったのはもう2年も前のことになる。

 子供の頃から見ていたアニメや漫画のヒーローに憧れて軍人になるなんて、馬鹿な話だと笑われるかもしれないが、それが事実であり現に軍人になってしまったのだから仕方がないだろう。少なくともそれまではずっと、誰かを助けたり、護ったりすることに大きな希望と憧れを持っていたのだ。作戦中の不慮の事故で目を焼いて視力を落とし、体を傷つけるまでは。

 軍人を辞めて記者として第2の人生を歩み始めてから、その思いはすっかり錆び付いてしまった。もうこの体では誰かを護ることはできないと、ひどく絶望したわけではないが、無力感のようなものは心の隅に確かにあった。未だアニメや漫画のヒーローに憧れが尽きないのは、体を悪くして、本当に彼らが雲の上の手の届かない存在となったからでもあるだろう。錆びた思いは2年の間、僕の心を緩やかに、しかし確実に締めつけ続けていた。

 その錆を落としてくれたのは、あの場所であり、あの事件であり、何よりあの金髪の男だ。

 「イワン・レオーノヴィチ」……テンヌィスが調べた情報によると、元々ソ連出身のロシア人だったが、民族主義による動乱を見越して実業家に渡りをつけ、アメリカに移り住んだようだ。奥さんともそこで出会ったらしい。様々な職業を転々として、1年前にジャーナリストに落ち着いた。見かけによらず、中々ハードな人生を送っていたものだ。

 今日、彼の遺体は綺麗に——と言っても激しい銃撃のせいで所々欠損してしまってはいるが——されて、この地に戻って来た。僕はそれについて来ただけのことだ。

 蘇ったこの思いを再び、錆び付かせないように。


 今にも泣き出しそうな灰色の曇り空のせいで、昼過ぎの住宅街は閑散としていた。こんな天気にわざわざ外に出る人など、よほどの用事があるか、物好き以外にはいないだろう。手元のメモに記されたルート通りに僕は早足で住宅街を進む。歩いている間、僕は空の様子を幾度も伺っていた。雨が降る前に到着する必要があった。さもなくば僕がもう片方の手に持っている本の束は、一瞬にしてその役割を失ってしまう。

 とある家の前で、メモのルートは終わりを告げていた。僕はメモから顔を上げ、その家を見やる。

 木造でオレンジ屋根の、ごく普通の一軒家。辺りの住宅に馴染んでひっそりと佇む彼の家の様子は、およそ彼のイメージにそぐわないようでもあったし、ある意味イメージ通りでもあった。

 門をくぐって玄関まで近づき、窓から中の様子を眺めてみる。留守らしく人が居るような気配はない。そうだろう。彼の家庭は、彼と妻と子供の3人家族。妻は今頃、病院で彼の遺体の身元確認を行っている。恐らく子供も一緒の筈だ。

 人が居ないことを確認した僕は、それまで手に持っていた本の束を扉の前に置いた。お気に入りの日本の漫画の単行本が何冊かと、今月の月刊誌——彼がWDO本部のゲートで拾った漫画が連載されている——が1冊。今月号のその漫画は、それまで険悪な仲だった主人公と仲間の魔法使いが、月夜の下で和解するシーンで締めくくられている。

 僕は彼と和解できない。

 彼が死んでしまった以上、彼と和解する機会は永久に失われてしまった。僕が懺悔の言葉をいくら並べたところで、彼の耳に届く事はもう無い。

 相応の覚悟を決めて来たものの、いざこの場に立ってみると、僕の心は大きく揺さぶられていた。予想外な出来事が重なって起きたとはいえ、彼の死を本当に「仕方の無いこと」で済ませていいのだろうか。僕のこの決意は、彼の死を単なる踏み台にしているのではないか。
 眼前の家で、彼が妻子と過ごす姿が目に浮かんだ瞬間、その場に居続けるのが耐えきれなくなって、オレンジの屋根に背を向け、その場を立ち去ろうとした。その時だった。

「カクゴーッ!!」

「!?」

 背後からの突然の叫びに驚いて後ろを振り向くと、何か鋭利なものが回転しながら超スピードで飛んで来た。

「痛い!」

 防御態勢をとる暇もなく、飛んできたものは僕の額に当たって地面に落ちる。額をさすりながら飛んできたものを見やると、それは折り紙で作った手裏剣だった。

「あ〜ダメだよ! ダメダメ! そんなんじゃ!」

 あまりに唐突な出来事にあっけにとられていると、前方から子供が走ってきてNGを出された。金髪に帽子姿の、11~12歳くらいの女の子だ。オーバーオールを自然に着こなして走り回っているあたり、家の中で人形遊びやままごとをするタイプではないだろう。

