The twain Swords #1-9
《1989/8/30 PM1:05 スイス WDO世界防衛機関本部》
「ん〜? 何だこのドア?」
しばらく進んだところで、金髪の記者はとある部屋の扉の前で立ち止まった。
彼が違和感を覚えるのも無理はない。他の部屋は全てガラス製の自動ドアだというのに、なぜか、この部屋ドアだけ木製の開き戸だ。
「怪しいと思わないか?」
金髪の記者の問いに、アルフォンソは返答こそしなかったものの、心の中で肯定した。
怪しいなんてレベルではなかった。このWDO本部が最新技術を取り入れた新築の建物であるにも関わらず、目の前の木製の扉は年季モノだと一目で分かるくらい古い。
ここの部屋の古い扉は意図して取り付けられたのだ。では、何の為に?
理由があるとすれば部屋の中だろう。だが、そう易々と入って良いものだろうか。
そう思った矢先、再び大勢の人間の足音が廊下に鳴り響いた。徐々にこちらに近づいてくる。
「やっべ!」
金髪の記者は目の前の扉のドアノブをひねった。鍵はかかっておらず、扉はすんなり開いた。
「入るぞ!」
「えっ!?」
金髪の言葉にアルフォンソは一瞬躊躇した。このまま奥に進めば、本当にWDOの秘密に到達してしまうかもしれない。本当に進んでよいのだろうか。WDOの兵士達を裏切るくらいならこのままいっそ見つかってしまった方が——
そこまで考えて、アルフォンソはこの足音の主がWDOの兵士だとは限らないことに気がついた。つまりは襲撃しているテロリストの可能性もあるということだ。見つかったらその場で蜂の巣にされるか捕まって人質にされるか。とりあえずロクなことにはならない。
ひとまずアルフォンソは金髪の言葉に従い、扉の向こう側に身を隠すことにした。
「なんだ、これ」
部屋に入った金髪の記者の第一声がこれだ。アルフォンソに至っては驚きの余り言葉を漏らすこともできなかった。それほどまでに部屋の内容は、二人の想像を大きく越えていた。
明かりはついていなかったが、分厚いカーテンから漏れる外の光で部屋の様子は大体把握できた。
まず目に飛びこんだのは、天井からつり下げられた豪華なシャンデリア。天井の広大さを見るにこの部屋は、記者会見を行った会議室に引けをとらない広さだ。
その割に部屋が窮屈に見えるのは他でもない、馬鹿デカい天蓋付きのベッドのせい。
その他、部屋に散りばめられた机、椅子、化粧台、衣装タンスーーすべてアンティーク。
絨毯や壁紙は落ち着いた赤色で細かい文様が施されている。電子機器の類いは一切ない。
……1世紀前の寝室だ。
どこかの宮殿に空間転移でも起こしたのかと錯覚するくらい、同じWDO本部内の部屋だとは思えなかった。
「……おい、あれ見ろよ」
金髪が指差したのは、天蓋付きの大きなベッド——否、『その内部』だ。LLサイズとでも言うべきベッドを全て覆い隠してしまうほどの、暗い赤色の毛布。その真ん中がちょこんと膨らんでいる。
さらに膨らんだ毛布の中で何かがもぞもぞと動いているのだ。
2人はベッドに近づき、さらに様子を見た。明らかに毛布の膨らみは人間の体の大きさのそれだ。その毛布が、一定間隔で小さく上下しているのが見て取れる。まるで呼吸しているように。
2人は顔を見合わせた。誰か寝ているのか? 昼を回ったこんな時間まで? テロリストが銃撃戦を繰り広げているこの状況で?
アルフォンソは毛布に手をかけた。このベットの中で寝ている者が誰であろうと、このテロリストに襲われている危機的状況を伝えねばなるまいし、余裕があればこの部屋の説明もしてほしい。
アルフォンソは躊躇うこと無く、勢いよく毛布をひっぺがした。
果たして、現れたのは爆睡してる1人の人間だった。
ただアルフォンソが想像してたのと大きく異なる点が2つある。1つは、寝ていた人物が20代くらいの赤いロングヘアーの女性であったこと。
そして、その女が全裸で寝ていたことだった。
「……」
アルフォンソはその光景にしばらくあっけにとられていたが、当初の目的を思い出し、女の肩を掴んで揺すった。
「……もしもし、起きて下さい、今テロリストがこの建物を襲撃して……」
「やめんかーっ!」
金髪の鋭いパンチがアルフォンソの顔面を打った。そのままアルフォンソは絨毯の上に派手に転倒する。
地面で顔を押さえて悶絶しているアルフォンソを意に介さず、金髪は慌てて毛布を女にかぶせて元の状態に戻した。毛布の中からは寝息が聞こえる。どうやら女は起きなかったようだ。すぐ隣で男2人がごたごたしていたにも関わらず。
「な、何をするんだよ!」
眼鏡をかけ直し、鼻を押さえながらアルフォンソは金髪を批難した。
「それはこっちのセリフじゃ! 嫁でもない女が裸で寝ているところにナチュラルに話しかけるやつがいるか! 変質者と思われたらどうする!」
金髪は鬼のような形相をしながらも、大声で隣の女を起こさないように声のトーンを低くして訴える。やけに必死な様子からアルフォンソは何かを察した。
「……既婚者か。君」
「子供もいるんだよ! こんなことバレたら社会的に死ぬ!」
アルフォンソはため息をついた。ほらみろ、やっぱりロクでもないことになったじゃあないか。自分自身この展開は予想できなかったが。
それにしても、とアルフォンソは女の寝ているベッドの方を見て、それから部屋全体を見回す。ベッドはこの部屋に一つしかない。つまりこの部屋の所有者は彼女一人だと言っていいだろう。