「やられたんならちゃんと倒れて爆発しなきゃ!」

 やられる? 倒れる? 爆発? 一体この子は何を考えているのだ。いくら事故で退役したからといって、こんなおもちゃで倒される程、僕は落ちぶれちゃあ——

 ……そこまで考えて、僕は目の前の女の子が求めていることがなんとなく理解できた。求められているのは現実ではなくフィクションだ。なるほど、ならば全霊を賭して応えねばなるまい。

「……ウボアァァァァ!!」

 突如、主人公に必殺技を決められた敵役の如く、断末魔を上げる。実際の戦場なら叫びすら挙げる暇もないのだが、そんなことはどうでもいい。目の前の女の子が望んでいるのは間違いなく"こっち"の方だ。その予想は外れてなかったらしく、僕の迫真の演技に女の子は嬉しげに反応した。

「倒れて! 膝からよ!」

「ウグォオオオオ……」

 女の子の指示通り、ガクリと膝から崩れ落ち、うつ伏せに倒れて力尽きる。余韻の残し方もバッチリ。我ながら完璧の演技だ。

「はい! そこで爆発!」

「……」

「……」 

 ——残念ながらその時点で、僕は炎熱系の法力の扱い方を教わっていなかった。いや、もし教わっていたとしてもこんなところで法力を使うわけにはいかなかっただろう。目の前の子供が巻き込まれたら大変だ。

 結果、無音の気まずい状態が数十秒間続いた。僕はおそるおそる、うつ伏せの状態から顔を上げて少女を見る。……不満に頬を膨らませた彼女の表情はともかく、何よりも目を惹いたのは帽子からはみ出した金色の髪だった。

「君、もしかしてこの家の……」

「ええそうよ。ママもパパも留守だから私がお留守番。ウチに何か用かしら? セールスマンならお断りだけど」

「そうか、一人で留守番してたのか……?」

 屈託のない少女の言葉に、僕は何か違和感を覚えた。いや、まさか——

「……パパもママも留守って言ってたけど、どこに行ったか知ってるかい?」

「ママは病院で検査があるって。パパは出張中だからしばらく帰ってきてないわ。えーと。スイスに行ってるんだっけ?」

「…………」

 その時、僕がうつ伏せの状態から立ちあがれなかったのは、心の中のドス黒いモノが重力より何倍もの力をもって僕の体を押しつぶしていたからに違いなかった。

 彼女は知らない。自分の父親が、出張先で原型を留めぬほど無茶苦茶に撃たれて死んだことを。

 彼女は知らない。自分の母親が、今病院で欠損した彼の遺体と対面しているということを。
 
 だが何故この子は知らない? 母親に訃報は行き届いている筈だ。
 先のWDO本部襲撃事件は、法力の秘匿性を重視したWDO上層部と国連の圧力で、新聞やワイドショーのトップニュースになるようなことはなかった。とはいえ犠牲者が出たことは紛れも無い事実であり、犠牲者の身内や職場に事実は——多少加工されているとはいえ——伝えられている筈だ。
 だとすれば、母親が子供にまだ事実を伝えていないのだろう。


 ……なんてことだ。

 いつかは彼女も真実を知らなくてはならない。——だが、いつ? 僕がこの子に真実を伝えてあげるべきなのだろうか。それとも母親が帰ってきて伝えるのを待つべきなのだろうか。

「にいさんは誰? パパの知り合い?」

 僕の苦衷の考え事など露知らず、少女は無邪気に尋ねる。彼女の中では、父親はスイスで仕事をしていて、しばらくすれば帰ってくる。そう思っているのだ。

「ああ、まぁ、そんなところだよ」

 対する僕は表情を取り繕うので必死だ。うつ伏せのままでは不審がられるのでゆっくりと立ち上がる。

 足が震えているのが自分でも分かった。
 
 このまま脱兎の如く逃げ出せば、もう二度とこの少女に会うことはないだろう。だが、この胸の内のドス黒いものは永久に残ったままになる。逃げ出した今の自分を、未来の自分は絶対に許さないだろう。

「彼に——漫画を届けにきたんだ。頼まれててさ」

 僕は玄関に置いた漫画の束を指差した。それを見た少女は不思議そうに小首をかしげ、まるで鏡に映った自分の姿を初めて見る子犬のように、理解しかねる面持ちで呟いた。

「……パパは漫画なんか読まないわよ?」

「——え?」

 全くの予想外だった少女の返答に、今度こそ僕は驚嘆の声を挙げ、目を丸くする。

「パパの部屋の中にはむつかしい本しか置いてないわ。パパが漫画を読んでるところなんて見たことも無いし……」

 どういうことだ? だとすると本部ゲートでのあの会話は嘘だったのだろうか?
 
 いや、彼はあの漫画の内容を熟知していたし、熱弁していたし、そうでなければ僕と意気投合することもなかっただろう。それほどまで詳しいのに、家族には知られていないということか。つまりは——父親としての体裁を保つ為かどうかは知らないが——彼は母子には真面目な本を読んでいるフリをして、裏で隠れて漫画を読んでいたということになる。

「……」

 一瞬の沈黙の後、僕は耐えきれなくなって吹き出してしまった。少女もビックリした様子だ。なにせ目の前の男が突然腹を抱えて笑い出したのだから。

「何? 何! ちょっと! 笑い茸でも食べた?」

「い、いや……ハハハ、あいつそんなことを……ねぇ」

 死者を笑うなんて罰あたりもいいところだが、彼のそんな姿を想像すると笑わずにはいられなかった。

 そうして気がついた事は、彼は僕の中で死者としての姿ではなく、生きた姿として存在していることだ。僕は、彼と彼の思い出と決別して、覚悟を決めに来たわけではない。何もかも忘れ去って前に進むわけじゃあない。僕はここに、彼の思いを受け継ぎにきたのだ。

 この子が大人になるまで、守らねばならない。大人になった時に、この子の世代に問題を残してはならない。彼は子供を持った時にそう思った筈だ。だからこの子の前では強い父親でいたかったのだ。

 ならば、僕がその思いを受け継がなくてはならない。

「……いいパパを持ったな」

 気付かせてくれた礼に、僕はそう言って落ちていた折り紙の手裏剣を拾い、少女に手渡した。少女は何のことだか分かっていないようだったが、何かしら褒められたのは自覚したようで少し頬を赤らめた。

 その時、背後で門の開く音がした。振り返ると女性が立っている。ブロンドの端麗な顔立ちの女性だったが、その目の周りは赤く腫れあがっていた。恐らくーーいや、間違い無い。彼の妻だ。

 僕は頭を下げる。彼女も何とも言えない面持ちで頭を下げ返した。今にもそのまま倒れ込みそうな、布のように頼りない佇まいだったが、僕の目にはその奥の固い決意も見て取れた。あの少女に全てを話すつもりなのだ。言うまでもなく少女は酷く悲しみ、絶望に暮れるかもしれない。しかし隠し通すこともまた、できない。逃げ道は存在しないのだ。

 僕は彼女と入れ違いに門をくぐって外に出る。すれ違いざまに、僕は彼女に呟いた。

「……あの子から、目を背けないでほしい」

 僕の言葉に、彼女はハッとした表情で振り返る。自分への戒めのつもりで呟いた言葉でもあったが、彼女にも響くところがあったようだ。彼女はもう一度、深く頭を下げた。

 そんな母親の様子を訝しげに見ながらも、少女は僕に向けて手を振る。

「また会いましょ、え〜と……」

「アルフォンソ・エトワール」

「あるふぉ……?」

「アルでいい。君は?」

 僕が尋ねると、少女はいたずらっ子のようにやんちゃに微笑みながら名乗った。


「イリーナよ。イリーナ・レオーノヴィチ・エメラルド!」






----------






 彼の家を後にしてしばらく歩くと、閑散とした住宅地にはとても不似合いな高級車が停まっており、その傍に二つの人影が見えた。

「済んだか?」

 テンヌィスの言葉に僕は頷く。

「ああ、悪かった。こんな我が侭聞いてくれて」

「気にすることないわ。私たちはもう仲間。このくらい、お安い御用よ」

 ラブの応えに笑顔で返しながら車に乗り込む。助手席に座ったラブは、後部座席に座った僕に含みのある表情で振り返った。

「それにしても随分長く話してたわね? "アル"?」

 ラブの言葉に僕はぎょっとした。その呼称は学生時代につけられてから、部隊内でも職場でもそう呼ぶように言ってきたお気に入りのものだったが、この2人には明かした事はない。つまり——

「……聞いてたのか。いつから?」

「最初からよ」

「えっ、じゃあ……」

 ……つまりあの素晴らしい断末魔のシーンも見られていたわけで。

「今なら役者に転職しても間に合うわよ?」

 ラブの提案に苦笑いしながらも、僕の心は既に揺るがないものとなっている。既に日本の僕の職場には、僕の訃報が伝えられている。世話になった上司や同僚に虚偽の報告をするのは申しわけなかったが、彼の思いを受け継ぐために、踏み出したからにはあの場所にもう二度と戻ることはない。

「……もう後戻りはしないさ」

 そう言ってふとガラス越しに外を見た僕は、いつの間にか空がその表情を変えている事に気がついた。雨雲はついに一滴の涙を流すこともなく去り、白い雲の間から太陽の光が差し込んでいた。






To be continued next chapter…