彼女が近代兵器を揃えた軍事機関の本部に、こんな時代遅れの寝室をしつらえたのだろうか。だとしたら彼女は何者なのだろうか? ただの平団員ではあるまい。アルフォンソの推測は湧いて止まらなかった。
「出よう、今すぐ出ようぜ。厄介なことにならないうちにな」
そんなアルフォンソをよそに、金髪は思い立ったように立ち上がったかと思うと、そそくさと部屋を後にしようとする。アルフォンソは彼の肩を掴んで止めた。
「待て、外は今戦闘中だ。兵士やテロリストに出くわすかもしれない。終わるまでここでやり過ごそう」
「はぁ? そんな悠長なこと言ってられるか! それまでにあの女が起きたらどうする! オレは捕まって変質者呼ばわりだ!」
金髪の焦燥する顔を見て、アルフォンソは彼の肩を優しく叩く。
「確かに、それはまずいな。もう嫁さんと子供に会わせる顔が無い」
「うぅ……」
「だがこの状況で一番マズいのは、君が戦いに巻き込まれて死ぬことじゃあないのか? 君が死んだら残された妻と子供はどうなる?」
「……」
「それに、何故かは分からないけど……そこの女の子はきっといい人だと思う。テロリストが襲撃している最中でも寝ていられるくらいだ。心の広い人だよきっと。話せば分かってくれるさ」
アルフォンソの言葉は効果があったらしく、臨海限界点だった金髪の焦りはひとまず安全圏に戻ったようだった。芝居しているふうでもない。本気で自分の命より、家族の名誉を優先させようとしていた。おそらく彼はWDOの秘密を暴いてスクープし、そのお金で家族に楽をさせたかったのだろうとアルフォンソは考えた。彼にやましい考えは微塵もないのだ。
金髪は肩を竦めると、自嘲気味に鼻を鳴らす。
「マンガなりオカルトなり、やっぱあんた変わったヤツだよ」
「……僕が記者会見で話した内容は嘘じゃないよ。超能力は確実に存在する」
「……だといいな」
その言葉に、大きな期待こそ乗っていなかったが、嘲るような気味もなかった。金髪はアルフォンソから離れると、部屋の扉の前で立ち止まる。
「じゃ、とりあえずバリケードでも作っておくか。そこの机一人で持てるか?」
アルフォンソは快く了承して机を取ろうと振り返り、違和感を感じた。
部屋の外から音が全くしない。
戦いが終わったのか? いや、確かに銃声も足音もしないが、外からそんな雰囲気は感じられない。むしろ妙な圧迫感がアルフォンソを襲っている。
そしてこの圧迫感を、アルフォンソは以前にも感じたことがあった。
そうだ、あの時だーー
「伏せ——!!!」
アルフォンソが言葉を吐き終える前に、銃声が轟き、扉が爆ぜた。
無数の銃弾が木製の扉を——ついでにその傍に立っていた金髪の男の体を滅茶苦茶にする。
すぐさま机の影に隠れようとしたアルフォンソだったが、一瞬で体に力が入らなくなり、床に転倒する。
数秒遅れて、アルフォンソは自分が撃たれたことに気がついた。
呼吸が出来ない。肺をやられた。意識が遠のいていく。
先ほどの静寂など嘘のように、テロリストの足音が部屋中に響きわたっていた。結構な人数だ。きっと扉の向こうに身を潜めていたのだろう。
再び轟音が部屋を揺るがせた。しかし、それがさっきの銃声では無いことがアルフォンソにはすぐに分かった。自由を失った体に鞭打ち、音のしたほうを振り返る。
テロリストが一人残らず倒されていた。
一体何が起きたのか? 見当もつかない。敵が声を上げた様子も、銃を撃った様子もしなかった。そんな暇なしに一瞬で、一人残らず倒されたのだ。
状況を理解しようと床に伏したまま部屋を見回すが、意識が朦朧としているせいか、おぼろげにしか分からない。だが、そのぼやけた視界の中で、唯一はっきり見えたのが部屋に浮かぶ赤い糸だった。それが何かは分からない。どこかで見覚えがあった気もする。アルフォンソは赤い糸の軌跡を目で追っていた。
赤い糸はしばらく空中に留まったまま動かなかったが、ふと思い出したようにアルフォンソの方を向くと、彼にゆっくりと近づいていく。
近づくにつれて、赤い糸は束になって量を増していき、アルフォンソの傍まで寄ってきた頃には、立派な長髪に変貌していた。
間違いない。寝ていた女の人だ。いつの間にか赤いロングコートを着ている。
赤毛の女はアルフォンソの傍まで近寄ると、しゃがんで彼の顔を覗き込んだ。
アルフォンソはその時、彼女の瞳が髪色にも劣らない鮮やかな紅色をしているのに気がついた。さっきは寝ていたから分からなかったのだ。その瞳の反射で自分の姿を確認したアルフォンソは、間もなく自分の絶望的な状況に気がついた。
自分の胸は、その部分だけ元から存在していなかったんじゃないか思うくらいに、綺麗に抉られていた。そこには確かに生命維持に重要な器官があったはずだった。だがさっきの銃弾で吹き飛んだらしく、今はそんなもの欠片も残っていない。晒された真っ赤な断面が、ただただ赤い涙を流しているだけだった。
しばらくその瞳をじっくりと見つめていたアルフォンソだったが、急に意識が飛び始め、女の顔の輪郭の区別もつかなくなる。
女が手を差し出してきた気がして、アルフォンソは無意識に手を伸ばし、手の平に何か小さくて固いものを掴んだ感触を味わった。
その感触を抱きつつ、アルフォンソは暗い海底に沈むように、ゆっくりとその意識を失っていった。